第16話 鍛冶屋の挑戦
ゲルハルトが木こりの集落を訪れてから二週間後、クラウディアたちがやって来た。陽気な顔のロバと、陰気な顔の鍛冶屋を連れている。
財産を没収される前は馬と馬車を所有していたのだが、商売の規模を縮小した今となってはロバの方が丁度いいということで
ロバは馬ほどの社交性は無く身体も一回り小さいが、その分だけ食べる量は少なく飼育も楽である。
何よりルッツが一目見るなり、
「可愛い……」
などと言い出して、ロバのために小屋まで作ってしまった。すっかりお気に入りである。
集会所と名付けられた広場、丸太を椅子代わりに座る男たちにクラウディアは話しかけた。
「毎度、鍛冶のご用はありませんか。今日はですねえ、なんとなんと、鍛冶屋ごと持ってきたのでこの場で研ぎが出来ちゃうんですねえ!」
「ほう、つまりしばらく預ける必要はないわけかい」
男は物珍しそうにルッツを眺め、ルッツは無言で会釈した。今回ルッツはクラウディアの手伝いに専念するつもりである。
「はい、それはもういつもニコニコ現金払い! この場で、即日即行! 皆さんの商売道具をぴっかぴかにして差し上げますよ!」
すると一人の木こりが感心したと言うより面白がっているような顔をして、
「ちょっと待ってろ」
と言って立ち上がり、家から斧を持って戻って来た。
「兄さん、こいつは研げるかい?」
酷い斧であった。刃はぼろぼろで
ルッツは斧を受け取り、全体を舐めるようにじっくり確かめた。
「錆は表面だけですね。中まで腐っちゃいない。こいつをピカピカに磨いて銅貨五十枚でいかがですか」
「金は後払いでいいな?」
出来が悪ければ金は払わんぞと挑戦的に言われて、ルッツの闘志にも火が着いた。テメェの間抜けヅラが映るくらいに磨いてやる、と。
まずロバの背から研ぎ道具を下ろし、足踏みペダルで回転させる砥石を組み立てた。道具箱に座り、円形の砥石を回転させて刃を当てる。
チュイィンと甲高い音がして激しく火花が散った。
おお、とギャラリーから歓声が上がる。
この砥石は熱を持つ上に細かい作業には不向きだが、まず大雑把に刃こぼれを整えたい時にはピッタリの道具だ。
刃こぼれを直すということは、凹みの部分まで刀身を削るということだ。これが刀ならば何度も研いでいるうちに針のように細くなってしまうだろうが、斧はその大ぶりな形状からちょっとやそっと削ったところでどうということはない。
存分に火花を散らした後で刃を確かめる。先は綺麗に揃い、錆びも取れた。次に荒砥を取り出し水で濡らした。
ギャラリーがまだじっと見つめていて、少々やりづらい。
「あの、ここから先はものすごく地味でつまらないですよ。火花も散ったりしませんし」
「ま、いいからいいから」
と言って去ろうとしない。
どうやらこの研ぎが上手くいったら自分も頼もうか、などと考えているようだ。
木こりにとって道具の良し悪しは作業効率に直結するので出来るだけ良い物を使いたい。先の丸くなった斧で木を伐ろうとしたところで無駄な力を使うだけである。
一方でさほど高給取りでもないので整備にあまり金を使いたくもない。
研ぐならば出来る限り腕の良い鍛冶屋に預けたいと思うのは当然の流れであった。
気が散るから見ないでくれ、などと言える雰囲気ではなくなってしまった。そもそも出張研ぎに来ている時点で見られながら作業するのは仕方の無いことだ。
一対一ではない、これは木こりと鍛冶屋の戦争だ。ルッツは覚悟を決めて斧を砥石の上で前後に滑らせた。
抵抗が抜けるまで擦り、目の細かい砥石に替えてまた擦る。それを何度か繰り返すうちに視線は気にならなくなり、周囲の音が何も聞こえなくなった。
ルッツ、斧、砥石。世界はこの三つだけで構成されていた。
やがて手が自然にピタリと止まった。同時に世界に音と景色が戻ってきた。よほど集中していたようだ。
やはり見ている方は退屈だったか、ギャラリーは半分程に減っていた。
「どうぞ、ご覧下さい」
ルッツは依頼者に斧を渡してじっと睨んでいた。もしもケチを付けてきたら何が悪かったのか事細かく説明してもらおうじゃないか。あるいは俺より腕が良くて安く仕上げる鍛冶屋の名を言ってみろ。
そんな警戒心は全くの無駄であった。依頼者は斧を見て手放しで喜んでいた。
「こいつは凄げえ、納屋の隅に転がっていた斧がまるで伝説の武器だ!」
さすがにそれは褒めすぎだろうと思ったが、悪い気はしない。依頼者は誤魔化すことなくすんなりと銅貨五十枚を払ってくれた。
どうも前回、騎士団の馬鹿にケチをつけられたことがよほど頭に来ていたらしい。客を疑いすぎてしまったと反省するルッツであった。
「さあ、他に研いで欲しい物はありますか?」
手を開き、握りを繰り返しまだやれることを確認しながら顔を上げると、そこには大量の斧を持ち運ぶ木こりたちがいた。包丁や
斧だけでも軽く見積もって二十本はあるだろう。木こりたちにとって斧は消耗品に近い。倉庫に転がっている斧ならばいくらでもあった。
これから増えることはあっても、減ることはないだろう。
「く、クラウディアさん……?」
最後の望みを託してビジネスパートナーに視線を送るが、彼女は残酷で魅力的な笑顔を浮かべるばかりであった。
「お得意様は大事にしないとねえ」
今まで研ぎの仕事はあまりなかった。斧を預けてしばらく待たねばならないというのは客としては面倒であったし、クラウディアにも輸送の手間がかかった。
今回の出張研ぎは大成功である。ただの取り引き相手でしかなかった頃はルッツを気軽に連れ出すことは出来なかった。運命共同体となった今だからこその商売方法である。
武器作成の依頼は美味しい仕事だがいつ来るかわからない。木こりの集落という需要の途切れぬお得意様を確保しておくことは鍛冶屋にとっての生命線である。
そんな事を丁寧に説明され、反論の余地が一ミリたりともないルッツは従うしかなかった。
結局、三日間泊まり込みで研ぎ続けることになり、精根尽き果てた三日目の昼に、クラウディアたちを訪ねて奇妙な客が現れた。
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