埋もれがちな彼女

koharu tea

第1話

 この地球には人の数だけストーリーが存在する。


 例えば営業の緑川さん。三十七歳独身、仕事に人生捧げてます、なんてセリフがぴったりの所謂キャリアウーマン。去年の忘年会ではここまで来たらもう独身街道突っ走ります、とか言ってビールをがぶ飲みしてたっけ。その三ヶ月後、社内一イケメンと名高い私の一つ下の如月君と交際を始め、何だかんだ今年の年末には籍を入れるらしい。一般的に見れば少し遅めの結婚なのかもしれないが、それでも紛うことなきシンデレラストーリー。大円団だ。


 例えば後輩の辺見ちゃん。多少おっちょこちょいな感じは否めないものの、何をするにも一生懸命な皆の愛されキャラ。ふんわりとパーマのかかったロングヘアに派手すぎないメイクも相まって、まさに少女漫画の主人公のような子だ。そんな彼女も高校時代から付き合っている彼氏とめでたくゴールインし、今月末には夢の寿退社だ。


 そして私、森永ちさと。二十八歳独身。三年前に彼氏と別れてからは誰ともお付き合いをしておらず、今年のクリスマスも恐らくおひとりさまだ。

 このご時世、アラサー独身彼氏なしなんて何にも珍しくはないが、世代の違いは恐ろしい。実家に帰ればプレッシャーをかけられるのがお決まりパターン。ああ、今年の年末は帰省をやめてしまおうか。


「坂本さん、何か手伝います?」


 自分の担当業務がひと段落し、私は斜め前のデスクに座る坂本さんに声をかける。

 時刻は午後八時半。定時からは早くも二時間半が経過している。

 今週は私も残業が続いていたが、決まって彼女もオフィスに残っており、そして決まって私の方が早く退社していた。


「ありがとうー! でも大丈夫。あとちょっとで終わりそうだし。ちさとちゃんも今週結構ハードだったでしょ。今日はもう帰って、週末ゆっくり休んで」


 そう言うと坂本さんはニコリと微笑む。

 果たしてあとちょっとで終わりそうが嘘か本当か分かりはしないが、本人がこう言っているのだからここは素直に帰らせてもらおう。


「じゃあ、お先です」


「うん、お疲れ様」


 オフィスを出てエレベーターに向かうと、先にエレベーターを待っていたらしい緑川さんと如月君が目に入る。なんてタイミングが悪いのだろう。そしてこういう時に限って見計らったかのように他の人影はない。やっと長い一週間が終わったと心なしか軽かった足取りも、今はまるで鎖がついたかのように重く感じる。


「あれ、ちさとちゃんも今帰り? お疲れ様」


「お疲れ様です。今週結構バタバタしてて。えっと、お二人も?」


「ううん。私の方が来週の提案用の資料にちょっと手こずっちゃってさ」


「いや、俺も今期のデータの見直しとか色々してて」


 ああ、なんといじらしいフォローなんだろう。

 一刻も早くここから離れねば。


 チン。


 音とともにエレベーターの扉が開く。

 いつもならそう長くは感じない四階から一階までのこの時間も、今日に限ってはそれはもう長く長く感じる。正直なところ、私が気を遣うのも変な話ではあるが、やはり気まずさは拭えない。あと少し机の整理でもしていればこんな場面には出くわさなかったはずなのに。私は心の中でため息を漏らす。


 程なくして再びチン、という音とともにエレベーターの扉が開く。

 私は再度お疲れ様です、と挨拶をすると足早にビルを後にした。


 「今週もお疲れ私!」

 

 コンビニで買ったビールを片手に一人呟く。特別酒に強いという訳でもないが、いつからか仕事終わりの一杯というのが恒例となっていた。昔はビールなんて苦いだけと思っていたのに、今ではどうもこれがないとしっくりこない。気に留めないだけで、昔と変わってしまったことが私にはいくつあるのだろう。

 何気なくつけたテレビには、最近売れ始めた若手芸人がハイテンションでトークをする姿が映っている。必死に爪痕を残そうとしているのだろう。トークの内容よりもその姿の方が印象的だ。

 私はビールのお供にと買った餃子を頬張ると、ズルズルと思考の波に飲み込まれていく。


 思えば高校受験から就活までことごとく希望は通らない人生だ。人並みに努力はしたものの希望の学校には通えず、長い就活の末にたどり着いたこの会社も今となっては何故受けようとしたのかすら覚えていない。密かに思い描いていた小さな夢も、この人と結婚するのかなという淡い期待も見事に崩れ去り、気づけば年齢だけは良い大人と呼ばれる数字に達してしまった。

 けれども人生に絶望しているかと言えばそうではない。良くも悪くも私は普通なのだ。自分の抱える悩みなんてきっと大勢の人が抱えているし、特別秀でた部分もなければ特別不幸な境遇に置かれている訳でもない。どこまでいっても私は一般的で、一般的で、一般的。

 ただ時折、どうして自分は何も掴めていないのだろうと自分自身に答えのない問いを投げかけるのが癖になっていた。

 プライベートを犠牲にして必死に仕事に打ち込んでいたら、嫌なことがあっても笑顔を絶やさず健気に生きていたら。過去無数に存在した分岐点で、不正解を選び続けていなかったら。そうしたら、運命の女神は私にも微笑んでくれたのだろうか。たとえ失敗ばかりの人生でも、この先ひたむきに生きていけば、いつかは心から望む幸せを自分自身に見せてあげることができるのだろうか。


「……くっだらない」


 答えの出ない問いを続ける自分自身への言葉なのか、大して面白くもないトークを繰り広げる芸人にに対して放った言葉なのか、自分でさえもよく分からない。思った以上に疲労が溜まっているのか、今日はなんだかすぐにお酒が回りそうだ。

 こんなことを考えても意味はないと思いながらも、意に反して行き場のない感情はふつふつと湧き出て渦を巻く。きっと大人が酒を飲むことを許されるのは、酔ってこんな感情をうやむやに溶かしてしまうためなんだろう。そんなことを考えながら私は手に持ったビールを一気に飲み干した。




 たとえどこまで深く沈んでも、月曜日はやってくる。

 ひとまず先週で山場は越えたとは言え、月曜日はだいたい忙しいものだ。土日にも送られてきてるであろうメールの確認に、午後に使う資料の最終チェック。もちろんどれも手馴れた作業だが、やっぱり月曜日の朝の気の重たさは変わらない。


「先輩おはようございます!」


「辺見ちゃんおはよう」


 月曜の朝と言えど、彼女はいつも通りの可愛らしい笑顔を向けてくる。


「あの、この前打ち合わせに来てたベンチャー企業の社長って覚えてます? 帰り際にすれ違ってちょっと話した、私の幼馴染の」


 彼女はくるりと椅子を回転させ、私の方に体を向ける。


「ああ、うん。覚えてる覚えてる」


 確か人事管理システムを開発していて、少人数ながらも今勢いに乗ってる企業だとかなんとかってこの間辺見ちゃんが話してたっけ。社長を見たのはほんの一瞬だったけど、爽やかな好青年、だった気がする。


「それで今週の木曜日にもう一回打ち合わせでこっちに来るらしくて、せっかくだから私の結婚のお祝いも兼ねて飲みに行こうって話になったんですけど……」


「うん」


「先輩、木曜日空いてますか?」


 予想していなかった質問に不意をつかれるも、私は今週の予定を思い返す。


「木曜日は大丈夫だと思うけど……幼馴染がお祝いしてくれる場に私がいていいの? あ、二人きりだと彼に申し訳ないとか?」


「いや、そうじゃなくてですね。話してみたいらしいです、先輩と」

 

 まったく人生というものは気まぐれだ。大半のことは頑張っても頑張らなくても良い景色なんて見せてくれないし、そうかと思えば突然得体の知れない何かを目の前に落として去っていく。果たして目の前に落ちて来たこの何かが、求めるものに変わるのかそうでないかは、結局私次第なのかもしれない。



 





 





 

 

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