第36話 突然の失踪

 放課後、俺は理科実験室にて、クラスメイトの沼部悠羽ぬまべゆうはに、渾身の土下座をかましていた。


「誠に申し訳ありませんでした」

「一応聞くけど、どうして私の配信を聞かなかったわけ?」

「それはですね……色々と葛藤がありまして……」


 それは、俺と悠羽が主従関係を結んだ日の夜に遡る。

 俺の言われた通り、悠羽ゆうはの配信者名でもある『園田そのだわかば』のASMR罵倒配信を視聴するため、ベッドでスタンバって、ポチポチとTwit〇erを眺めていた時のこと。

 タイムラインを見ていたら、ふと目に止まったのは、最推しのASMR配信者である『夏川なつかわゆら』ちゃんのツ○ートだった。


【みんなこんばんはー! 突然だけど、今日はゲリラで24時からASMR配信やります! みんなも聞きに来てくれると嬉しいな♪】


「な……なんだと⁉」


 24時からということは、悠羽のASMR配信と丸被りになってしまうわけで……。

 まさかのブッキングに、俺は唸り声を上げてしまう。


「ぐっ……ゆらちゃんが……俺を待ってる! がしかし、悠羽の配信をもし聞かなかったってバレたら……悠羽にどんな仕置きをされるか分かったもんじゃねぇ……!」


 ゆらちゃんを取るべきか、それとも友人の約束を守るべきか。

 迷った結果――


『やっほー。みんなこんばんは。夏川ゆらだよー! 今日は急なゲリラ配信にも拘らず、来てくれてありがとう。そんなみんなの疲れを癒すために、今日もお耳をゴリゴリお掃除していくね♪』


 俺は、自分の欲望を選んだ。


 その結果、悠羽に配信内容について聞かれた際、曖昧に答えることしか出来ず、園田わかばの配信を視聴していなかったことがバレてしまい、絶賛お説教を受けているのである。

 

 事の次第を説明し終えると、悠羽は呆れたように盛大にため息を吐いた。


「信じらんない。まさかオイルマッサージより綿棒の甘々耳かきの誘惑に負けるとか。ほんと雪谷ないわ」

「も、申し訳ねぇ……罰なら何でも受けますから」


 頭を地べたに着けてさらに頭を下げると、頭頂部にドスンと何かがのっかった。

 どうやら、悠羽が足裏でぐりぐりと俺を踏んでいるらしい。

 踏み付ける悠羽と、踏み付けられる俺。

 まさにこれは。姫と下僕の主従関係がはっきりと示されている構図。

  だからこうして、足でフミフミと踏んでもらっているわけだが、ちらりと視線を上げれば、上履きを脱いで、靴下越しにぐりぐりしてくれていることに、変態台賀との優遇の違いを感じた。


「勝手に違う女のASMR配信見て浮気してる雪谷には、それ相応のお仕置きが必要だよね」


 そう言って、悠羽は一度礼音の頭から足を話したかと思うと、今度はしゃがみ込んでがしっと俺の顎を手でつかみ、ぐいっと視線を強制的に上げさせられる。

 目の前には、凍り付くような視線で俺を睨み詰める悠羽の姿があって――


「ご、ごめんなさい」


 と謝り、俺が視線を下へ逸らすと、とんでもないものが視界に入りこんでくる。

 視線の先には、しゃがみ込んだ悠羽の足があり、その膝と膝の隙間から奥へと進む、しっとりとした太ももの先に見える、まばゆい白い布地が――


 とんでもない光景を目の当たりにしてしまい、俺が言葉を失って呆然としていると、 

 悠羽も俺の視線に気が付いたらしい。

 きゅっと両足を閉じて絶対領域が隠されたかと思うと、再び俺の顎を手でぐいっと押して、無理やり顔を上げさせられる。


「ふふっ……他の女に浮気しておきながら、私のパンツを覗き込むなんて、言い度胸してるじゃない。そんな浮気性な雪谷には、もう二度と他の女が目に入らないよう、しっぽり調教する必要がありそうね」

「ひ、ひぃぃぃっ……ご、ごごめんなさい!!!!」

「謝っても無駄。だって雪谷は、私の可愛い、可愛い、奴隷なんだから♪」


 さらに悠羽を怒らせてしまい、過去最大級のお仕置きを覚悟して、俺が身体をビクつかせて怯えている時だった。

 

 ブーッ、ブーッ。


 俺のポケットにしまい込んでいた、スマホのバイブレーションが無音の理科実験室に鳴り響いた。

 ずっと鳴り止まないことから、誰かからの電話であると思われる。

 悠羽はチっと軽く舌打ちしてから、俺の顎から手を離して立ち上がった。


「ったく、タイミングが悪いわね。早く出て用件済ませなさい」

「わ、悪い」


 一言詫びの言葉を入れてから、俺はポケットからスマホを取り出して画面を確認すると、黒亜からの電話だった。

 俺は通話ボタンを押して、スマホを耳元へと近づける。


「も、もしもし?」


 恐る恐る声を上げる。


「礼音⁉ やっと出てくれた! お姉ちゃんが……お姉ちゃんが大変なの!」


 電話越しから聞こえてきたのは、黒亜の今にも泣きだしそうな切羽詰まった声だった。


「理恵さんがどうしたんだ? 落ち着いて状況を説明してくれ」


 俺が冷静な声で促すと、黒亜は震える声でゆっくりと言葉を紡ぐ。


「お姉ちゃんが、いなくなっちゃったの……」

「え”⁉ いなくなった⁉」

「一回家に帰ってからバイト先に行ったら、お店に鍵が閉まってて、お姉ちゃんに連絡しても全然電話に出なくて……」


 黒亜の声がどんどん細々としたものへと変化していく。

 両親を亡くし、黒亜の心の支えである理恵さんがいなくなってしまい、パニック状態になっているのだろう。


「分かった。今すぐ向かうから待ってろ! もしかしたら、普通にどこかにお出かけ中で、黒亜の連絡に気づいてないだけかもしれないから、心配だとは思うけど、ひとまず落ち着いてからもう一度理恵さんに電話してみて」

「うん、わかった」

「それじゃあ、一回切るよ?」

「うん」


 俺は電話を切ってから、すぐさま踵を返して、理科実験室を後にする。


「ちょ、雪谷。どこ行く気⁉」

「悪い悠羽、急用が出来た。今日の件に関しては今度絶対埋め合わせするから!」


 そう悠羽に言い切って、俺はバッグを肩に掛けて、理科実験室の扉を開け、一直線に昇降口へと走っていく。

 流石の悠羽も、ただならぬ事態だということを理解したのだろう。

 俺のことを咎めることはせず、無言のまま見送ってくれた。


「一体何がどうしちまったんだよ……」


 理恵さんの事だ。

 普通であれば、何かしら連絡の一つぐらい、黒亜に入れていても可笑しくないのに……。


「いやっ……悪いことは考えるな」


 俺はぶんぶんと首を振り、最悪の事態を頭の中で想定することを止めた。

 とにかく俺に今できることは、黒亜のそばにいてやれることだけ。

 俺は急いで、黒亜がいるであろうバイト先の前へと向かうのであった。

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