第2話あさおん!

 目覚めていつもの天井が見えても、ボクの心臓は早鐘を打ったままだった。


「ボクの体は⁉」


 言って、改めて実感する。声がおかしい。体が軽い。自分の手のひらを確認する。小さくてまん丸の手。ボクはベッドから飛び出すと、洗面所へと向かった。


「やっぱり……女の子になってる……!」


 洗面所の鏡の前で、ボクは項垂れていた。鏡の向こう側では、可愛い女の子がしょんぼり俯いていた。


「はぁ……」


 改めて鏡を直視して、自分の顔を確認する。高校二年生のボクからすると、随分小さな女の子だった。まん丸の大きな目に、形の良い鼻立ち。唇はぷっくりと膨れていて、触ると柔らかい。ぼさぼさだった黒髪は、真っ直ぐに伸びるロングヘアーに変わっていた。

 可愛い女の子だ、とボクが他人なら素直に思えただろう。


「どうすんだよ……学校とか⁉」

「姉貴うるさい」


 不機嫌そうな声をと共に洗面所に入って来たのは、我が妹、稲葉理子だった。


「姉貴……? あれ、兄貴……? まあいいや、そこどいてよ。いつまで占領してんの」

「姉……?  ちょっと待て、ボクは昨日まで男だったよな⁉」

「なに寝ぼけたこと言ってんの。いいからどいたどいた」


 しっしっ、と妹はまるで蚊でも追い出すようにボクを追い払った。



「おかしい……そんなのおかしいじゃないか……」


 ブツブツ言いながら、ボクは通学路を歩いていた。腿のあたりに、スカートのひらひらとした布地があたり、ひどく違和感を覚える。


「うーん、やっぱりスカートって防御力低すぎじゃないかな……」


 なんとなく裾が気になって、鞄でお尻のあたりを隠す。先ほどから、背後に視線を感じていた。


「とにかく、一日でも早く元に戻れるようにしないと……」


 あの悪魔は言っていた。ボクにかけられた女体化の呪いを解くには、男に心から惚れられればいい、と。

 正直悪魔の言うことを鵜吞みにするのもどうかと思うが、それしか手がかりがない以上縋るしかないだろう。


「しかし、あの悪魔、ボクを侮ったな……!」


 あの悪魔は一つ勘違いをしている。何事にも動じないボクが、女の子にされることで無様に動揺する様を晒し続けると思ったのだろう。けれど、解放条件が男に惚れさせることならばすぐにでも達成できるだろう。なぜならば。


「ボクほど理想の女子高生彼女について考え抜いている男子高校生はいないからな! 男の一人や二人、簡単に誘惑してみせよう!」


 突然大声を出したボクに、奇妙なものを見る目が刺さる。けれど、達成感に溢れているボクにとってそんなことまるで気にならなかった。

 ふははは、とボクは通学路で一人高笑いをした。あの気に食わない悪魔の裏をかけると思えば、それだけで気持ちが高揚した。堂々たる足取りで、ボクは通学路を歩く。

 とりあえず、あいつを陥落させるなら三日もかからないだろう。その勢いで男の三人くらいは攻略するとしよう。そうすればあの悪魔も満足だろう。





「そういうわけで、我が親友よ。ちょっとボクに惚れてくれないか?」

「お前は何を言ってるんだ?」


 僕の唯一無二の親友は、馬鹿を見る目でボクを見つめていた。


「だから、さっき二回も説明しただろ?悪魔が夢に出てきて、ボクを女にした。元に戻るには男に惚れられる必要があるから、ちょっとお前に惚れて欲しいんだよ」

「馬鹿だ馬鹿だとは思っていたが、ついに頭がおかしくなったのか……」


 親友――俊樹は、頭痛がするみたいに頭を抱えた。


「なんだよー!お前だって、ボクの性別が最初から女だったみたいになってるこの現状が異常だってことくらい分かってんだろ⁉」

「そりゃあまあ、友人が学校で会ったら女になってたなんて状況に対して俺も混乱はしているが……だからといって、『ボクに惚れろ!』とはならんだろ……」


 相変わらず頭が硬いやつだ。


「でもなあ、俊樹。考えてもみろよ」

「なんだポンコツ」

「ボクとお前は、好みの女子高生のタイプについて、一夜と言わずに何日も語り合った仲だろう? ツンデレはこういうのがいい。真面目ちゃんの頑張ってる姿はいい。眼鏡っ子は眼鏡を外すな。小っちゃい子の背伸びする姿がいい。それを全部覚えているボクが、君を攻略できないとでも思うか?」

「あのなあ、それは全部二次元のヒロインの好みの話だろ? それを三次元、ましてやお前になんて当てはめられるわけねえだろうが」

「ふっふっふ。本当にそうか?」


 ボクが自信ありげに笑みを浮かべると、俊樹は怪訝そうに眉を顰めた。


「……お前がそういう態度を取っている時、だいたいロクなことにならないんだがな」

「まあ、見てろって。――いくぞ」


 ボクが口調を改めて真剣に言うと、俊樹も真剣にボクを見つめ返した。その顔には、何が起こるのか、という期待と不安に満ちているようだった。

 ボクはゆっくりと両手を下ろすと、スカートの裾を掴みゆっくりと引き上げ……。


「ラッキースケ……」

「ばかあああああ!」


 俊樹はスカートを捲りあげようとしたボクの両手を、全力で抑えてきた。ボクらの手が重なり、俊樹の大きな手がボクの小さくなった手を包み込んだ。


「離せ俊樹! お前なんてボクのパンツを見たらイチコロだろうが!」

「そんな有難くないパンチラがあるか! だいたいここ教室だぞ!」

「くそ……失敗か」


 ボクは諦めて手を下ろす。途端、いつの間にかこちらに集まっていた男子高校生たちの視線があらぬ方向を向いた。


「惚れる云々の前に常識なさすぎるだろ! 何考えてんだ!」

「だってお前、お堅い子の不意に見せるパンチラが好きって……」

「お前のそれはチラじゃ済まなそうだったぞ! というか二次元と三次元を混同するな!」


 俊樹はいつもボクの間違った行動を咎めている時のような表情で言い募った。こうなったら何を言っても無駄だ。

 

「だいたい、元々男だったお前に俺が惚れるっていうビジョンに無理があるんだよ」

「そうかなあ……仕方ない、他の奴に声かけるか」

「あ、待て」


 ボクが諦めて他を当たろうとすると、俊樹がストップをかけた。


「確か、俺以外のクラスメイトは皆お前のこと元々女だと思ってるんだったよな?」

「ああ、なぜかな」


 今のところ、男だったボクを覚えているのは俊樹だけのようだった。他のみんなはきょとんとした顔で『ゆうきちゃんはずっとそのままだったじゃん』と言うだけだった。


「じゃあお前、他のやつに俺と同じ感じで迫るのはやめとけ」

「え? なんでだよ。嫉妬か?」

「違うわあんぽんたん。ただの女だと思っていたお前が急に自分の体使って迫ってきたら、どうなると思う?」

「え? 嬉しい?」

「お前じゃないんだからそんな悠長なことにならねえよ。率直に言えば、最悪犯される」

「は? いやいやいや。まさかまさか。お前、エロ本の読みすぎで頭おかしくなってんじゃないの?」

「考えすぎでもないと思うけどな。少なくとも、急にキスを迫られるとかそれくらい覚悟した方がいいぞ?」

「男とキスは嫌だな」


 どうせなら、ボーイッシュな女の子に情熱的にキスを迫られたい。


「でもまさか、お前でもないのにそんなエロ猿みたいなことあるか?」

「エロ猿筆頭のお前が言うか? ちょっと中性的な顔してるからって女子に甘い目で見られやがって。……ンンッ、お前が男側だったと思って考えろ。小っちゃくて押し倒したら全く抵抗できなそうな女の子が、自分に好意的な素振りを見せてくる。さらにはちょっと際どい部分まで見せてくれると来た。お前ならどうする?」

「手を握ってキスしていいか尋ねる」

「だろ? その時お前、その小さな体で抵抗できるか?」

「……うーん、金的蹴り上げる?」

「なんだこいつこわ……」


 俊樹はちょっと引いていた。


「でも、そうなるとお前の惚れさせるって目標は達成できないだろ。金的蹴り上げてくる女の子なんて誰が好きになるんだ」

「それもそうかあ」


 そうなると、やはりボクは俊樹を惚れさせるしかないみたいだ。


「うーん、じゃあ、またお前の好みに合いそうなやつ考えてくるわ!」

「ああ、期待せずに待っとくぞ」

「なんだよお前、ボクが女の子のままでもいいのか?」

「いや、別に俺は困らないし」

「薄情者!」

「だいたい、惚れさせればお前が男に戻るってのも怪しいだろ」


 俊樹は、まだボクの話を完全に信じていないようだった。


「ちょっとネットでそういう話が転がってないか、俺も探してみるから、ちょっと待て」

「そういう話って?」

「友達が女になったって話」


 ないんじゃないかな……。

 そんな、どこかいつも通りの会話をしていたボクたちだったが、ちょうど予鈴が鳴ったことで、会話の終わりを悟った。ボクたちの席は離れている。立ち話もおしまいだろう。


 別れ際、ボクは宣戦布告をした。


「じゃあ、放課後にはお前が卒倒するような策を十個くらい考えてくるから、待っとけよ!」

「はいはい、頑張れ頑張れ」


 くるっと振り返り、席へ。勢いよく振り向いたものだから、スカートが捲れ上がるのを感じた。


「ブフッ……」


 俊樹は、何かに興奮しているような声を出していた。

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