第17話 親愛なる君へ

「お客さん、ですか……?」


 ロバに水を飲ませていたクラウディアに、木こりの女房が声をかけてきた。


「そう、二週間くらい前にも来たお爺さん。いいお尻をした女商人を探しているっていうからクラウディアさんのことで間違いないと思うのだけど」


「私、顔より尻が有名になっていますねえ……」


 商人にとって人脈作りは大切だ。こんな所まで探しに来たというのであれば会わないわけにはいくまい。


 指定された広場に行くと、そこには斧を研ぎ続けるルッツと、それを興味深く眺める老人の姿があった。


 商家のご隠居といった穏やかな雰囲気の老人はクラウディアの姿に気付くと深々と頭を下げた。


「商人のクラウディアさん、ですな?」


「はい。お会いするのは初めてですよね」


「申し遅れました、わしはツァンダー伯爵家預かりの付呪術師、ゲルハルトです」


「……はい、はい?」


 貴族、伯爵家、超一流付呪術師。まるで縁のない、別世界の人間が現れクラウディアの思考がしばし停止した。


「実は先日、騎士団の詰め所に奇妙な剣が持ち込まれましてね……」


 ピクリ、とクラウディアの頬が動いたのをゲルハルトは見逃さなかった。


「いや、正しくは剣ではなかったかな……?」


「刀ですね」


 どこまで知っているのか、互いに探り合うように話を続けた。


「そう、刀だ。見る者全てを魅了する妖刀だ。残念ながらあれは伯爵に献上し、また別の者の手に渡ってしまったが、わしも欲しくなりましてなあ」


「それで私を探していたと?」


「クラウディアさんが腕の良い鍛冶屋を抱えていると聞きまして」


 二人の視線がルッツに向けられた。


 この老人はある程度の事は把握しているらしい。面倒事の予感がするが、今さら言い逃れは出来ないだろう。


 いや、これこそ待ち望んでいた展開ではなかったか。野に放った妖刀が巡り巡って運んできた縁だ。


「ルッツくん、ご指名だってさ」


 クラウディアが観念したように言うと、ルッツは生気の無い声で答えた。


「待ってくれ、もう少しで研ぎ上がる」


「おいおい、こちらは貴族様だよ?」


「俺は今、お客様の相手をしているんだ」


 クラウディアはゲルハルトに向けて肩をすくめて見せた。すいませんね、こんな奴で。そんな意味である。


 ゲルハルトとしては若造が突っ張りやがってと不快感を抱かぬでもなかったが、同時に職人とはそうあるべきだとも考えていた。


 この時ルッツは職人の意地を張っていた訳ではない。研ぎは中断したところで何か不都合があるわけでもなく、精々モチベーションが途切れるくらいだ。


 ルッツは落ち着く時間が欲しかった。


 何で貴族? 付呪術師? ナンデ?


 パトロンが現れるのを待ち望んでいたとはいえ、あまりにも唐突に過ぎる。


 斧は新品を凌駕りょうがする仕上がりであった。時間稼ぎはおしまいだ。丁寧に水気を拭い、斧を置いてゲルハルトに向き直った。


「お待たせいたしました。刀鍛冶、ルッツと申します」


「お目にかかれて光栄です、鍛冶師どの。今日は仕事の依頼をしたくて訪ねさせていただきました」


「刀を作って欲しいと」


「いかにも。その前にいくつかお聞きしたいのですが、騎士団に渡った刀を打ったのはルッツどので間違いありませんか」


「事実です。俺が打ち、手放しました」


「失礼ですがルッツどのの佩刀はいとうを見せていただけませんかな?」


「ふむ、つまり……」


 ルッツは考えると言うよりも、言葉を整理してから答えた。


「こいつは自分で打ったとかたっているかもしれない。持ち歩いている刀がマシなものなら多少は信じられるだろう、ということですか」


「有り体に言えばそうですね」


 ゲルハルトは苦笑いを浮かべた。


 どうもルッツは人間関係においてすぐに答えを出したがるせっかちな男のようだ。


 短刀の売り買いで騎士ともめたと聞くが、恐らくは売り言葉に買い言葉といった流れだったのだろう。


 また、そんな男でなければ女を救うために値段の付けられぬ宝刀を放り出すような真似は出来まい。


 実際あの時ルッツはクラウディアに対する好意と、騎士団の横暴に対する怒り、そしてその場の勢いで行動していた。


「今使っている刀はぶっ壊れても惜しくないというか、それほど良い物ではないのです……」


 苦い物でも口に含んだような顔で答えるルッツ。


 こいつもダメかとゲルハルトの眼に失望の色が浮かんだ時、横から黒塗りの匕首あいくちが差し出された。


「ご覧下さい。刀匠ルッツ、渾身こんしんの作でございます」


 クラウディアはルッツが侮られていることが不快であった。また、ゲルハルトが一方的に査定する立場のようになっていることも気にくわない。


 こちらもお前を試してやろう、この刀の良さがわからぬようでは大した目利きではない。そう考えて己の懐刀を出したのだった。


「むう、これは……ッ!」


 刀身を抜いたゲルハルトの眼が驚愕きょうがくに見開かれた。その反応を見てクラウディアもご満悦である。


「心臓を貫いて殺す、ただそれだけを求めた究極の機能美! 見ているだけで寒気がするわい。それでいて、どこか……」


 ゲルハルトは迷っていた。わからない、こんな事を口にしていいものかと。ただの勘違いでは恥さらしだ。


「どうぞ、仰ってください」


 と、クラウディアは先を促した。ここまで言われて黙られては気になってしまう。


「どこか、優しさのようなものを感じる。苦しませずに殺すことが慈悲だというのとも違う。ううむ、わからん……」


 ゲルハルトは匕首を様々な角度から見ながら悩む。


 ルッツの愛情が詰まっているのだと知っているクラウディアは薄笑いを浮かべていた。そしてゲルハルトに感心もしていた。刀に込められた微妙な感情すら読み取るとはただ者ではない。


なかごを拝見してもよろしいだろうか?」


「はい、ご存分に」


「あ、ちょっと待った……」


 テンションが上がる二人に対して、何故かルッツだけが乗り気ではなかった。


「見たって別に面白いものじゃないぞ」


「何だい、ルッツくんまさかまためいを入れ忘れた訳ではあるまいね!?」


「何も入れていないって訳じゃないが……」


「ならばいいじゃないか。ゲルハルトさんは大仕事を依頼する前に作者がルッツくんだと知りたいと仰っているわけだよ。素晴らしい匕首を見せた、その作者がルッツくんだとハッキリさせておいた方がお互いスッキリするだろう?」


「ええと、ほら、あれだ。目釘抜きを持ってきてないし……」


 目釘抜きとは、刀身と柄を繋げるストッパーである目釘を外すための小さな木槌である。慣れた者ならばこれが無くとも外せる、あくまで補助器具であった。


 そして往生際の悪いルッツには不運なことだが、ゲルハルトは手慣れていた。目釘を爪先で押し込み、柄を軽く叩いて目釘を抜いて、すでに柄と刀身に分解していた。


 ゲルハルトは茎を確かめ、クラウディアは肩越しに覗き込む。そこにルッツの名は無かった。


 DEAR YOU。


 刻まれた文字はそれだけであった。


 クラウディアは声を上げて笑い出した。ゲルハルトも腹を抱えている。恥と後悔でルッツは顔を真っ赤に染めて俯いていた。


「おいおいおいおい、ルッツくん私のこと好き過ぎるだろう!」


「思い付いた時はなんか、良いアイデアだと思っちゃったんだよ」


「良いとも、最高だ。私も愛しているよルッツくん」


「そりゃどうも」


 笑いをこらえるゲルハルトが匕首を組み立てクラウディアに渡した。


「良い物を見せていただいた。これは貴女の刀だ、売って欲しいとは言えなくなってしまった」


「新しい物を作るしかありませんね。彼も嫌とは言えないでしょう」


 お互いを探り合うような雰囲気は霧散し、意気投合する二人であった。


「さてルッツどの。わしの依頼を聞いてもらえるかな」


「申し訳ありませんが研ぎの仕事がまだまだ残っています。場所をお教えしますので後日、俺の工房に来ていただけませんか」


「金貨数百枚単位の仕事だとしても、優先出来ませぬか」


「金額で優先順位を変えるようなことをしていたら信用を失いますよ。木こりたちからも、貴方からも」


「わしからも、か」


 金で優先順位を変えるならば、ゲルハルトよりも高値を提示する者が現れればそちらに乗り換えるということでもある。ルッツの答えが気に入ったのもあり、後日の再会を約してゲルハルトは大人しく引き下がった。


 その後ルッツは斧を研ぎ続け、クラウディアは匕首を強く抱いてその様子を飽きずにいつまでも見つめていた。

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