脱サラして田舎で農業を始めた夫婦の話

紅茶党のフゥミィ

ただいま

 あるところに若くして出世した男が居ました。子宝にはまだ恵まれていませんが、美しい妻と共に順風満帆な生活を送っておりましたとさ。

 ある日のこと、男はいつものように仕事へ向かおうとしましたが、突然の喀血で救急搬送されました。原因はストレスと汚染された都会の空気です。

 医者から告げられたのは療養でした。

 今の仕事を辞めて、どこか空気の良い田舎で過ごされては如何ですか、と。

 男は悩みましたが、愛する妻を遺して逝きたくはなかったので、退職を決意しました。幸いなことに貯蓄は十分してあり、当分は療養に当てられそうでした。

 療養先にとある村を勧めてくれたのは同期の一人でした。

 もう何年も帰っていませんが、故郷は空気も良くて、土も良い。農業でも始めてみては如何ですか、と。

 その話が決め手となり、男は妻と共にその土地へと移住しました。

 聞いていた通り、空気は良く、畑の広がるのどかな雰囲気が療養にピッタリでした。

 他所の土地からの移住者が珍しいのか、村の人々が代わる代わる挨拶をしに来ました。男も妻も人当たりの良い柔らかな雰囲気だったので、当初は上手くやっていけるか不安だった村人たちも安心しました。

 男は畑を借りて、農作業を始めることにしました。村人たちも積極的に協力してくれましたが、野菜はほとんど育たず、男と妻は落胆しました。そんな二人を見て、村人たちは自分たちの畑で採れた野菜をお裾分けしてくれます。それらはみずみずしく、食味も抜群でした。

 男はある日、村人に訊いてみました。何かコツがあるのか、と。村人は答えました。

「やっと聞いてくれたかね」

 村人は男を手招きすると、村の奥へと歩いて行きます。そちらの方には豊作祈願の祠と小さな小屋があるだけです。不思議に思いながらも男は付いて行きました。

 村人は鍵のかかった小屋の中へと入っていくと、一つ袋を持って出て来ました。そして、それを男に手渡しました。

「良く効く肥料だ。これを撒けば間違いない」

 村人に言われた通り、男は畑に貰った肥料を撒きました。すると、野菜はみるみる成長し、その年は大豊作となりました。

 村人たちに誘われ、男と妻は収穫祭へ参加しました。沢山の野菜を用いた煮物は、本当に美味で、食べても食べても無くなりません。まさに大豊作でした。

 祭りが落ち着き始めた頃、男は村の若い娘たちから酒を何度も勧められ、泥酔してしまいました。妻の方は村の年寄りたちから伝統的な踊りを習っていました。豊作の舞です。

 妻が豊作の舞を披露します。泥酔した男の目には、その舞が残像を伴って見えました。何人もの女性が重なって踊っているイメージです。妻の姿ももうハッキリとはしていません。男はそのまま眠ってしまいました。

 翌日、男が目覚めると、周りには村の娘たちが裸で眠っています。動揺した男が娘の一人を起こして事情を訊こうとすると、その娘は寝ぼけ眼で男に抱き着こうとしました。それを慌てて避けると、男は自宅へと向かいました。気付けば男も裸でした。

 家に妻は居ませんでした。服を着ると、男は妻を探しに出かけました。二日酔いで痛む頭を何とか働かせて、妻の名を叫びます。

 男の足は自然と祠の方へと向かっていました。何故かそこに導かれているように感じます。

 祠にはお供え物として大量の野菜が置かれています。その、みずみずしく色鮮やかな野菜の隙間にキラリと光るものがありました。震える手を伸ばして男が取ると、それは冷たく光る鍵でした。

 鍵を開け、小屋に入ると、中には肥料の入った袋が散乱していました。そして、奥には地下へと続く階段がその口を開けていました。

 階段を覗いたその時、男の後頭部に衝撃が広がりました。薄れゆく意識の中で見えたのは、残念そうな顔をする村人と、その手に持たれた錆びた斧でした。

 男は意識を失いました。

 村人は気絶した男を引き摺ると、階段をゆっくりゆっくりと下りて行きました。

 男が目覚めると、目の前には肌襦袢だけを着た妻が居ました。しかし、どこか目は虚ろで、男のことも分からないようです。

 妻に近寄ろうとしましたが、村人たちにがっしりと抑えられ、身動きが取れません。口にも猿ぐつわを噛まされていて、唸ることしか出来ません。

「これより、豊穣の儀を執り行う」

 儀式が始まりました。一糸纏わぬ姿となった妻の体が縄で中空へと吊るされ、まるでお産の時のような体勢となりました。

「贄を入れよ」

 妻の胎内へ野菜が次々と入れられていきます。妻は恍惚とした表情をしており、男も思わず見蕩れてしまいました。

 そして、妻の腹部は人間のものとは思えないほどに膨れ上がりました。どこか神々しさも感じられます。

「鋤を入れよ」

 妻の腹部を畑に見立て、鋤で穴を掘るように腹を撫でます。するとお産が始まりました。ポトリッ、ポトリッとナメクジのような何かが妻から出てきます。

「おおっ、新たな糧じゃ……!」

 村人たちがウネウネと動くそれを袋に詰めていきます。その時になって、男にも分かりました。あれが肥料の正体なのだ、と。

「さあ、あんたも早く入れなさい」

 拘束を解かれ、男もナメクジ集めに参加させられました。不思議なことに妻の心配よりも、畑の肥料が手に入る喜びの方が勝っていました。神秘を間近に見たことで男もおかしくなってしまったのかもしれません。


 今年も男は畑へ行きます。肥料を撒き、豊穣を待ちます。そして、作業の合間に地下へと赴くと、妻に会いに行きます。

「ただいま。見てご覧、俺に似て可愛いだろう」

 この村で久々に実った赤ん坊を、男は愛おしそうに妻へと見せました。

「あら……可愛い子ね」

 妻は片目から涙を流しながら、顔の片方は笑顔です。少しやつれてきましたが、まだまだ元気です。


 今日も地下からポトリッ、ポトリッと音が聞こえます。

 豊穣はまだまだ続きます。

 

 

 




 

 

 

 

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脱サラして田舎で農業を始めた夫婦の話 紅茶党のフゥミィ @KitunegasaKiriri

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