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拳を食らった顔面に激痛を覚えながら、健吾が目を覚ますと。健吾は応接間にいて、先ほどまでと同じ、横長のソファーに座らされていた。テーブルに突っ伏すような形になっていた健吾は、ゆっくりと体を起こそうとしたが、出来なかった。それで、背中側にロープを通され、そのロープの両端はテーブルの足に縛り付けられており、自分の体がテーブルに押しつけられるようにして固定されていることがわかった。
「……気が付いたかね。気を失ってから、それほど時間は経ってないよ。まだ、日曜の夕方といった時間帯だ」
目の前には、健吾に殴られた鼻に白いガーゼを貼った、真一が座っていた。その両手はもう縛られてはおらず、真一は吸っていたタバコの煙を「ふう……」と吐き出すと、「ちょっとまだ、鼻に染みるかな」と言いながら、テーブルの上にある灰皿でタバコをもみ消した。今の健吾には、真一の姿を凝視することしか、出来ることはなかった。
「……一体何が起きたのかと、そう思っているのかな? それと、あの地下室はなんなんだと。まあ、時間はタップリある。ゆっくり、説明してあげるよ」
真一はそう言って、「おい、気が付いたぞ」と、家の奥に声をかけた。すると、一朗に引っ張られて破れた服を着替えていたのか、新しい部屋着を着て嬉しそうな顔をした信子が、そそくさと応接間に入って来た。
「あ、顔を殴っちゃったのよね。お返ししたいのはわかるけどさ、せっかくイケメンだったのに、ちょっと勿体ないじゃない」
鼻血の跡が残る健吾の顔を見て、信子が楽しそうにケラケラと笑った。つい数時間前まで、一朗に体をまさぐられて怯えていた信子とは、別人のようだった。
「そうだな……どこから説明しようか。そうだ、もう1人の『彼』の姿が見えないのが、気になってるかな? 彼は今、三ツ谷さんと一緒に地下室にいる。そこでどんなことになっているかは、地下室を見た君なら、なんとなく想像が付くだろう?」
一朗は、地下室にいる……。悲鳴と嗚咽を残し、一朗も恐らく、こいつらに捕らえられたのだろう。そして、あの地下室を見て「想像する」ことと言ったら……。健吾は、自分が思い浮かべた凄惨な情景に、思わず身震いした。
「私と妻は、昔から趣味趣向が一致してね……よく2人で、ネットなどで出回っている、処刑シーンやリンチの現場など、本物の残酷な動画を集めては、『視聴会』を開いたものさ。でもやっぱり、動画を見ているだけでは物足りず、自分達で『やってみたい』と思うようになった。それで、IT関係の企業に勤めている利点を生かして、『裏サイト』みたいなところに潜り込み、妻のような『同好の士』を募ったんだ。ことを始めるには、1人でも『仲間』がいた方が心強いからね。そこで出会ったのが、三ツ谷さんだったんだよ。
三ツ谷さんも、医大を出た後しばらくは、医者の道を目指すつもりだったみたいだけどね。でもそのうち、自分の欲しているのは『人を治す』ことではなく、『人を切り刻む』ことだとわかった。それで、欲求に負けて問題を起こす前に医者を辞めて、裏サイトで仲間を探していたらしい。まあ私たちは、出会うべくして出会ったと言えるだろうね。
三ツ谷さんの家はご両親ともに医者で、『資産家』と言ってもいい家庭だった。私も会社の業績が伸びたことで、金銭的に潤っていたからね。意気投合した私たちは、お互いの目的を果たすための、『拠点』を作ろうという話になった。それで造り上げたのが、この家と、あの『地下室』というわけさ。まあ、家そのものはカモフラージュのようなもので、本命はもちろん地下室の方だったけどね。その後、元々隣に建っていた家を買い取り、そこに三ツ谷さんが住むことになった。
こうして目的を叶えるための『舞台』は整ったものの、問題はそこで実際に行うことの、『対象探し』だった。しかしこれも、この不景気で仕事にあぶれた若者や、多額の借金を抱えてどうにもならなくなった社会人などが多くなったことが、幸いしたね。私たちは慎重にそういったデータを集め、『これ』という人物に目を付けて、この家に『ご招待』した。仕事を与えるとか、金を工面するとか、甘い言葉をかけてね。
慎重を期するため、なかなか大人数は集められなかったが、その代わり招待した者たちに関しては、手厚く歓迎させてもらったよ。そのうちの何人かが、君も見た『地下室』に、今も残っているということだ。
そして目的の実行に際しては、三ツ谷さんに医師の心得があるということが大きかった。『対象』を痛めつけたあとに治療して、『生き永らえさせる』ことが出来るのだからね。多くの対象を集められないという現状がある中で、その対象を少しでも長く生かしておくことは、私たちにとって重要だったんだ。
だが、そうやって生き永らえた対象の者たちも、永遠に生きていられるわけじゃない。やはり、肉体的・精神的なダメージを負わされ続けた結果、息を引き取る者も出て来る。いま地下室にいる者たちも、正直言って、『そう永くない』と思われる。だから私たちは、新しい対象を探していたんだが……まさか、そちらの方から『来てくれる』とはね。これはほんとに、ラッキーだと思ったよ。
だから私は、君たちが『乗り込んで来てくれた』ことにワクワクしながら、その感情は押し殺し、黙って言いなりになっていたのさ。信子も、最初は警戒していたようだが、すぐに私の狙いを察し、『怯えたフリ』を続けていた。なかなか名演技だったろう?
私は、君たちをどう『歓迎』してやろうかと考えていたんだが、君があの『ゲーム』の話を持ち出して来た時には、更にゾクゾクしたね。君も言ってたろう? 私も久しく、忘れていたんだよ。自分自身が痛みを感じる、そのスリルをね……! 脛を殴られ、鼻を潰されたことで、その『快感』が蘇りつつあった私には、あのゲームは願ってもない申し出だった。喜んで『協力』したかったが、一応嫌がるような素振りも見せなきゃと思ってね。そうでないと、君も興奮しないだろ? 相手が怯え、怖がる様を見ないと。
そこに、事情を知らない三ツ谷さんがやって来た。あの時はいつもの調子で、ほんとに偶然訪ねて来たんだよ。私の鼻血を見て驚いていたが、余計なことは言わないようにと、目で合図を送った。さりげなく家の中に視線を送って、『いいカモが来ている』とね。それから三ツ谷さんが帰る間際に、これもさりげなく、キッチンの裏口の方を小さく指さした。『そちらから、入ってこい』という意味でね。
私と三ツ谷さんが共同で建てた家だから、当然三ツ谷さんもこの家の鍵は持っている。君たちに悟られず、裏口から入り込むのは簡単だったと思うよ。あと、独身で1人暮らしの三ツ谷さんは、運転手兼ボディガードとして、体格のいい男を雇っている。『対象の者』が逆らうような素振りをした時に、言うことを利かせることにも一役買ってもらってる男をね。
その男も一緒に裏口から入り、君が階段を降りて、もう1人の彼が応接間で孤立したのを見計らって、運転手が襲い掛かった。妻を襲うのに夢中になっていた彼に、抵抗する術などなかったよ。そして、君が階段を駆け上がって来るのがわかって、君については私に任せて欲しいと三ツ谷さんに言って、ゴルフクラブで脛を打たせてもらった。やっぱり『お返し』はしておかなきゃあ、とね。その後に君の顔面を殴ったのは、運転手の男さ。私が殴っても良かったんだが、なんせ君に何回も指を刺されていたからね。痛みをかばって殴っても、大したダメージは与えられないかもなと思ったんだ。
そういうわけで、君は今こうして、あの楽しい『ゲーム』をした応接間に拘束されているというわけだ。少し長い説明になってしまったが、わかってもらえたかな……?」
健吾は、ただ黙って、真一の話を聞いていた。出来れば、これは全部夢の中の話で、目覚めれば全てが消えてしまうものだと思いたかったが、これは間違いなく「現実」だった。それも、自分が招いた、自ら足を踏み入れてしまった、恐るべき現実だった。
「あ……あんた……」
それでも健吾は、「何か言わなければ」と、必死に言葉をひねり出そうとした。喉がカラカラに渇き、上手く喋れなかったが、その様子を楽しむかのように、真一は「うん? なんだい?」と、わざとらしく聞き返した。
「あんた……扉の中は、無視してくれ、って言ってたじゃないか。見なかったことにしてくれって。あれは、なんだったんだ……?」
ようや健吾が吐き出したその言葉に、真一は一瞬沈黙したあと、「ははは、そうだったね。ははははは!!」と、さも愉快そうに高笑いした。
その高笑いを聞きながら、健吾は自分がこれからどうなるのか、それだけを考えていた。恐らく一朗はもう、あの地下室で、酷い目に逢っている。やるのは順番で1人ずつ、ということなのか? 俺は、拷問の「順番待ち」をさせられているのか……??
「あれはね、あえてそう言うことで、逆に君が興味を引くだろうと思ったのさ。いかにも、大事なものが中にあると思わせようとね。あと、君のためでもあるという『忠告』を付け加えたのは、私の本音だよ。君が扉の中に入らなければ、あの地下室を見なければ。君は、これから自分が体験することを知らず、恐怖に怯えることもなかったろう。
しかし君は、これから体験することの、その『結果』を知ってしまった。自分もああなるんだと、そう思ってるだろう? その恐怖はとてつもなく、どうしたらそれを逃れられるかと、ただそれだけを考えてるだろう??」
真一は、今の健吾の心境を、ズバリと言い当てた。捕えた者と、捕らわれた者。心理を読む者と、読まれる者。今や健吾と真一の立場は、完全に逆転していた。
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