第2話 はじまり

 ブーブッ ブブー。ブーブッ ブブー。


 スマホのアラームでひかりは目を覚ました。手に握り締められたスマホが、悲鳴をあげている。

 長時間強く握りしめていたためか、ひかりの指先は白っぽくなっていた。

あわててアラームを解除する。


− 朝だ‥。


 大きく息を吐き出し、ベットの上で大の字になった。

 見慣れた天井が広がっている。ベットの脇の、お気にいいりのグリーンのカーテンから、ほのかに光が差し込んでいる。外は良い天気のようだ。


− ここは‥、私の部屋。


 確かめるように、周囲を見渡し、ほっとする。

 重たい体をゆっくりと起こし、緊張した体をほぐしてみた。

 首筋から全身、汗をびっしょりとかいていて、お世辞にも良い朝の目覚めとは言い難い。


 窓を開けると、気持ちの良い風が入ってきた。少しだけ気分が軽くなる。

 ひかりの住むマンションは、築年数も新しく都心へ電車で30分ほどの立地条件にある。若い世代の家族が多く住む分譲マンション。その一室、904号室にひかりは住んでいる。4号室というのはあまり好まれないためか、単身者向けの少し小さめな間取りとなっている。でも、一人で暮らすには十分な広さだ。



− …秋子が死んだ。


 秋子の兄という人物から、訃報の知らせを受け取ったのは一昨日の夜の事だった。

目覚めが悪いのは、この事が原因なのかも知れない‥。


− なぜ? 元気そうだったのに。


 バスタオルで汗を拭きながらシャワールームへ向かう。まだボーッとしているひかりの頭のなかに、秋子とのやり取りがリプレイされる。


 雛型 秋子ひながた あきこ


 ひかりとは、同期のなかでも一番仲がよく、お互い一流のジャーナリストを目指し、切磋琢磨する間柄だった。ひかりが初めて記事を書くチャンスをもらった時、誰よりも自分の事のように喜んでくれたのが秋子だった。


 秋子の書く記事は、細部までしっかりと調査され、事件の裏に潜む人間の闇までをあぶり出す、深く掘り下げられたものが多く、編集部の間でも期待される存在だった。


 あの日も、ある事件の追跡調査のため山梨県のとある村にいると言っていた。


※ ※ ※


 雨が降っていた。

 まだ5時だというのに、辺りはどんよりと暗く遠くで雷の音がするそんな日だった。


 自宅で記事をまとめ、写真をピックアップし終わった頃だったと思う。


 スマホの画面に、秋子の文字が浮かぶ。

 バイブレーション設定していたはずなのに、スマホは静かに秋子からの着信を訴えている。


 何か違和感を感じつつ、ひかりはスマホを手に取った。


「秋子?どうしたの?」


 いつもはメールかLINEでのやり取りが多いい二人。電話ということはよっぽどの緊急事態に違いない。


「ごめん。仕事中だよね。ちょっとひかりに聞きたいことがあって」


 電波状況が悪いのか所々聞き取りづらい。相変わらず外はひどい雨が降っている。


「ひかりって、今東京だよね?」

 秋子の声は、高揚しているように聞こえた。ひかりは秋子の言葉の真意を計りかねていた。いきなりどうしたのだろう?

「家にいるけど?それがどうしたの?何か資料送って欲しいとか?」


 ザーザー。


 さっきより秋子の声が聞きづらくなった。


 電波が悪いだけでなく、ひかりの部屋の窓に打ち付ける雨が強く、激しい音をたてている。先ほどより心なしか暗くなってきたようにも感じる。


「そん‥じゃなくて、‥たいことがあってね。」

「ねぇ、秋子。ごめん聞き取りづらいかも。」


 ひかりはスマホをスピーカーモードに変え音量をあげてみた。


「‥村って知ってる?」


 その時だった。

 一瞬部屋全体が明るくなった。続いてドーン、ゴロゴロゴロ。どうやら近くに雷が落ちたようだ。


「秋子、ごめん、聞こえない。」

 そうひかりが言いかけた時、ひかりの脳裏に秋子の姿が、写し出された。


 赤い傘、黒いレインブーツに、バックパッカーのような大きなリュック。秋子の顔は見えないけど、森の中、獣道を歩いている。辺りは雑草に覆われていて手入れのされた歩道ではないようだ。


 ほんの一瞬感じた光景だった。


「秋子? ねぇ、秋子?」


 ツーツー‥。

 電話は切れていた。


 これが生きている秋子の声を聞いた最後だった。


※ ※ ※


「何を聞きたかったの? 秋子‥。」

 やや冷たいシャワーを頭から浴びながら、ひかりはそう呟いていた。


- ねぇ、ひかり‥。 キオイ村って知ってる?

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