第13話 愛口
ルッツはクラウディアに頼まれた短刀を作っていた。
ある程度の金銭的な余裕は出来たし、クラウディアが注文を取ってこなければ他の仕事もやりようが無い。出来上がった刀身は短刀にしては少し長めだが、持ち歩きに不便な程でもないだろう。
クラウディアは何故、いきなり短刀が欲しいなどと言い出したのだろうか。ルッツは砥石の上で刀身を滑らせながら考えていた。
彼女に武芸の心得はない。短刀一つで身を守れるなどと本気で考えているわけでもあるまい。
先日、クラウディアはおねだりする時に何と言ったか。騎士団のクソどもが持っているのに、私が持っていないのはおかしい。そんなことを言っていたはずだ。
……まさか本当にただの嫉妬から出た言葉だったのだろうか。
「私がルッツくんにとって一番大切な女だという証明をくれたまえよ。それとも騎士のケツでも掘りたいのかねッ!?」
脳内でクラウディアの声が再生された。いかにも言いそうではある。
なんだ、そんなことか。クラウディアの意図が理解できたと同時に、砥石からスッと抵抗が抜けた。
荒砥を外して、目の細かい砥石を用意してまた研ぎにかかった。
これは良いものが出来そうだ。そんな予感があった。
「ただいまぁ……」
行商に出ていたクラウディアが三日ぶりに帰って来た。
「ルッツくん、何か食べるものを用意しておくれよ。食べたら一眠りして、その後でスケベしようや……」
座るというより落ちるように椅子に尻を乗せて、上半身をテーブルに預けた。
コトリ、と硬いものが置かれる音に顔を上げると、そこに黒塗りの短刀があった。
「スープを温めておく。出来るまでそれで遊んでろ」
ルッツの言葉で眠気が一気に吹き飛んだ。クラウディアはガバっと身を起こし黒塗りの鞘を掴んだ。
柄は木造りで鞘とぴったり合うようになっている。
クラウディアはまず鞘の塗りをまじまじと見つめた。
「ルッツくんはいつも鞘を黒く塗るねえ」
「え、そうかな。あまり気にしたことはなかったな」
声に微かな動揺があるのをクラウディアは聞き逃さなかった。にぃ、と
「別に黒が特別好きって訳じゃないだろう。とりあえず黒く塗っときゃそれなりに見栄えはする、みたいな感じで塗っていないかい?」
「ぬっ……」
ルッツは図星を突かれて言葉に詰まった。この男に刀身以外の芸術的センスなど皆無である。
絵師に向かって、みんな同じ方向を向いていますねと言うような暴言であった。
「……クラウディア、俺はいじめられて
「あっはっは、そうだったねえ」
クラウディアは笑いながら匕首を持ち上げたりひっくり返したりして全体を確かめた。
「あの
「そんなにか」
「芸術品に決まった価格なんか無いからね。要は売り買いする当人同士が納得出来ればそれでいいのさ。見た目で凄いと思わせる、見栄えで凄いと自慢出来るっていうのは大事だよ」
ルッツはスープの入った食器とスプーンを二つずつ並べた。教会は手掴みで食べることを奨励しているが、合理性を重視するルッツにしてみれば面倒くさいの一語に尽きる。
硬いパンを焼いて皿代わりにするのも、テーブルに窪みを付けてそこにスープを注ぐのも、そこに意味を見いだせなかった。城壁の中ならばともかく、教会の目の届かぬ外ならば文句も言われない。それだけは気楽であった。
「ひとつ言い訳というか、誤解を解いておきたいのだが……」
スプーンで具を探しながらルッツが言った。
「刀というのは基本的に一人で作るようなもんじゃない。刀鍛冶、研師、白銀師、鞘師、柄巻き師など、分業で作り上げるものだ。俺は刀身と研ぎが出来る、鞘とか柄もそれなり……、うん、それなりに出来るだけ大したものだと思うぞ」
後半は自信なさげで、眼が泳ぐルッツであった。
「君に装飾まで要求するのは酷だというのは理解したよ。それなら装飾の出来る職人を探すのもいいかもしれないねえ」
クラウディアはスープを飲み干してスプーンを匕首に持ち代えた。ちなみに早飯喰らいは彼女の特技であり、ルッツはまだ半分程度しか食べていない。
「それでこの短刀だが……」
「匕首だ」
「あ、うん、アイクチね。その匕首だが、黒塗りも悪くはないが金箔細工で不死鳥などを描いたらもっと良くなるとは思わないかね?」
確かにそうすれば高級感は段違いだろう。宝剣と呼んで差し支えない出来になりそうだ。
「問題はそこまで手間暇かけたものを売る
「それなんだよねえ……」
城壁外に住む二人に貴族や豪商との付き合いがあるはずもなかった。どれだけ素晴らしい刀が完成しようと、
個人で細々と取引をしている分には構わないが、同業者組合に参加していない身で街中で店を構えて、へいらっしゃいと呼び込みをするわけにはいかないのだ。
たちまち怖いお兄さんたちに囲まれて、テメェ誰に断って商売していやがる、という話になりかねない。
前回クラウディアが騎士団に捕らえられたのは
パンをパン屋以外が焼いてはいけないとまで言われる世界である。他者の領分に手を突っ込むというのはそれだけ重罪であった。
ならばルッツも組合に参加すればいいのではないかという話になるが、ここにも問題が山積みであった。
まず、ルッツに身元保証人はいない。流れ者であった父の代から、由緒正しい不審人物である。そんな人間を雇う鍛冶屋は存在しない。
鍛冶をやりたければまず、他の鍛冶屋に弟子入りする必要があるのだ。そこで三年から五年は下働きと修行をして、ようやく雇われの職人という形になる。
諸国を旅して鍛冶を学んだ父からその全てを伝授されたルッツにとっては今さらな話であるが、ここで重視されるのは勤続年数であり技術ではない。
極端な話であるが、たとえば親方として腕を振るっていた者が戦火に追われ他の街で鍛冶をやろうとすれば、また徒弟からのやり直しである。
その土地の親方との関係が良好ならばある程度の仕事を任せてもらえるかもしれないが、立場が悪いことに変わりはない。
ルッツがそんな枠組みに入れば刀などという怪しげなものを作らせてもらえるはずもなく、数十年かけて親方の地位まで上り詰めた頃には刀鍛冶としての技術など錆び付いているだろう。
父に伝えられた技術こそ至高と信じるルッツには耐え難い事であった。
「ま、そう気に病む事でもない。きっと街のどこかで刀が欲しくてたまらん奴は出てくるさ」
「そうかな……?」
「手放した妖刀、ばら
クラウディアはどういうつもりで言っているのだろうか。ルッツを慰めるためか、あるいは本気でそう信じているのか。
わからないが、クラウディアと一緒ならばなんとかなるだろうという気がして、その言葉を素直に受け取る事にした。
「そろそろこいつのご開帳といこうじゃないか」
ルッツがスープを食べ終わるのを見計らって、クラウディアは匕首を掴み上げた。
「さてさて、ルッツくんの愛の形はどんなかな……?」
「止してくれ。出来が悪かったらまるで俺が愛していないみたいじゃないか」
「おや、出来が悪いのかい?」
「最高だとも」
「ふふん、ならばいいじゃないか」
鞘から引き抜かれ、現れた刀身は細身だが力強さを感じさせた。短刀にしては少々長いようにも思える。
「ほう、これは……」
クラウディアは匕首を様々な角度から見たり、軽く振ってみた。その度に唸ったり頷いたりしている。
「気に入ってくれたか?」
「たとえば死神が目の前にいたら、
「そんな機会があっても断ってくれ。匕首持って追いかけてくる死神とか、絵ヅラ的に最悪だ。怖すぎる」
「私も大鎌を持って行商には出られないからねえ。仕方がないからこいつを持ち歩くことにするよ」
笑いながらもクラウディアは匕首から目を離せずにいた。白銀の刀身に映る自分の顔が、別人に思えるほどに鋭い眼をしていた。
「刃渡りが少し長めなのは何故なんだい?」
「胸に対して垂直に突き立てれば、確実に心臓を破壊出来る長さだ」
「うん、なんというか、随分と物騒な答えにドン引きだよ」
「護身用だから小さくてもいい、というのは間違いだ。護身用なればこそ凶悪でなければならない。私に手を出せば殺す、賊が何人いようが最初にかかってきた一人は確実に殺すという圧力をかけるためにな」
「面倒くさい奴だと思わせるのだね。実際はそこから通行料くらいは払って、ある程度の納得はさせる形になるだろうけど」
「余計だったか?」
「いや、主導権を握っていられるというのは大事さ」
クラウディアは刃を己に向けてみた。ドクン、と心臓が一度大きく跳ねた。これは死を想わせる刃だ。自分に向けただけでもこうなのに、殺気を持って向けられたらどうなってしまうのだろう。
賊と交渉する時の手札が増えた。それだけは確かだ。
それはルッツがクラウディアの為にと想い、与えてくれた選択肢である。
「プレゼントにしては色気に欠けるが、もらっておいてあげようじゃないか」
憎まれ口を叩きながらもよほど気に入ったのか、クラウディアはどこへ行くにも匕首を肌身離さず持ち歩くようになった。
家の中でも腰に下げ、ベッドにまで持ち込もうとするのをルッツは必死に止めたものである。
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