三九朗が焦がれた恋

岩田へいきち

三九朗が焦がれた恋

「三九朗、何読んでるんだ?」


 サッカーの試合の日、ぼくは、集合場所へ早目に行って、昨日、買って来た塩田シオンを読んでいた。よく分からなかったが表紙の絵がとても綺麗で、内容はともかく、この本を選んだのだ。


「塩田シオンという人の本です」


 読書とは無縁そうな体育会系の監督から訊かれて、知らないだろうと「という人の本です」という言い方をした。実は、この本を読むことになったキッカケもこの監督が発端だったのだが、そんな事は言わず、読書を続けた。

 

 内容は高校生の恋愛、ぼくは、これまであまり本を読んでこなかったが読みやすい文章で、会話文が多く、文字も詰まっていない。これならぼくでも最後まで読めそうだし、次の展開も気になって持ってきてしまった。


 ぼくは、中学生になったらサッカーをやろうとこのクラブチームの近くの中学校に通うことにした。メンバーもほとんどこの中学校の生徒だ。3つ違いの姉さんは、別の中学校を卒業しがサッカーのためにこちらを選んだのだ。それなのに入学して2ヶ月、練習は、遠くから見ていたものの、ほとんど経験者でみんな上手いことに恐れをなして入部する事が出来なかった。自分で言うのもなんだけど、ぼくの心はそれほど繊細で、弱く、壊れやすいのだ。しかし、クラブに所属しているクラスの翔(かける)と絢斗(あやと)が誘ってくれ、入ることが出来た。

最初は全然みんなについていけない。強いチームではないが、ジュニアで経験を積んできた奴ばかりだ。ズブの素人のぼくが直ぐについていけるはずがない。野球やバスケットをやっていたというのだったらまだしも何もやってない。運動神経が良いのかどうかも分からない。徒歩競走は、真ん中辺りだ。


 そんなぼくに監督は、一から丁寧に教えてくれた。だが上手くいかない。なんか変だ。同級生みたいにならない。足が変なのか? 思ったところにボールが止まらない。不安がよぎる。サッカーには向いてないんじゃないか。わざわざこの中学校へ来たのは間違いだったか? そう思いながらも4か月、監督やコーチの言う事は素直に聞いて、真面目に練習へ通った。そして10月を前にして新チームとなった。

人数は10人。足りてない。ゴールキーパーをやりたいという奴もいない。むしろ、自分から「やりたくない」という奴ばかりだ。唯一、ゴールキーパーの経験がある翔も絶対したくないと監督に訴えていた。

 ぼくは考えた。フィールドプレイヤーなら足を引っ張ってしまうがゴールキーパーなら誰も文句言わないだろうし、手技だから大差はないんじゃないかと。

 監督は、ゴールキーパーになる奴はいないか、一人ひとり声をかけていた。そしてぼくにも。


「三九朗、ゴールキーパーやってみないか? キャプテンの真人(まさと)も昔やってたんだぞ。今、めちゃ上手いだろう。あいつもフィールドプレイヤーとゴールキーパー両方やりながらあんなに上手くなったんだ。おまえも両方やったらあんな風になるよ」


さすが監督、上手いこと言うもんだ。でもあんなにぼくが上手くなるとは考えられない。だけど考えは決まっていた。


「はい、やります」

「そうか、お前も真人みたいになるよ」

『二兎追う者一兎をも得ず』になりそうだけど、今はそれしかない。ぼくは、消極的だけどバランスが取れる視野の大きな人間だ。監督、ぼくをみくびっちゃいけない。翔や絢斗たちの身勝手な分はぼくが埋めてあげますよ。彼らには借りがある。



 キーパーグローブを買って来てたある日、三年生も入れて紅白戦をする事になった。ぼくはゴールキーパー。監督がゴールの後ろから色々指示して来て奥が深いと気づく。失敗か、ゴールキーパーは間違いか?

 1本目が終わって、グローブを外して、お茶を飲みながなら考え込んだ。


『2本目』


ええっ、もう? 休めなかった。ああ、まだグローブつけてません。慣れてません。待って。

ディフェンスの裏にロングパス。

だから待ってって。

飛び出した真人くんがシュート。あっ、痛たた。なんか変。だからグローブまだだったってば。痛~。なんかジュワジュワ痛い。


「三九朗どうした?」

「はい」

「こっち来て」


「動く? 」

「はあ」


「ああ、折れてるかもね。お母さんに連絡しようか。家にいる? 直ぐ帰れるよう準備しておいて。病院連れて行ってもらおう」


折れてるの? みんなのためにゴールキーパーを買って出たぼくがグローブを買って来たばかりで手を骨折? しかも目指している真人くんのシュートを素手で受けて。何をやってるんだ、ぼくは。

 やっぱり骨折、2本。全治2ヶ月。ああ、なんてこった。『バランスが取れる視野の大きな人間だ』とか言いながらカッコつかない。

真人くん、だからまだグローブ付けてなかったって。

 真人くんは、ひとりだけ姉さんと同じ中学校に通ってる。もう卒業してるが去年は、3年と1年で顔見知りらしい。

そっか、この中学校に来なくてもクラブには入れたのか、そこから間違いだったか? 


 痛いよ〜、姉さん。


ぼくは2ヶ月間練習を休む事になった。

 また入学当時と同じ帰宅部だ。と言っても右手は、ギブスで、不自由だ。左では色々上手くいかない。用を足すにもファスナーが逆側にあって難しい。監督は左手を使うと左で蹴るのも上手くなると言うが、本当にそんなことがあるのか? ぼくはまだ右足でさえ上手く蹴れない。今は、そんな監督の声も家の庭だ。ぼくは、ボールだけは毎日、足で触るようにした。

そう、ボールリフティングをまだ上手く出来ないのである。休んでいる間にこれだけでも上達しておこうと考えたのだ。姉さんもそれを見守ってくれていた。何時も喧嘩ばかりしていた姉さんが、ぼくがギブス姿になって以来、何故かとても優しくなった。用を足す手伝いとまではないが、それ以外なら何でも手伝ってくれそうな勢いだ。

リフティングは少し出来る様になった。でも他の部員と比べたらほとんど出来てないレベル。どうしてみんなはあんな風に出来るのか不思議だ。監督が教えた? そうなのか……


ギブスが取れて、手のリハビリも開始した。手をしながら足の練習、違う意味でこれも二刀流か。

世の中では、エンジェルス大谷翔平が活躍中。

ぼくもその気になれば…… 無理、無理。そう言えば、監督も大学時代、野球部らしい。監督も二刀流なのか?


手は、まだ完全ではないが、ぼくは、練習に参加する様になった。地区リーグが始まる寸前である。練習は、フィールドから徐々に参加した。そんなある日、ぼくのことが心配になった姉さんが母親と一緒に来て、駐車場から練習を見ていた。ぼくは、それに直ぐに気づいたが、誰にも言わなかったし、見ないふりをしていた。部員や監督にからかわれたら面倒だ。特に監督はまずい。遠征先のコンビニのお姉さんにも声を掛けて、部員を紹介するらしい。初老のとんでもオヤジだ。

練習が終わって、気づかれず、何とかぼくは、母親の車に飛び乗った。ああ、ヤバかったとホッとした瞬間、母親と姉さんが車から飛び出して。


「監督に挨拶しなきゃ」


何? 姉さんも。それはヤバイ。母さん、姉さんを止めて。


「こんにちは」

「こんにちは。ああ、三九朗のお姉さん? 可愛いね。高校生?」

「はい」

「はい、私に似て可愛いんですよ」

「ああ、そうでした。そうですよね、お母さん。ほんと可愛いです」


母さんまで何言ってるんだ。ああ、もうだめだ。


「三九朗が今まで迷惑をかけました。やっと復帰できました」

「いやいや、こちらこそ監督不行き届きですみませんでした。まだまだ、手の方は徐々にやって行きます」


姉さんは、可愛いと言われて舞い上がっている。これまで他で可愛いと言われたことないのか?


翌日の練習、やっぱり恐れていたことが起こった。


「三九朗、お前の姉さん可愛いな。めっちゃ可愛いかったで」

「いや〜、普通です」


ぼくはそう答えるしか無かったが翔と絢斗もそれを聞いていた。

練習が休みの日、彼らがうちにやって来た。もちろん、姉さんを見に来たのだ。監督には、いちいち反発する癖に、そういうことは、素直に信じてやって来た。そんな彼らに何もしなくていいと言ったのに、姉さんは、わざわざ部屋まで飲み物を持って来た。マスクを付けて来たのでなんだか安心していたが、翔と絢斗は、マスクに穴が開くのではというくらい姉さんを見ていた。

「三九朗が何時もお世話になってます。これしかなくて、お茶どうぞ」

姉さんも監督の言葉以来どこか自信ありげだ。

すると、翔がモゾモゾして


「あのう、お姉さん、顔見せてもらって良いですか? 監督が可愛いって言うんですよね。えへへ」

『えへへ』って、翔。彼は、こういう失礼なことを気にせず言う奴だった。ぼくは、こうなることをあの時、予感していたのかもしれない。

姉さんは、あろうことかマスクを外して、にっこり、ピースをしながら部屋から出て行った。

それからというもの、翔と絢斗はもちろん、他の部員まで、「三九朗の姉さんって可愛いよな」って言うようになった。翔などは、監督が姉さんのこと言うとやきもちを妬いて、「あんまり三九朗のお姉さんのことは言わない方がいいと思います」と文句まで言いに行く始末である。まあ、姉さんは、可愛いし、今は優しいかもしれないがどうして、あんな風に監督にまで文句を言うことが出来るのだろう? ぼくには出来ない。絢斗まで付き合いたいと譲らない。

何なんだろう? これが恋、愛? どっからその想い、パワーが来るんだ? さっぱり分からない。

長くなったが、これが恋愛小説を読んでみようと思ったいきさつである。



 監督が可愛いと言った女の子には、姉さんの他に女子バレー部のエースの先輩がいた。すらっとして、笑顔が眩しい。クラブの先輩と付き合っているという噂もある。ぼくもたまに見かけるが確かに美人で可愛い。垢抜けた人だ。あまり分からないがこの人にロックオンしてみる事にした。先輩の彼女だったとしてもぼくに振り向く訳がないので心配ない。

先ず、翔と絢斗に「ぼくは、バレー部の彩(あや)さんを好きになる」と宣言した。だからと言って告る訳ではない。好きになって、どんな気持ちなのかを感じてみたいのだ。そして、すれ違ったたら挨拶してみようと思った。


「おはようございます」

「あら、三九朗くん、おはよう。もう、手はいいの? 治った?」

ええっ、なんでぼくの名前知ってるの? しかも怪我してたことまで。どこかで、ぼくのこと、ずっと見てた? いや〜、ない。ああ、やっぱり、先輩と付き合ってるのか、だからぼくの事まで知ってるんだ。ぼくは、冷静に周りを見れる視野の広い人間だ。


「は、はい。もうサッカー練習してます」


「そう、良かったね。頑張ってね」


「はい、ありがとうございます」


素晴らしい。優しい、眩しい。恋をしそうだ。恋ってこんなことか?


「三九朗、何話してたんだ? 彩先輩と」


「お前、緊張しないのか? よくあんな可愛い人と堂々と話出来るな。ドキドキとかしないのか?」


 翔と絢斗が後ろから話かけてきた。


「別に、腕治ったのって訊かれただけだし」


「凄いな、三九朗、見直したよ。俺はドキドキしてあんなに堂々と喋れない。なあ、翔もそうだろう?」


「そうだなあ、三九朗のお姉さんの前じゃ喋れない」


「マスク取ってくれって言ってたじゃないか」


「あれは、まだ、綾乃(あやの)さんの顔を見た事なかったからじゃないか。俺は、あの時からドキドキだよ」


「てか、なんでお前、お姉さんの名前知ってるんだよ?」


「真人くんから聞いた」


真人くん、名前まで知ってる仲だったのか。



それから数日後、 また翔と絢斗がうちに遊びに来た。もちろん、目当ては、姉さんだ。ぼくは、この日、姉さんが学校の部活で遅くなる事を知っていたが、あえて、それは言わなかった。「今日は遅いみたいだね」とごまかしたが、ただでは帰らないぞと


「三九朗、綾乃さんの裸見たことあるのか?」


「オッパイでかい?」


と二人とも訊いて来た。息を呑んで、脱衣場で目にした姉さんの胸を一瞬思い出したが


「そんな、見たことないよ。だから分かんない」


と答えるのがやっとだった。あの時のドキドキが再来していたのだ。実際、桃色のイメージしか残っておらず、大きさがどうのこうの、形がどうのこうのと語ることも出来なかった。


「三九朗は、彩さんのオッパイ見たいと思わないのか?」


「俺は見たい。彩さんのオッパイも綾乃さんのオッパイも見たい」


絢斗が我慢できず、割り込んできた。


「別に、そんなの気になるのか?」


「だって、気になるだろう。好きな人のオッパイ。大きいか、ペチャいか、形がどうかとか、色とか気になるだろう。 俺は今のところ、彩さんはいいが綾乃さんのオッパイは気になる」


ぼくは、もう一度息を呑んで、今日は、絶対姉さんに翔を会わせたくないと思った。


「お前らもうそろそろ夕飯の時間じゃないのか? ぼく、母さんの手伝いをしないといけないし、また明日な」


「ええ、綾乃さんにまだ会ってない」


「俺も会いたい」


二人のすがるような目にどうしてこんなに必死なれるのだろう。今日は、姉さんが部活だという事を隠しておいて良かったと思った。


「そう言えば、姉さん、今日は部活と言ってた。忘れてた。だから、ぼくが母さんを手伝うんだった。姉さん、8時過ぎしか帰ってこないよ」


二人はしぶしぶ帰って行った。


不思議だ、たかがぼくの姉さんの為にどうしてあんなに必死になるのだろう?



翌日、再び彩さんに挨拶した。


「おはようございます」


「おはよう、三九朗くん」


胸のあたりを見たがドキドキはしなかったし、形や大きさなどとても想像出来なかった。優しい挨拶だなと思っただけだった。美人で、可愛いのは間違いない。でも、オッパイが見たいとか付き合いたいとかは思わなかった。


「なっ、三九朗も彩さんのオッパイ想像しただろう?」


「ありゃ、スマートだけど、意外と大きいかもな」


また、翔と絢斗だった。

こいつら変態か? 姉さんのことよりオッパイ目的か? と思いつつも、オッパイのこと想像出来なかったぼくの方が変なのかもしれないとも思った。



それから数日後、地区リーグが始まった。6年生のゴールキーパーを入れた為ぼくは、フィールドプレーヤーとして先発する事になった。最初の思わくとは違うがしょうがない。予想通り活躍出来ず足を引っ張った。そもそも自分にはサッカー自体が向いてなかったんじゃないかと思うようになった。だが、監督は今のぼくに出来る事を指示して、それをやっていたら段々活躍出来る様になった。そして褒められたりもした。ゴールキーパーの練習は、今でも続けてる。二刀流でいつかは、真人くんに追いつこうと思う。恥ずかしくて、他人には言えないが、ぼくは、サッカーに恋してる。そしてこれはもっと誰にも言えないが、ぼくは、姉さんに恋してる。オッパイが気になってしょうがない。塩田シオンでは、よく分からなかった。こちらも二刀流で行こう。



終わり


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三九朗が焦がれた恋 岩田へいきち @iwatahei

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