贈り物
千里アユム
贈り物
オレンジブラウンの髪がさらさらと揺れて、彼はベランダから外を見る。優しい笑顔。聞こえてきた声は姿から想像されるままに柔らかくて。
わたしは一目で恋に落ちた。
あなたに気付いてもらいたい。
わたしの命は永くはない。あなたに声が届くこともないだろう。
でも、試さずにはいられない。
気付いてくれるかな。もしかしたら、もしかして。
そんな気持ちで、わたしは今日もプレゼントを贈る。
——玄関脇の赤いポストの中に。
毎日毎日、わたしは家に通う。彼を見かけることはあまりない。
わたしがプレゼントをポストに入れるのは、夜明け前だから。昼間に様子を見にいくこともあるけれど、基本的にはほとんど人気がないときに、こっそりと入れるだけだから。
存在に気付いて欲しいけれど、でも気付かれたくはない。相反する気持ち。気付かれたら、もしかしたら気持ち悪がられてしまうかもしれない。それが怖い。
ただポストを開けたときに、「あれ、今日も何か入ってる」みたいに、存在に少し気付いてもらえたら、それで十分。
「お前は変わってる。変だ」
みんな言う。いいの。そんなことはわたしが一番わかってる。でも彼の優しい笑顔を、声を、しぐさを、それを見ただけで、好きになってしまったのだから、仕方がないじゃない。
ある日のことだった。わたしはいよいよ死期が近づいていることを感じていた。
もっと彼の心に残るプレゼントがしたい。
私は勇気を出して——いや捨て身でと言うべきか——彼らに頼んだ。
「お願い、あなたたちのその宝物をひとつ、わたしに譲って」
「はぁ!? なんだお前」
黒い衣装を身にまとい、容姿からして威圧的だ。恐怖にすくみ上がる。でもどうせもうすぐ死ぬのだと思うと、怖さが消えてゆく。
わたしは彼らの方に一歩踏み出した。
「お願い。どうしてもその美しいものが欲しいの。一つだけでいいから」
「なんでお前なんかにやらなきゃならねぇんだ。そんな義理もねぇ。それとも、代わりになるいいもんでも持ってて、交換しようって心算か? それならまぁ話ぐらいは聞いてやる」
そんなものあるわけがない。あればあなたたちに話しかけたりなんてするもんですか。
わたしは困ったように悔しそうに俯く。
彼らは「けっ」と吐き捨てるようにわたしから顔を背けた。そして自分たちの宝物を愛おしそうに撫でる。
確かにそれは彼らが自分で集めたものだ。タダでちょうだいなんて言えた義理ではない。でも、わたしは自分でそれを見つけられないの。あなたたちのように強い体も賢い頭も鋭い目もないから。
だから、お願い——
わたしは飛び出すと、彼らの中に飛び込んで、愛しい彼の髪の色によく似たオレンジ色の小さな小さな宝石をひとつ奪った。
「おい、貴様!!」
「ごめんなさい!」
わたしは叫ぶと必死に逃げる。が、わたしごときが彼らから逃げ切れるわけもない。
わたしは背中に大きな傷を負い、そう永くない命ではあったけれど、終えるにはまだしばらくあったはずの猶予すら失われてしまった。
彼の家に届けるの。いつものようにポストの中へ。
最後のプレゼントはとっておきの宝石よ。これまでみたいな、ささやかなものではないの。もちろんそのささやかなものでも、小さなわたしには、運ぶだけで大変ではあったけど——
「どうした?」
「兄さん……」
新聞を取りに出たまま戻らない俺を心配した兄が、玄関から顔を出して声をかけてきた。
俺は振り返り、両手で包み込んでいた小さな生き物を兄に見せた。
「雀? 死んでたのか?」
「うん……いや、死んではなかった。でももう死んじゃったと思う」
小さな目が閉じている。まだほんのりと温かいが、じきに冷たくなっていくだろう。
「一体どうした? 車にぶつかったのかな?」
「わからない。玄関脇に倒れてたんだ。——背中に傷があるから、それが致命傷になったのかな……」
俺は言いながら上空からの鳴き声に顔を上げる。カラスが向かいの屋根に止まって、怒るように鳴いていた。
「それよりも、体が冷えるぞ。もう家に入ろう」
「ううん。先に入ってて。俺はこの子を埋めてから戻るから」
「——そうか」
兄は頷き家の中に戻っていった。
庭というほどのサイズはないものの、生垣のようになっている箇所があるので、俺は雀をそこの土の中に埋めることにした。
見つけて手にした時のことを思い出す。
雀に表情なんてあるわけないのに、とても嬉しそうな顔をした気がしたのだ。不思議に思ったけど、なんだか俺も嬉しくなって、優しく撫でた。
雀は何度か俺の手の中で立ち上がろうとしていたようだけれど、結局むりで、ずっともがいていた。最期には立ち上がることは諦めたのか、小さなクチバシでツンツンと指を突いてきた。
俺は愛しくなって、顔の高さに上げて、軽くくちづける素振りをした。
野生の鳥だから、本当に口を付けることはできないけれど、雀は笑った。本当に笑ったんだ。誰かに話せば頭がおかしいと思われるかもしれないけれど——
俺が生垣の前に座り込んだとき、手に小さなシャベルを持った兄が戻ってきた。
「手でやるなよ。怪我するぞ。ああやっぱりいい。お前はその子を抱いていてやれ。穴は俺が掘るから」
俺は頷く。
抱いて——だなんて、と俺は少し笑う。小さな体は両手で包むだけで十分だったけど、俺は包み込んだ手を胸の前に持ってきた。そうまるで抱きしめるみたいに。
埋め終わって、墓標の代わりを探す。特に何もないので、そばにあった小石を乗せてから手を合わせた。
「あ、新聞取ってない」
「お前は野生の子を触ったから、手を洗っておいで。新聞は俺が持って入るから」
俺は頷き、駐車場にある水道の蛇口を捻る。十一月の水はもう冷たい。家に入ったらもう一度石けんで洗い直さなければいけないだろう。指先がすっかり冷たくなってしまったから、今度はお湯で洗おうか。
そんなことを思いながら玄関前に戻ると、兄が何やらじっと見つめていた。
「まだ家に入ってないの? どうかした?」
「いや、これが気になってな」
兄の手の平に、ガラスのカケラが乗っていた。ビール瓶の一部だろうか。茶色いイメージのあるそれだが、小さな破片が朝日を浴びて輝いていると、オレンジブラウンの宝石のようだった。
「ポストの中に入ってたんだ」
兄の言葉に、俺はふいに思い出した。
「そういえば最近さ、ポストの中や周辺に、木の枝や葉っぱがよく落ちてたんだ」
「木の枝や葉っぱ?」
「うん。たまに小さな木の実のかけらみたいなのもあったっけ。誰かのいたずらにしてはささやかだし、悪意も感じないし、気にしてなかったんだけど……」
「ああ」
「もしかして、あの子が入れてたのかな? プレゼントとか?」
「雀が人間にプレゼントか。随分とファンタジーな話だな。でもまぁ……お前への贈り物かもしれないな」
「俺?」
「お前、部屋の窓開けて、電柱の雀におはようってよく挨拶してるだろ。それで惚れられたんじゃないのか?」
「み、見てた!?」
「ああ。中三になっても、お前はかわいいなと思って見てたよ」
「……うう」
俺は恥ずかしさに喚き出したい気持ちだった。
「まぁそれはともかく、もしそうなのだとしたら、これはここに飾ろうか」
兄は小石の墓標を脇に避けて、オレンジブラウンのガラスのカケラを土の上に乗せた。
と、上空でカラスが鳴いた。
「ああ、カラスが狙ってるか……。カラスはキラキラしたものを収集すると言うしな」
「ここに飾ると彼らに持っていかれてしまうかもね。だとしたら、せっかくもらったのに申し訳ないな。俺が部屋に飾るよ」
「そうか。その方が雀も喜ぶな」
兄は笑い出しそうなのを堪えるようにして言う。俺が雀からのプレゼントだと本気で思っているのがおかしいんだろう。
でもいいじゃないか。もしかしたら、雀にも人のような心があるのかもしれないし。
俺は再度小石とガラスを入れ替えた。結局、墓標は小石のほうになった。
俺はガラスのカケラを手に持ち、太陽に透かしてみた。
「キラキラして、本当に宝石みたい。こんな色の宝石ある?」
「そうだな。オレンジ色のトパーズとかかな。——ああ、お前の髪の色か」
染めているわけではないが、昔から髪の色が赤めで、太陽の下だととりわけオレンジ色になる。
目立つのは苦手だけれど、この髪の色は実は気に入ってるんだ。
「そっか。俺に似合うと思って持ってきてくれたのかも……。ステキな贈り物をありがとう」
俺はそう呟き、もう一度墓標に手を合わせる。するとどこからともなく、ちゅんと可愛らしい鳴き声が聞こえた気がした。
贈り物 千里アユム @ayumusen
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