梅雨の二人とラブレター
汐海有真(白木犀)
前編 彼女の推理
六月らしく雨の音が響いている。朝早くの中学校は、しんと静まり返っている。
一人の少女が、昇降口にやって来る。彼女は真っ黒なストレートヘアを、薄黄色の髪飾りでハーフアップにしている。はっきりとした目鼻立ちをした、可愛らしい子だった。
少女は桜色の傘を畳んで、自分のクラスの傘立てに入れる。傘立てには何本ものビニール傘があって、既に底面には幾らかの雫がついていた。
彼女は腕時計を確認してから、顔を上げた。ローファーを脱いで、すのこを踏みしめる。下駄箱をざっと眺めて、自分が今日も一番乗りだということを確認する。それから少女は、自分の上履きに手をかける。
そうして少女は、上履きに重ねられるように置かれた、一枚の封筒の存在に気付いた。
「…………?」
少女は首を傾げて、封筒を手に取る。真っ白な封筒には、『
中には一枚の便箋が入っていた。来菜はそれを、ゆっくりと広げる。
突然のお手紙、申し訳ありません。
単刀直入に言います。
俺はずっと前から、有間来菜さんのことが好きです。
同じクラスで過ごせて、とても嬉しいです。
思いを伝えられるだけで満足なので、名前は書きません。
読んでくれて、ありがとうございます。
最後まで読んで、来菜は微かに目を見張る。
これはいわゆる、ラブレターというやつだろう――彼女はそう思いながら、何度も文面を読み返す。筆跡に見覚えがある気がしたが、誰かはわからなかった。
来菜は思い出したように、上履きを履く。そうしていると、入り口から一人の少年が近付いてくる。彼は手ぶらで、リュックサックを背負っていた。来菜は顔を上げて、少年へと手を振る。
「おはよ、
「おはよー、有間。そんなには濡れてないよ……ところで手に持ってるそれ、何?」
「なんかね、ラブレター貰っちゃったみたい。照れるなあ」
来菜はそう言って、にこにことした表情を浮かべる。少年――
「しかもこれ、私達のクラスメイトがくれたみたい。嬉しい」
「えっ、誰だろ。名前とか書いてないの?」
「うん、匿名だよ。私宛ってことしか書いてないの」
「そりゃまた、不思議なラブレターで」
夕樹は薄く笑って、下駄箱に手を伸ばす。彼が靴を履き替えるのを眺めながら、来菜は口を開く。
「ところで夕樹くん、今日早くない?」
「ああ、俺まだ宿題やってないんだよね、だからやんなきゃなーと思って。どうせ有間は見せてくれないだろうし」
「そうやってすぐに決め付けるのは、夕樹くんの悪い癖だよ? まあ見せないけれどね」
「お前が休んだとき、ノート貸してあげたのに?」
「それとこれは話が別だと思うなあ」
来菜はくすくすと笑う。それから再び、手紙へと視線を戻した。
「これ、誰がくれたんだろうなあ……」
「さあ? 俺がわかる訳ないでしょ。推理してみたら?」
「推理、か。それはちょっと難しいよ……と言いたいところだけれど、意外とできちゃうかもしれない! ふふ、漫画みたいで楽しそう」
「え、まじ? それじゃー聞かせてよ」
夕樹は楽しそうに、目を輝かせる。来菜は探偵のように腕を組んで、笑った。
「まず私は今日、いつものように、このクラスで一番乗り。それに加えて、昨日下校する時点ではまだ、この手紙は置かれていなかった。すなわち昨日私が帰ったあとに、誰かがこのラブレターを入れたんだよ」
「へえ、名推理じゃん。すごいすごい」
「えへへ、そうでしょ。しかも私ね、昨日美化委員会の集まりがあったから、だいぶ帰るのが遅かったんだ。私より後に残っていたのは、須野さん、間宮くん、水嶋くんの三人だけ。だからこの中の誰かが、ラブレターを置いていったに違いない!」
来菜はにやりと笑って、そう告げた。夕樹はふむふむと頷きながら、口を開く。
「というかお前、昨日帰るのそんな遅かったんだ、知らなかったわ」
「まあ夕樹くんは、いつもすぐ帰っちゃうもんね?」
「うん、帰宅部だし。早く家帰って寝たいし」
「すやすや……」
「すやすやって何だよ」
半眼の夕樹に、来菜は口元に手を添えて、可笑しそうに笑った。それから思い出したように、もう一度腕を組む。
「それでは、推理に話を戻そうか。まず、須野さんは違うと思うの」
「へえ、根拠は?」
「同性だということもあるけれど、須野さんには確か彼氏さんがいるはずなんだよ」
「えっ、そうなの? 本人から聞いたとか?」
「いや、須野さんとはそんなに話したことないし、本人から聞いた訳じゃないよ。でもね、この前放課後に見かけたんだ。空き教室で、須野さんが男の子と手を繋ぎながら話してるところを……!」
力強く言い切った来菜に、夕樹は目を瞬かせる。
「まじ? やばー、何そのエモい瞬間!」
「やばいよね。しかもね……キ、キスしてたの。うわーってなった!」
「ええ、まじか! え、相手誰、相手誰?」
「うーん、それはわかんなかった。二年生の誰かかもしれないし、三年生の先輩かもしれないし、はたまた一年生の後輩かもしれないよね」
「えー、須野さんってどの辺が好みなんだろ。めっちゃ気になるわ。仲良くなったら聞いてみよっかな」
「うんうん、私も仲良くなったら聞く気満々。次の席替えで近くの席になれたら嬉しいなあ」
二人はそうやって、笑い合う。それから来菜は、再び推理を始める。
「次に、水嶋くんも違う気がする」
「ほう、何で?」
「水嶋くんは美化委員会が一緒だから、時々話すんだ。でも水嶋くんはね、一人称が『僕』なんだよね。この手紙で使われている一人称は『俺』だから、そこが不自然だと思って」
「あー、なるほどね。でも『俺』と『僕』を使い分ける人って割といるし、そのタイプかもよ? 文面だと『俺』を使うとか」
「その可能性も低い気がするなあ……だって見て見て、これ」
来菜はそう言って、肩に掛けているスクールバッグをごそごそと漁る。それから、桃色のケースに包まれたスマートフォンを取り出した。
画面をタップして、メッセージアプリを開く。それから来菜は、表示された画面を夕樹の方に見せた。
「業務連絡だから見せてあげる。ほらほら、水嶋くんは文面でも『僕』を使ってるよ!」
「あー、ほんとだ。となると水嶋の可能性は低いかもね」
夕樹はこくこくと頷いた。
「となると、このラブレターの差出人は間宮ってこと?」
「かなあ……あ、でも、ちょっと待って」
来菜はそう言って、屈んで下駄箱を観察し始める。間宮、と書かれた上履きに目線を合わせてから、首を傾げた。
「うーん、何だか筆跡が違う気がするな……」
「筆跡?」
「うん。中学生だし、多分上履きには自分で名前を書いていると思うの。でも間宮くんの字、このラブレターの字とはちょっと違う気がするなあ」
「上履きに書くのって字歪みがちだし、それで決めちゃうのは早くね?」
「いや、でも……見て、ここ」
来菜は夕樹に、封筒を見せる。『有間』の辺りをとんとん、と人差し指で示してから、上履きの『間宮』を指さす。
「間宮くん、『間』の字を略字で書いてるでしょ?」
「あー、ほんとだ。簡単な書き方してるね」
「そうそう。でもこのラブレターでは、そういう書かれ方をしていない。こういう癖って結構出がちだから、違和感があるなあ」
「確かにねー、でもそうするとさ、候補が全員消えちゃったよ?」
「そうなんだよね……むむむ、迷宮入りしちゃったよ」
来菜はあごに手を当てて、考え始める。そんな彼女の様子を、夕樹は眺めている。
じっと手紙を見つめていた来菜が、何かに気付いたように目を見張る。それから傘立てを見て、ひとり頷いた。
「……私、わかっちゃった。このラブレターをくれた人」
夕樹は驚いたように、目を見張る。それから楽しそうに、笑った。
「へえ、誰? 教えてよ」
来菜は真っ直ぐに、夕樹のことを見据える。
それからゆっくりと、口を開く。
「このラブレターをくれたのはね――」
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