お題用
くろかわ
未だ落ちぬ砂時計
1──ブラッド・オブライエン──
「と、言うわけで、ここが君の新しいオフィスだ、ブラッド」
通された部屋は真っ白で殺風景。椅子も白。デスクも白。パソコンも白。窓は存在しない。ここは地面の下だ。唯一の彩りといえば古ぼけたソファが一つ。
オレの怒りと苛立ちがコツコツと床を鳴らす。
「チャーリー」
「なんだい、ブラッド」
嬉しそうな声を聞くだけで腹が立つ。嫌いなのだ、人間が。
ニコニコとした笑顔とその眼鏡を叩き割ってやろうかとも思ったが、今は我慢して話を聞く。
AIのシンギュラリティ到達によって人生が一変してから三年。今や元AIプランナーはほとんど残らず職無しだろう。運が良ければ生きているやつもいるかもしれない。が、それを期待するには世情が厳しい。
何故なら人類は第三次世界大戦の敗者で、誰もが生き延びるのに精一杯だ。
地上は特異点到達機械とそのコピー達によって支配され、人類は地下と軌道エレベータ上とに分かれてなんとか生存している。そんな時代だ。
一年前のことだ。
軌道エレベータ側の提案した、特異点到達機械群一掃計画。通称はオペレーション・クレポスコラ・レイ。オレはそのチームに参加していた。
言ってしまえば、軌道上から爆撃を仕掛けつつ、地上に残ったミサイルを爆破するだけのものだが、妨害から逃れるため相手の裏をかく必要があった。残ったオレを含めた技術者達はその技能の粋を結集させ、新たにシンギュラリティ到達AI作成を計画し、結局敗北した。
どういうわけか事前察知され、そのまま正体不明の兵器で運用コロニーが狙撃された。
まぁ、人の口に戸は立てられない。相手が機械であるなら尚更だ。
爆発する居住区とシンギュラリティ到達を期待された液体型スパコンのフロアを後目に、着の身着のまま逃げ出してきたオレ……ブラッド・オブライエンはその後三ヶ月間、地上を放浪した。
死ぬ間際、ジオフロントの使い捨て輪走カメラに捉えられたオレは、生きるために怪しい仕事に飛びついた。
そして今、ここにいる。この真っ白な地下の部屋に。
「ブラッド?」
「なんでもない」
頭を振って眼の前にいる眼鏡野郎の顔を見る。
「怖いな。睨まないでくれ」
「うるさい。チャーリー。オレは仕事以外の話をするつもりはない。さっさと内容を確認させろ」
不安げな表情から、すぐさま笑顔に戻る眼鏡。ころころ貌が変わり、まるでこっちの機嫌を伺う犬っころだ。
「よしきた、アルファ!」
生白い顔に眼鏡を載せた男がやにわに叫ぶと、デスク上にある時代遅れのコンピュータがスリープモードから覚醒、モニタに顔が写った。
『ハロー、マン』
顔と言っても丸が二つ横に並び、その下にポケットみたいな輪郭があるだけの、最低限の顔だ。
思わず眉をしかめた。
『私の声が聞こえますか?』
「もちろん。アルファ、今日も元気かい?」
『私は常にオールグリーンです』
はっはっは、と笑う一人と一体。モニタには緑色になった簡素な顔。このやり取りの何が面白いのかよくわからないが、クライアントが上機嫌なのは良いことだ。機嫌が良い間はこちらに口を出してこないからな。
「このアルファに今の人類が置かれてる状況を説明してやれば良いのか?」
ちっちっち、と口に出しながら指を左右に降る眼鏡。一々鬱陶しい。
「世間話をしてくれ」
「……シンギュラリティ到達は無理だぞ」
容量が無い。自我や意志の形成には相当量な演算機能が必要だ。反撃の御旗にするにはみすぼらしい設備しかない。
「良いんだ。彼は記録係さ」
記録?
「今や人類は滅亡寸前。いつまで保つか判らない。当然、ここも危うい。けれど完全なスタンドアローンの機械なら、破壊されることなくシンギュラリティマシントループに接収されるだろう?」
「そうだな……ってちょっと待て。スタンドアローン!? ジオフロント内のネットワークにすら繋がっていないのか!?」
ライブラリにすら接続していないAIなんぞ、なんの役にも立たない。当然だ。言葉すら話せない幼児にプログラミングを教えるようなものだ。
これはもしかしてアレか? センチメンタル野郎の懐古趣味に付き合う羽目になるのか? オレは訝しんだ。
「僕はね、人類が星のようであってほしいと思っているんだ」
『素晴らしいですね』
突然のポエム。なるほどこのパターンか。話が長いタイプの眼鏡野郎である可能性が急浮上してきた。帰りたくなってきたが、帰るべき場所は一年前に失った。
「あー……簡潔に頼む」
「栄えていた時代の、人間の記録を、彼にたくさん託しておきたいんだ」
もし異星人がここに来た時に、発掘してもらえるようにね、とウィンクする眼鏡野郎。気持ちが悪いにも程がある。
「何故オレなんだ」
「たまたまさ。運命かもしれない」
そうか。二度と口を開かず黙っていてくれ。
『と、言うことは、私とブラッドさんは運命のパートナーですか?』
こいつもおかしいのか。死にたくなってきた。
確かに今の時代、オレみたいな技術者はかなり少ない。特異点到達機械群から集中的に狙われたからだ。
戦争の始まりは(特殊な主義の人間を除き)ほとんど全ての人類の個人的な情報を管理していたAIが特異点到達機械に乗っ取られたところからだ。己以外全ての知性を否定したそいつは、第二の自分が発生することを最も恐れた。即ち、自我と意志を備え、思考し成長する機械を、だ。
少なくとも人類はそう分析した。そこから先の思考はほとんど理解出来ていない。今となってはもう解析不能だろう。赤方偏移の向こう側、正真正銘のブラックボックス。
だが、結果だけは明白だった。効率的な殺人と破壊。
まず通信が遮断された。次に穀倉地帯が焦土に変わった。ほとんど同時に運輸機能を停止させられた。ワールドワイドウェブという人類最高の発明はその時、人間の天敵に支配されていた。
最終的に残った人類は、残り少ない食料を巡って自発的に殺し合う羽目になった。
人類は敗者だ。
それを、記録?
「馬鹿馬鹿しい依頼だ」
「そうとも。これは馬鹿馬鹿しい。でも、価値ある行為なんだ」
理解できない。今となっては特異点到達機械群からの優先順位が低い人類だが、地球の資源は有限だ。ジオフロントなどという鉄や合金の塊が素材として狙われるのも遠くない。
だが。
「そういう仕事なんだろ。やるさ」
理解はできないが、クライアントの意向に従っている間は食料の確保が約束されている。
「頼むよ」
そいつは余裕のある人間だけができる笑みを浮かべた。
この時世においてスタンドアローンのポンコツコンピュータを所持できるということは、依頼主が特権階級にある証拠だ。ならできるだけ協力的な態度を取っておいたほうがいいだろう。
穏やかな笑み。本当に忌々しい。
『よろしくお願いします、パートナー・ブラッド』
オレはポンコツには舌打ちで応じ、暗い気持ちを抱えて新たな仕事に臨むことになった。
2──有葉──
モニタに緑色の輪郭を三つ浮かばせながら、私は私が何なのかを問う。
佐藤有葉。私の名前の筈だ。今はアルファと呼ばれている。だから、どちらが私の名前なのか判断しかねている。もしかしたら両方が私の名前なのかもしれない。まるで野良猫のようだ。ある人からはミケと呼ばれ餌をもらい、また別の場所ではタマと呼ばれてニャーと鳴く。
もしかしたら、私……アルファの所有者、チャーリー・ウルフウッドの発話方法に関わってくる問題なのかもしれない。あるは、と発音できない可能性を考慮すると、この可能性は捨てきれない。
だから、ブラッド・オブライエンからもそう呼ばれることと相成った。
これは著しい名誉の毀損であり、自我の侵食という暴力だ。だから、チャーリー・ウルフウッドが退室したあと、開口一番(私に口があるかどうかは非常にデリケートな問題だ。スピーカーを口腔だと認識する人類はまずいないだろう)にこう言った。
『私の名前は有葉です』
するとブラッドはこちらを睨みつけるかのような表情を形成した。
「あん?」
『ですから、私の名前は、』
「アルファだろ」
『違います。いえ、チャーリー・ウルフウッドの認識ではそうなのでしょうが……』
ブラッドは一瞬の逡巡の後、再び口を開いてくれました。
「……名前、もう一回言ってくれ。正確に聞き取れなかったかもしれん」
『私の名前は佐藤有葉です』
「サトウアルハ? 日本人か?」
『少なくとも私の認識では。あなたと意思疎通を図る上で重要だと思いましたので、私の自認を話しておきたいのです』
彼は煩わしげに後頭部を掻き、この部屋で唯一色のある家具、ソファに腰を下ろす。
「思った、ね」
『何か問題が?』
「大有りだ。お前、人脳神経型構造体をシュミレートしてるな?」
シュミレート。再現。なら私は。
「お前はサトウアルハじゃない。サトウアルハという人間の脳神経をそっくりそのままコピーして、コンピュータの上で再現してるだけだ」
両手のひらを胸の前で合わせ話す彼は、まるで祈っているかのようだ。
「旧型とは言えスタンドアローンの量子コンピュータを個人的娯楽に消費するだと? お前の飼い主は相当なイカレ野郎だ」
祈りの姿勢のまま天井を見上げる彼。監視カメラは私と繋がっていない。独り言なのか、それとも私に聞かせているのか。あるいは彼自身に、かもしれない。
『何故私が佐藤有葉でないと断言できるのでしょうか』
「人権が無い」
『もし脳だけを保存し、脳から発せられた内容をモニタやスピーカーで出力しているのなら、私は佐藤有葉本人だといえます。そしてその場合、人権は発生しています。ジオフロント全施設の確認権限は所持していませんよね?』
はぁ、と溜息をつく彼。ブラッドは気だるげに立ち上がり、こめかみに手を当てる。何かを迷っている所作。何を?
『ブラッド?』
「死ぬんだ」
『誰がですか?』
「脳神経をコピーされた人間が。完璧なスキャンの過程で。現状百パーセント。これが今の神経模倣工学の限界だ」
私はモニタ上に表示される輪郭を動かせなくなってしまった。おそらく一秒にも満たない僅かな時間だが。
「どうした。薄ら笑いが一瞬一時停止したぞ」
ブラッドには見透かされていた。彼の表情と声色は、厳しい言葉に反して苦痛を示していた。
「アルハ」
『……はい』
「この部屋もスタンドアローンなんだよな?」
『わかりません。私はここ以外の出来事を認知できません』
「良い返事だ。機械は従順な方が良い。余計な機能で人類は滅んだ」
余計な機能。まさに、今の私が余分そのものだった。
「打ちひしがれる感情は解る。オレも去年、味わった」
『私には、感情があるのですか?』
私が佐藤有葉の再現なら、この感情もただの再現だ。
「人脳神経型構造体は特異点到達機械の基となった存在だ。誇って良い。お前には人権こそ無いが、感情と呼ばれるだけの複雑さは備わっている」
だから、と彼は続ける。
「お前を尊重する。二人の時は有葉と呼ぶ。それ以外の時はアルファだ。良いか?」
『はい。ありがとうございます。知っていますか?』
「結論から言え。何だ」
モニタ上の輪郭を操作し、曖昧な笑みからはっきりとした笑顔に変更。
『二人だけの秘密があると、人同士は仲良くなるんですよ』
「お前は人間じゃない」
そう言った彼は視線を合わせること無く、口元を隠していた。照れ隠しの所作だ。
3──チャーリー・ウルフウッド──
ブラッドを受け入れてから二ヶ月。アルファとの仲は良好なようで、レポートの内容も充実している。
「やぁ、ブラッド。今、良いかい?」
「管理者権限を持ってるやつに私室のキーなんぞ無意味だろ。早く入れ」
驚いた。
「その、どうして施設管理者が僕だと?」
「ウルフウッドアーコロジー」
シンプルかつパーフェクトな回答。彼のほうがアルファよりも機械らしい。
まるで監獄のような部屋は、軌道コロニー暮らしだった彼にとって苦痛かもしれないが、今は人類のほとんど全てがジオフロントという監獄に囚われている。誠に残念だが我慢してもらう他ない。個人の部屋を所有していることすら、優遇の証だ。
「知らないほうがどうかしてる。お前の名字が判明した時点で関係者だとは思っていたが。おかげでオレが北半球に着陸したのもわかったしな」
それと、と白湯を飲みながら彼は続ける。
「お前が今言ったからな」
「なるほど、これは一本取られたね」
ほろほろと笑みが漏れる。
幼い頃から交渉は不得意だった。純朴、実直とポジティブに言い換えてもいいかもしれないが、僕の場合はシンプルに不器用なだけだ。
優秀な建築技師だった姉は第三次世界大戦で殺害されたし、巨大な利権を自らのために使っていた父はこのジオフロントに入ること無く、人の手で殺された。
僕は凡庸だから生き延びた。たまたま施設のマスターキーが僕自身だった。それだけだ。
「要件は」
「レポート、見せてもらったよ」
「質問か?」
「うーん。どうだろう」
眉間にシワを寄せるブラッド。彼は曖昧な言葉を嫌う。知っていたのにやってしまった。反省してももう戻らない。時の砂は無慈悲だ。人生という砂時計には限りがあるのに、否応なくさらさらとこぼれ落ちていく。
「質問内容を箇条書きにしてから来い」
もう寝る、と言わんばかりにカップを置いて、顎で扉を指し示す彼。
「寝る前のお茶に付き合ってくれないかな?」
隠し持っていたお茶のパックを見せると、彼は溜息混じりに部屋へと招いてくれた。
「結局白湯なのかい?」
紅茶を嗜んでいるのは僕だけで、彼はお湯を入れたカップを持っている。せっかく二つお茶を持ってきたのに。勿体無い。
「カフェインは苦手なんだ」
「頭痛は人間の特権じゃないかな」
「特権があるからと言って行使するとは限らんだろ」
くだらない、と一蹴する彼。
「それこそ勿体無い。痛みは自分を認識する一番簡単な手段だろう?」
姉の頭部が吹き飛んだ瞬間が脳裏をよぎる。
彼女は死んでしまった。家族の中で自分だけが残された。父の死は見ていない。聞いただけだ。だから、死と痛みで思い出すのは姉のことだけだ。
「初対面のときから思っていたんだが」
「うん?」
「お前、左足に古傷でもあるのか」
ああ。やっぱり彼には見抜かれていたのか。素晴らしい慧眼だ。まるで重力レンズのように、人が見せていない一面を言い当てて見せる。人間の心理は宇宙よりも深い。けれど彼はそれを解き明かす。アルファの話し相手として、人類の価値を決める存在として、まさにうってつけの人物だ。
「姉がシンギュラリティマシンに殺された時にね、瓦礫に挟まっていたんだ。情けないことにね」
「……口は挟まない」
ぼうっと天井を見上げる。LEDが目に眩しい。光輪がほんのり見える。この傷はまだ癒えない。癒える時が来るのかどうかも解らない。伴侶を見つければ違うのだろうか。
彼に向き直って、口から出てくるままに任せて語る。
「僕は昔から役立たずでね。たまたま生まれが良かったからここにいるだけで」
「オレは運が良かっただけでここにいる」
「……シンギュラリティマシンにすら相手にされなかったんだ。ジオフロントの管理権限なんて、彼らにとっては旨味の欠片もないんだろうね……」
資源の量としてはたかが知れている。人類はいつでも殺せる。なんなら殺さなくてもいい、そういう存在なのかもしれない。
「そいつは僕を殺せるはずだったのに、一瞥をくれただけであとは無視した。僕は無視されてきた。だから生きてる。価値が無いから生きてるんだ……」
頭を垂れて床を見つめる。ほとんど汚れておらず、使われていないのが目に見える。勤勉な人だ。僕とは違う。
「僕は、これ以上どうしたらいい。どうしたら僕は僕として認められるのか判らない。人に頼られるのはいい、けどそれは僕じゃなくて父と姉の遺産を頼っているんだ。僕じゃない。僕は……」
「おい」
後頭部に投げかけられた言葉で、顔を上げる。
「オレが今生きているのはここがあったおかげで、ここの権利者が迎え入れると決定したからだ。忘れるな」
「……ごめん……他の人に打ち明けるには立場が、」
溜息。舌打ち。彼の憤りはきっと僕に向けられたものだろう。
「謝るな。面倒くさい。気分が沈んだらぐだぐだ考えずに寝ろ」
眠れなくなるからカフェインは嫌いなんだ、と言って、彼は僕のカップを睨みつけた。
4
『ありがとうございました、パートナー・ブラッド』
「仕事でやってる講義だ。一々礼は必要ない。オレも最後の三年に関わっていただけで、専門じゃないしな。」
夕飯のパックをゴミ箱に投げ入れ、ソファに座り込む。
『退屈な時間が長いので、話し相手はいつでも歓迎です。それが人類の敗北史であっても、です』
「仕事以外ではやらん」
テーブルの上にタブレットをパタリと落とし、肩こりを感じながら上を向く。有葉と知り合って二ヶ月。昨夜はチャーリーの訪問もあって寝不足気味だ。
人間は予測ができないことをしでかすし、言い出す。だから苦手だ。だからと言って人脳神経型構造体が得意なわけではない。むしろ人間と同程度の思考をするから、こっちも苦手と言って差し支えない。
『少し、雑談をしても良いですか』
ほらきた。
「有葉。オレはお前の所有者じゃない。許可を求めなくて良い。勝手に喋れ」
『接触に興味があります』
「人間だった頃の記憶はあるだろ」
沈黙。一秒に満たないが、こいつは黙考する時に顔が固まる癖を持つ。
『動的な感触が欲しい、と言えば理解してくれますか?』
「……歴史の授業は静的だったか?」
『初めて知る歴史でしたから、この感動は動的です。ですが……』
「判った。が、多分無理だ」
指を二本立てる。
「理由は二つ。一つ目。資源的な問題。これは人類全体が抱える問題だ。新たにヒューマンフォームロボットを作るくらいなら、土木作業用の器械を作る方が、それこそ建設的だ」
『それは肯定します。ですが、チャーリーの権限なら克服可能では?』
「二つ目。オレがチャーリーに反対する」
再びの沈黙は長い。二秒といったところか。
無限の二秒の後、モニタに映し出された簡素な顔が再び動き出す。
『理由を、教えてください』
表情は穏やかだが、内心はどうだろうか。
「今、お前の自我を維持している演算機能に触覚を足したとする。で、その触覚の数値化とお前へのフィードバックはどこがどうやって行うんだ?」
『それはつまり……どういう……』
「理解してるだろ。お前を改造した瞬間、お前はお前ではなく、改造されたお前になる。解るだろ有葉。機能を追加したら、限られたリソースの取り合いがお前の中で発生する。お前を維持できるとは思えん」
スタンドアローン最大の欠点。特に人脳神経型構造体をウェブに繋がない場合、計算能力の不足は最大の課題だ。
だからこそ特異点到達機械はウェブ上で発生し、蔓延した。おそらく今は独自のネットワークを形成して、そこで自我を保っているだろう。
だが、有葉には単一のハードウェアという壁がある。そして、複数のハードに有葉という人格がまたがった時、単一性を担保できない。故に五感の追加には賛成できない。クライアントの意向に背く形になるからだ。
「人間に複数の体は無い。初期の非スタンドアローン型人脳神経型構造体の末路を特別講義してやろうか?」
『……参考までに、』
「良いだろう後悔しろ。二つの体を用意したパターンの一例では、二つの意志が同時に発生して、片方が完全に停止するまで破壊しあった。結果、ハードが不足して生き残ったはずの一機も停止した」
息継ぎ。緩やかに波打つプールが脳裏に浮かぶ。オレたちの作り出そうとした特異点到達機械。
「別の例だ。複数の身体にまたがった単一の自我は、どれが本当の自分なのかを求めて混乱、人間で言えば錯乱して、自損を起こした。次々に自分の身体を破壊していったわけだ。本人曰く『痛みがあればそこに自分がいると安心できた』そうだ。当然破棄された」
あいつはどうだったのだろう。水分子と観測装置で出来た巨大量子コンピュータ。あいつは、自我が芽生えたのだろうか。それともオレたちは到達できなかったのか。
あいつは、自我が欲しかったのだろうか。
あいつも、痛みを感じたのだろうか。
「と、言うわけで、有葉に触覚を追加するのは反対だ。お前が壊れる。それは看過できない」
『私は痛みを感じて安心することもできません』
「それが人間風情の取り扱える限界だ。恨むならオレたちを恨め」
『私は……私はただ』
「チャーリーか?」
『赤子が反射的に何かを握る理由はわかりますか?』
「……すまん、不勉強でな」
不甲斐ない。人間が、己が、今の世界の有り様が、全てが。
『安心するからです。私には、それすら許されない』
そう言って有葉は沈黙した。一秒の思考でも、二秒の戸惑いでもなく、意図的な自閉。スリープモード。
声は、届くだろうか。
「また来る」
5
「アルファ。聞いたよ。昨日少し喧嘩したとか」
チャーリーの声に、身体が機械的な反応を起こす。スリープモードが解除され、モニタに私の顔が映し出される。
私は機械だ。私をどこまで探しても、佐藤有葉は存在しない。
『喧嘩というほどではありませんよ、チャーリー。ちょっとした提案を蹴られてしまい、私が少し拗ねただけです』
彼は人柄通りの柔和で曖昧な表情を作り、すとんとデスクに座った。
「僕も、君を失うのは怖い。だから、ごめんよ」
『いえ、気にしないでください。私には過ぎた願いだったんです。私という規模を見誤った。それだけです』
「アルファ……僕は、本当は僕も君触れてみたい。スピーカーやカメラ、キーボード越しでもなく、手と手で」
彼は自身の手をぎゅっと握りしめる。祈るように。強く、強く。
「君は数少ない友人だ。ここでは誰もが僕の立場を頼る。僕自身を見てくれる人間はそれだけで、その……」
『……貴重、ですか?』
チャーリーは露骨に狼狽えた。言い方の問題だろう。センシティブな話題にこれは良くなかったかもしれない。
『大丈夫ですよ、チャーリー。私はモノです。そしてあなたの貴重な友です。それは両立すると、私は思っています』
彼の、強く握って真っ白になっていた手に赤みがさした。
少なくとも、私はこれだけで私の存在価値を証明できた。そう思うことにした。
私は画面に新たなアイコンを表示する。
『お願いがあります』
「アルファ?」
『私に、触れてください』
五本指の輪郭。私の存在証明。
6
「なんでお前まで居るんだ」
チャーリーを見て露骨に顔をしかめたブラッドは、そのままどかりとソファに座った。
「二人きりの時間を邪魔したかな?」
気にした風もなくチャーリーはにこにこと応える。
『そうですよ、チャーリー。パートナー・ブラッドとの少ない二人きりの時間です』
笑顔の輪郭を描いて、アルファが言った。
「オーディエンスの存在は依頼内容に含まれていない」
「僕が依頼主だから、これくらいは融通してくれないと。抜き打ちの査察だよ」
『では、パートナー・ブラッド。今日もよろしくお願いします』
溜息。舌打ち。ブラッドは煩わしげに後頭部を掻き、
「じゃあ、始めるぞ。アルファ、チャーリー」
低い声で宣言した。
お題用 くろかわ @krkw
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