異世界刀匠魔剣製作記

荻原 数馬

椿

第1話 魂まで斬れそうなほどに

 人殺しとは人が犯す罪のなかで最も重い禁忌きんきである。


 それなのに何故、人殺しの道具でしかない刀がこんなにも美しいのだろうか。


 鍛冶屋ルッツは研ぎ上げたばかりの刀に魅入みいっていた。水が流れ続けているかのような刃紋はもんと白銀の輝きから視線を外すことが出来なかった。


「美しい……」


 己がこれを一から作り上げたということが信じられなかった。まるで鍛冶の神が乗り移っていたのではないかと、そんな馬鹿な発想すら刀を見ながらでは納得してしまいそうだった。


 もうどれだけこうしているだろうか。時間の感覚が無くなり、寝食も忘れて何時間も刀を見つめていた。


「うぉっ!」


 ルッツは唐突に叫び出し刀から目を離した。


 自分は今、何をしようとしていた?


 刀に顔を近づけ過ぎて危うく眼球を斬ってしまうところであった。正気に戻るのがほんの一瞬遅れれば間違いなくそうなっていただろう。


 荒く息をつきながら刀を適当な布で包んだ。専用のさやはまだ作っていない。


「なんか、凄いことになったな……」


 腕を組み、置いた刀を布越しにじっと見ながら考え込んでいた。布を取り去って刀身を見たい衝動が思考を妨げた。


 素晴らしい刀が出来上がった。では、これをどうするべきか。それが問題だ。


 売る。鍛冶屋として当然の選択肢だが、問題はこれほどの逸品を扱うような大店と付き合いなどないことだ。刀を持って買ってくださいと押し掛けてもいいのだが、まずいことにルッツは鍛冶ギルドに所属していないモグリである。


 下手をすれば通報、投獄、財産没収という流れになるだろう。当然の成り行きとして刀も没収される。むしろ刀欲しさにルッツを捕らえる事くらいは平然とやってのけるはずだ。


 献上する。ギルドというルールを飛び越えて権力者側に接触するという手もある。そのまま貴族お抱えの鍛冶師になれるかもしれない。だがここでも、そんな伝手つてが無いことが問題となった。


 世間一般の感覚で言えばルッツは城壁外のボロ小屋で武器を作っている不審人物である。罪を犯していないだけの罪人だ。少なくとも体制側からすれば逮捕する理由は十分過ぎるほどにあった。ルッツが納得するとかしないとかは問題ではない。


 良いものが出来たから売る、そんな当たり前の事すら出来ない我が身がもどかしく惨めでもあった。


 己の差料とする。悪くはないが、ルッツは別に冒険者でも傭兵でもない。出歩く時は賊避けに武器くらいは持ち歩くが、国宝級の名刀を差すのは大袈裟に過ぎる。これが盗賊を呼び寄せる事になっては本末転倒だ。


 箪笥たんすの奥にしまって今日の事は忘れて生きる。現状、それしか方法は無い。だが本当にそれでいいのだろうか。


 箪笥にしまって何が変わるというのか。会心の一振ひとふりが出来上がったのは己の技術の集大成であり、人生の転機ではないのだろうか。そこから目を逸らして何になる。


 わからない、どうすればいい。布越しに問いかけるが、妖しいまでに美しい刀は何も答えてはくれなかった。


「ごきげんようルッツくんッ!」


 黙考もっこうは騒がしい女の声で破られた。


「……入る前にノックくらいしてくれ」


「おっと、自前の槍磨きでもしていたかね。こいつは失敬!」


 この下品な女の名はクラウディア。ルッツの数少ない取引相手である。訳ありの鍛冶屋から安く買い叩いて売り捌く奴、というのがルッツからの評価であるが、他に頼る者もいないというのも事実であった。


「まあ小粋なジョークはともかく、鍛冶工房なんてクソやかましい所でボロドアをノックしたって聞こえるわけがないだろう?」


 クラウディアはまったく悪びれる様子もなく、ルッツは説得を早々に諦めた。


「注文の品なら出来ているぞ」


 ルッツは部屋の片隅を指差し、クラウディアは木箱に手を入れて中身を取り出した。木箱の中にはわらが詰められており、一箱につき五本の斧が入っていた。そんな箱が四つ、計二十本だ。


 クラウディアは斧を一本取り出し、軽く振ってみた。握りも重量バランスも悪くない。粗悪品ともなるとバランスの悪さからすっぽ抜けたり、つかに巻いた革がバラバラにほどけてしまったりするものだ。クラウディアは満足げに頷いて見せた。


「いいじゃないか。では、馬車への積み込みを手伝ってくれたまえ」


「いい加減、下働きか何かを雇えよ」


「独りで鍛冶をやっている君に言えた義理かね」


 仕方がない、とルッツが腰を上げちらりと刀に目をやった。クラウディアはその動きを見逃さず、視線を追うと棒状のものに布がかけられているのを見つけた。


「ふぅン……。ルッツくん、それは新作かね?」


「売り物じゃないぞ」


「売り物かどうかというのはね、商人と鍛冶屋が交渉して初めて決まるものさ」


 止める間もなくクラウディアは薄汚れた布を取り、なかごという研ぎを入れていない持ち手部分を掴んでじっと刀身を見つめた。直接刀身に触るのは湿気、油分、指紋が付くのでよろしいことではない。


 刀身を摘まむようなルール違反をしていれば背中を蹴飛ばして追い出すつもりであったが、もうこうなっては見せてしまう他はないだろう。誰かの感想が欲しいという気持ちもあった。


 クラウディアは刀を見たまま動かない。まるで蝋人形のように感情が抜け落ち、視線も固定されていた。


 やはり自分だけではなかったとルッツは納得した。この刀には恐ろしいほどに人を魅了する力がある。


 クラウディアの瞳に妖しく危険な光が宿る。徐々に、引き寄せられるように顔と刀身が近づいていく。


「はい、そこまで」


「ぐぅえッ」


 ルッツは背後からクラウディアの襟首えりくびを引っ張った。少々首が絞まったようだが、正気に戻ったようだ。振り向いて恨みのこもった目を向けてきた。


「何をする、危ないじゃないか」


「二枚舌が必要だったというのなら恨んでくれて構わんが」


「んん?」


 クラウディアは舌をしまい忘れた猫のような顔をしていた。


「……私は何をしようとしていた? ここ数分の記憶が無いのだがねえ」


「刃を舐めようとしていたんだよ」


「なんてこった……」


 刀身を置いて布をかけるが、クラウディアはまだ名残惜しそうにちらちらと見ていた。おかしなことをしているという自覚はある。


「ルッツくん。これ、魅了チャームの魔法でもかかっているのかい?」


「俺に魔法は使えない。付呪ふじゅ師に頼む金もない」


「なるほど、そりゃあそうだ」


「納得されても困るんだよなあ……」


「ふふん、貧乏人同士はお互いの懐具合がなんとなくわかるものさ」


 二人は布で覆われた刀を挟んで話を続けた。


「ついでに君の悩みも当ててやろう。どこに売ればいいのかわからない、そうだろう?」


「大正解だクソッタレめ。クラウディアはどうだ、どこか売るアテとか無いのか」


「捨て値でさばくならともかく、好事家ものずきのお貴族サマとかに知り合いはいないねえ」


「そうだよなあ。ちなみに、貴族の知り合いがいたとしていくらで売れると思う?」


「ふぅン……」


 クラウディアは顎を撫でながら考え込んだ。真剣な商売人の顔である。商人と鍛冶屋、まったくジャンルは違うがプロとしての顔をしている者の邪魔をしてはいけないだろうと、ルッツは口を挟まず黙っていた。


「金貨五十枚。相手が筋金入りの武器マニアだったら交渉次第で百枚いけるかもね」


「凄まじいな。刀一振で家が建つ」


「とは言え、売る手段が無いのだからどうしようもないねえ。空きっ腹を抱えて金貨百枚を眺める気分はどうだい?」


「……この話はもう止そう。泣きそうだ」


「売り捌く方法についてはこちらでも考えておこう。旨味うまあじなもうけ話は、是非とも一枚噛ませて欲しいものだねえ」


「とりあえず目の前の堅実な商売から片付けよう」


 クラウディアは肩をすくめて見せてから、木箱を持って馬車へと向かった。


 揺れる大きな尻を眺めながらルッツも木箱を運び出す。


 斧の代金を受け取り、馬車が去るのを見届けてからルッツは自分が徹夜明けであることに気が付いた。


 一気に襲ってきた疲労と眠気に抗いながら刀をチェストにしまい、硬いベッドに倒れて込んで泥のように眠った。




 それから一週間が経ち、二週間が過ぎた。普段ならばクラウディアから新たに注文が入るものだが、彼女は一向に姿を現さなかった。


 ルッツはあの刀の事が気になって、ただぼんやりと過ごしていた。刀としての体裁を整えるためにさやつばつかなども作ってみたが彼には芸術的センスというものが欠落しており、刀身の美しさに対して安っぽい玩具のようなものしか出来なかった。それがますますルッツの創作意欲を削いでいった。


 特にやることもないので毎日昼間から酒場に行くしかなかった。


 城塞都市の外にある酒場は壊れてもすぐに建て直せるよう、安い造りであった。下手をすれば台風が来ただけで建物が潰れてしまいそうだ。


 ルッツが店に入ると、顔見知りの店主がニヤニヤと笑って言った。


「よう大将。商売繁盛で何よりだ」


「つまらんごとはよせ。取引先から注文が入らないから安酒かっくらうしかやる事が無いんだよ」


「何だ、知らなかったのか」


「んん?」


「クラウディアの奴なら逮捕されたぞ」


「んんん!?」


 まだ一滴も飲んでいないのにひどく酔っ払ったかのような気分であった。

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