第27話 水鉄砲
エーミールの荷馬車が、「灰枯の蝶」の本拠地へ辿り着いた。
「湿っぽくて嫌な森だな。百年前を思い出すぜ」
「懐かしいな! 君が一度死んで、私のエキスで復活したときのことだ」
背負ったリュックサックの中から、ジークがひょっこり頭を出した。
「あのときの君は格好良かったね。泣きじゃくるゾルマに『死ぬなんて二度と言うな』って、それから……」
「うるせえ」
後ろ手にむぎゅっとジークを押し込んで、視線を前へ向ける。番兵がうろつく古ぼけた大きな屋敷と、それを取り囲むように建てられた掘っ立て小屋が数軒。
この屋敷の中に、ハインリヒがいるはずだ。
間もなく、荷台から姉弟がヴァルターとともに降りてきた。ゾルマの姿は見えない。代わりに、皆の胸には
「エーミール。もしものときは、加勢をお願いね」
「おう、任せとけ。気をつけてな」
「行きましょう、アレックス」
「うん」
レーダがアレックスの手を握り、アレックスがその手を握り返す。ふたりとも手が震えていた。
「ヴァルター・フォン・グローバーだ! お前たちの望み通り、アレックス・フォン・シプナーとともに参った!」
ヴァルターが高らかに声を上げた。番兵が寄ってきて、首領の部屋へと案内される。レーダが一緒でも咎められることはなかった。
「ようこそ来てくださいました、宰相閣下、そしてアレックス王子」
その陰気で不快な部屋に入った瞬間、姉弟はダミアンと名乗る男に踏みつけにされている父の姿を見た。激昂しそうになるレーダを、ヴァルターが遮って制する。その紫の瞳も怒りに燃えていた。
「なぜ来た、ヴァルター……」
「ごめんね、ハインツ」
大人たちが視線を絡め合う中、アレックスが一歩進み出る。
「……あの、僕を王子と認めるのなら、侍従長を解放してください」
道中で打ち合わせした通りの台詞だった。
「アレックス、だめだ! 私のことはいいから、早くここから逃げなさい!」
ハインリヒの必死の叫びも、いまは無視する。本当はお父様と呼んで駆け寄りたい。けれどもいまは、この局面を切り抜けるのが先決だ。
「おお、なんと殊勝なお心がけ、さすがはアレックス王子。……その前にひとつ確認したいのですが、宰相閣下? アレックス王子に王位を継承していただき、これまで通りの専制政治を続けていただくことをお認めになるということで、よろしいですかな?」
この質問には、打ち合わせで「認める」と答えることになっていた。そこで相手が油断した隙に、ヴァルターが魔力で敵を攻撃し、レーダとアレックスとでハインリヒを救い出す作戦だった。
ところが。
「断る」
ヴァルターははっきりと言い切った。話が違うわ、とレーダが目で合図する。
「脅されて翻意する程度の軽い覚悟で、僕が親友のフランを殺したとでも思っているのか。何があろうと、僕はこの国を逆戻りさせる気はない!」
ヴァルターが両腕を振り上げた。赤と黒の光線がダミアンを狙う。ダミアンは後ろへ飛びのいてかわしたが、おかげでハインリヒは拘束を解かれた。レーダが急いで駆け寄り、父を抱え起こす。
「ちょっとヴァルター、作戦と違うんじゃありませんこと!?」
「ごめん、ハインツの前で嘘をつく気になれなくて。でもやることは同じだったでしょ?」
ヴァルターが光線を連発し、窓際までダミアンを追い詰める。窓ガラスが砕け散って、その破片がダミアンの頬を傷つけた。
ヴァルターは強い。楽勝だ。姉弟が安堵しかけたそのとき。
「調子に乗るなよ……」
低い声で、ダミアンがつぶやく。かっと目を見開き、ヴァルターを睨み返した。
幾筋もの透明な何かがヴァルターを襲う。フォン・シプナー父子をかばう位置に立っていた彼はそれをまともに受けることになった。群青の服が次々に裂け、鮮血がしぶきを上げる。
床に身を伏せたアレックスは、目の前で弾ける水の粒を見た。
(何これ……、雨?)
「ヴァルターッ!」
攻撃がやんだとき、傷だらけになったヴァルターが仰向けに倒れた。ハインリヒが彼の名を呼んでも、苦しげにうめき声を返すばかりだ。
「何が親友だ、王殺しの悪党が。そんなに友達ごっこが好きなら、俺が全員まとめてあの世に送ってやるよ!」
敵のほうが一枚上手だった。ダミアンが悪意をむき出しにして手をかざす。再び無数の透明な矢が放たれる。
「助けて、ゾルマ!」
アレックスが叫んだそのとき。
「こんな水鉄砲ごときで、もうお手上げかい? やれやれだね」
まるで見えない壁ができたかのように、ダミアンの矢が砕け散る。床に落ちたそれは、確かにただの水であった。
「誰だ!」
ダミアンが叫んだ。
全身を覆う黒いローブ。天を衝く白髪。しわしわの顔と、ただよう薬草の匂い。
姉弟の背後に、ゾルマが文字通り浮かんでいた。
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