第37話 姉妹の絆

「あっ、裕介君!」


 そう声を掛けられたのは、昇降口にて、急いで黒亜の元へ向かおうと、上履きから外履きへ履き替えている時のことだった。

 振り返れば、そこには、今まさに探している人物が目の前にいて――


「理恵さん⁉」


 なんと廊下に立っていたのは、黒亜の姉であり、行方不明になっていた理恵さんだったのだ。

 隣に教員がいることから、何やら学校に用があったらしい。

 俺は慌てて引き返して、理恵さんの元へと向かう。


「理恵さん、心配したんですよ! 黒亜から失踪したって聞いたから!」


 俺がそう言うと、理恵さんはキョトンと首を傾げた。


「私が失踪? 嫌だー、私がそんなことするわけないじゃない」


 そう言いながら、理恵さんは手を招きながらくすくすと肩を揺らす。


「実はね、今、私のお店で出店してるサンドウィッチを購買で発売しないかってお話をいただいてて、その打ち合わせをしていたのよ」

「えっ……うちの学校にですか?」

「そうそう。それで、話が弾んじゃってね、気づいたらこんな時間になっちゃってたってわけ」

「な、なんだ……」


 俺はほっと肩の力が抜ける。

 ひとまず、理恵さんがどこかへ消息不明になってしまうような事態にならなくてよかったと一安心だ。


「黒亜に連絡返してあげてください。アイツ、理恵さんがいなくなったって凄く心配してますから」

「えっ? あっ、ごめんなさい、スマホの電源を切ったままにしてたわ。つい昔からの癖で」


 その後、理恵さんがスマホで黒亜に連絡したことで、無事に問題は解決、俺も不安も杞憂に終わったわけだけれど……。


 俺と理恵さんは、一緒に喫茶店『RAMSラムズ』へと向かいながら、当該の話を聞いていた。


「なるほど、つまり、うちの教員が理恵さんのお店に偶然入ったときに、その味にほれ込んで是非学校で売ってくれないかと?」

「そうなのよ。最近は礼音君達が手伝ってくれてるおかげで、時間も出来てきたし、そろそろ事業を拡大しようと思っていたところで、棚から牡丹餅みたいな話が舞い込んできたの。ほんと、世の中って何が起こるか分からないわよね」


 理恵さんは嬉しそうに事のいきさつを語ってくれている。


「本当にそうですね。ご縁って何があるか分かりませんからね」

「そうなのよ! あっ、ほら! この前、黒亜ちゃんが礼音君の事校門で待っていた日があったでしょ? その日が初めての打ち合わせ日だったのよ」

「なるほど、だからあの日、黒亜が校門で俺を待ってたんですね」

「私は先にお店に戻ったんだけど、礼音君と一緒に行くって黒亜が聞かなくて……。ほんと、昔からあの子は礼音君のことになるとすぐそうなんだから……って、今のは聞かなかったことにしてて頂戴」

「は、はぁ……」


 昔から黒亜のことを知っているつもりではあったけれど、理恵さんから見た見解は少し俺とは異なっているらしい。

 そこでふと、黒亜が耳かきをしてくれた日の事や、漫画喫茶で膝枕をしてくれたの日のことを思い出す。

 黒亜は、俺のことをからかうどころか、まるで彼氏のように扱って……。


 って、いや、ないない。

 黒亜に限ってそんな事……。


「ねぇねぇ、礼音君は、誰か好きな人と書いたりするの?」

「えっ⁉」


 唐突に理恵さんに尋ねられ、俺は思わず変な声を上げてしまう。


「だって、高校生だものね。青春真っ盛りなんだから、好きな子の一人や二人、いてもおかしくないでしょ?」


 そう言いながら、理恵さんは興味津々といった様子で目を輝かせて尋ねて来る。


「い、いませんよ。そんなの」

「あら、そうなの? でもこの前、黒亜ちゃんが部屋でぶつぶつ言ってたわよ。礼音君に彼女が……って」

「いやっ……それには色々と深い事情がありまして」

「何々ー? お姉さん気になるなぁー」


 きらきら顔で問い詰めてくり理恵さんから逃れるように、俺は視線を逸らして一つ咳払いをした。


「とにかく! 俺に彼女なんていませんから!」

「ちぇーつまんないのー」

「ほら、さっさと行きますよ。開店時間も迫ってますし」

「そうね、黒亜が寂しい思いしてるでしょうし、急ぎましょうか」


 なんとか話を逸らすことに成功して、俺と理恵さんは気持ち駆け足で、お店へと向かうのであった。



 ◇◇◇



 お店の前に到着すると、入り口前の階段に座り込み、体育座りをして頭を下に向けている黒亜の姿があった。


「黒亜ちゃーん!」


 理恵さんがポワポワとした声を上げて手を振ると、黒亜が顔を上げた。

 黒亜はすっと立ち上がると、物凄い剣幕な表情を浮かべながら、理恵さんの元へと詰め寄って行く。

 そして――


「お姉ちゃん……もう!!!!」


 甘えるようにして、ガバっと理恵さんに抱き着いた。

 黒亜を優しく抱き留めるようにして、理恵さんは黒亜の頭を優しく包み込む。


「ごめんなさい。黒亜に寂しい思いさせちゃったわね」

「私……急にお姉ちゃんがいなくなっちゃったら。嫌われたのかと思った」

「もう……私が黒亜のことを嫌うわけないでしょ。私にとっても、黒亜が唯一の家族なんだから」

「お姉ちゃん……」

「だから、今日は本当にごめんなさい。お姉ちゃんが悪かったわ」

「うん……平気だよ。お姉ちゃんが無事でよかった」


 姉妹の睦まじい光景を目の当たりにして、俺はじっと二人から少し離れたところで見守っていた。

 いくら幼馴染で深い間柄とはいえ、二人の間には、俺が隙入ることの出来ない不可侵の領域みたいなものが存在する。

 それは、大塚姉妹が歩んできた、両親を失ってしまったという、壮大な体験の数々が、彼女たちの絆をより強固なものにしているのだろう。


 俺はその当時、彼女たちに何もしてあげられることが出来なかったのだから、そこへ入っていくことさえ許されてはいないのだ。


 そんな感傷に浸っていると、黒亜と理恵さんがほぼ同タイミングで回していた腕を離した。


「さっ、しんみりタイムもこれでおしまい! 開店準備始めるわよ!」


 切り替えるようにして手を叩く理恵さんに続いて、俺と黒亜は頷き合う。

 理恵さんがカギを開け、三人はお店の中へと入っていく。

 これからも二人の姉妹は、もっともっと幸せになって欲しいと心の中で願うのであった。



 しかし、これだけで終わることが無いことを、まだこの時の俺は知る由もないのである。

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