第4話『息を止める おっちゃんを拾う』
夜の青白い月明かりが、幸せな幻想を優しく包み込んでくれた。
ここは荒野と違う。
油断すれば死に直結するダンジョンとも違う。
血走った目で、雄たけびを挙げて襲い掛かって来る冒険者も居ない。
(ここは平穏と安らぎに満ちているわあ~……)
目を細め、自然と口が横に間延びする。
勿論、正体がばれたら大騒ぎでしょうね。
追いかけ回されて命からがら逃げ出す事にもなりかねない。
でもここには安らぎがある。
縄張りの巣穴に籠って、一尾じっと夜を明かす。
いつ来るとも分からない侵入者に警戒しつつ。
そんな緊張とは、ここも無縁だわ。
それは住み込みで魔法を習っていた時から感じてた事。
だから荒野に帰ってから、ちょっとした砦染みた宿営地を経営していたのだけれど……
「はっ!?」
思わず息を呑んだ。
そっと物陰に隠れる。建物の屋上は、煙突が幾つも突き出ているから、陰影が深く隠れるにはもってこいだわ。
じっと息を止め、空の向こうを見つめる。
「間違いないわ……」
街の中央。高台にある黒い塔の影に、幾つもの小さな影が舞っている。
大分遠くなのに視認出来る影。きっと、かなり大きい筈。
きゅっと眉の間を狭め、目に力を込めた。
「ジャイアントバット? いいえ、違うわね……寄生虫だわ……」
ラミアは生き血を好むモンスターであるが、他にもそういう嗜好の種は結構多い。
その中でも特に有名なのがヴァンパイア。いわゆる吸血鬼。アンデットである。
生命の輪から外れた異形の存在。夜を徘徊する者たち。
獲物を魅了し、堕落させ、生き血を啜る。そして、気に入った者は下僕と化し、使役する。
ぶっちゃけ、私たちの敵である。
「やっぱり、これだけ人が居るから……」
当然、生き血を好むラミアとヴァンパイアは商売敵同士。
でも、今まで荒野に居たからその縄張りは被らかなった訳。
ラミアはゴブリンだってドラゴンだって分け隔て無く戴く物は戴くから。
私たちは大自然の循環の中で逞しく生きて来ました。はい。
要は生活スタイルの違い?
あちらは寄生虫で、こっちは狩人。そのプライドもある。
だから、弱い非力な人間から奪うのは少し違うと想う。ま、襲って来る冒険者どもは美味しく戴いて来た訳だけどね~。
緩んでいた口元がへの字に曲がった。
「やなの見ちゃった……」
しょんぼりした気分で、屋上から降りる。
だって、ふらふらして連中に見つかったら面倒臭いもん。
「あ~あ……な~んかニンニク臭いと思ったら、そういう事かあ~……」
建物の窓には、ほとんど必ずと言って良い程、ニンニクが吊るされていたわ。
ヴァンパイア避けね。
夜に窓の外を眺めてはいけない。怪しい赤い瞳に魅了され、自ら連中を招き入れかねないから。そんなとこかしら?
適当な路地にしゅるると降りると、尻尾をふりふり。どの道を行こうか逡巡する。鼻腔をくすぐる風に、思考を這わせた。
「潮風だわ……海……夜の海か~……」
そう呟きながら、空気の流れに向かって進み出す。
そう言えば、海は初めてだった。塩が採れるって聞いた事があったわね。
遠く街を視認出来た頃から、空気の違いを感じていたわ。
それは水の匂い。ここは荒野に比べて水の精霊の気配が強いわ。荒野を渡る行商人のおっちゃん連中から、どこまでも広がる一面塩水だらけの場所だって聞いてたけれど……
沼や川と、どんだけ違うんだろう!?
やっば! 何かメッチャ楽しくなって来た!
「う~み♪ う~み♪ う~み♪ あら?」
すると、微かなうめき声みたいなのが耳に。そこで、ピタリと止まった。
「誰~?」
返事が無い。まるで屍の様だ。
いんや違った。何か、路上で寝ている人が居る。
すすすと近付くと、正によっぱらいのおっさんである。
薄汚い、みすぼらしい服装。ひょろりと細い手足。
まぎれも無い良い年こいたおっちゃんが、気持ち良さげに高いびきだ。嗚呼、人間の街というのは、何て安全に満ちているのかしら!? 高い所には、煙と寄生虫がうようよしてる危険地帯だけど~。でも、ちょっと建物の間に入れば、人はこんなにも無防備で居られる!
「え? 何? これって……」
思わず左右をキョロキョロ。
ちょっと動揺。
「た、食べて良いの?」
ぽおっと頬を上気させ、一体誰に許可を求めるのか。
じり。じりりと、近付いた。
正に据え膳食わぬは何とやら。
流石に、襲ってまでとは思って無かったけれど、こうも堂々と置いてあると、これはどうぞどうぞと言われている様なもの。
そう!
街が!
人間の街が、私にそう語りかけているのね!!?
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