フェイサー

Afraid

第1話

1-1 行方不明

 昼下がりの商店街は、平日にもかかわらず多くの通行人で賑わっている。

 通路の床や天井には発光素子が敷き詰められていて、商品やサービスの広告、ニュースなどの鮮明な映像が川のように流れていく。

 等間隔に立ち並ぶ店。

 ガラス越しに見える商品。

 道行く人々を見下ろす無数のセキュリティカメラ。

 今や、どの地域でも見ることができる日常の風景である。

 

 通路の真ん中を、少女が一人で歩いている。

 切り揃えられたショートヘア。

 短い眉。

 重たい睫毛。

 白いシャツに紺色のネクタイという服装は、一見すると学校の制服のようにも見えるが、鞄を提げてはいないし、今は学生が一人でぶらつくような時間でもない。

 何よりも、少女が放っている独特の雰囲気が、普通ではない何かを周囲に告げているようだった。

 関わるべきではないとか。近づくと良くないことが起こるとか。

 そういった何かを、だ。

 ちょうど、正面から来る通行人が無意識に彼女を避けて行くように。

 

 やがて、少女は一つのテナントの前で立ち止まり、その外観を見上げた。

 店の正面にはシャッターが降りていて、そこに右を指した大きな矢印が落書きのように描かれている。店名や説明のようなものは見当たらない。

 矢印の先に目をやると、店に挟まれた細い通路がある。

 どうやらそこから店内に出入りできるようになっているらしい。

 少女は覚悟を決めたように息を吐いてから、その薄暗い通路へと消えていった。


 中に入ると、店内はもっと暗かった。

 照明らしいものは無く、電子遊具のギラギラとした光だけが闇の中にびっしりと浮かび上がっているようだった。

 その代わりに、大量のコインが擦れ合う音だとか、大当たりを告げる電子音だとか、意味不明な大声だとかが、休む間もなく鼓膜を叩いてくる。

 ここは、21世紀初頭の娯楽施設をそのまま再現した――いわゆる不良のたまり場であった。

「うちは会員制だよ。遊びたきゃ氏名住所生年月日」

 小さな窓口から中年女性の顔と肘がぬっと出てきて、入り口に立っている少女を睨むように見据えた。

「あの、警察の者ですが」

 少女は窓口に近づいてからやや大きめの声でそう言った。

「ケーサツぅ?」

 中年女性が怪訝な顔を見せる。

「手帳は無いけど」

「ああ……そういうこと」

 中年女性は、何かを納得したような、あるいはがっかりしたような声で言った。

「水道課に新人が入ったなんて聞いてないけどね」

「今はテストだから」

 少女のその言葉を聞いて、中年女性の顔がにわかに険しくなった。

「テストだあ? 子供が一人消えてるんだよ! 家には帰ってない! ネットにもアクセスしてない! 監視カメラでも足取りが掴めない! 今生きてるかどうかもわからないんだ! それを小娘のテストの材料にされたんじゃあ、たまったもんじゃないよ!」

 店内の客が、みな一様に入り口を振り返ったまま固まっていた。

 常に騒がしいはずの空間が一瞬だけ静寂に包まれたと錯覚するような、それほど凄まじい剣幕だった。

「一人じゃない」

 少女はうつむいたまま口を開いた。

「ああん?」

「都内で何人も子供が消えてる。行方不明者は全員不登校の学生で区域もバラバラだから警察本部は動こうとしないけど、これは集団拉致だろうって」

「先輩がそう言ったのかい」

「そう。私は一人じゃ無理だって言ったんだけど、きっと大丈夫だからって」

「先輩がそう言ったのかい」

「そう」

 少女は平然と頷いた。

「あんた名前は?」

「セツナ」

 少女が名乗ると、中年女性は観念したように首を振ってから、窓口の奥にあるドアを親指で指した。

 

 狭い休憩室。

 セツナはソファに腰を下ろしたまま、湯呑に注がれた麦茶を一息に飲み干した。

 隣には先程の中年女性が座っていて、テーブルに頬杖をつきながらセツナの様子を眺めている。

 女性は山崎と名乗った。この娯楽施設を一人で運営しているらしい。

「あんた、もう少し年頃の女の子らしい所作ってもんがあるんじゃないのかい」

 山崎は小馬鹿にしたような口調でそう言ったが、作法を学んだことがないというセツナの言葉を聞いて色々と察したらしく、少しだけ表情が和らいだようだった。

「ここの連中もね、不良だ不登校だって言われて、みんな世間から疎まれてるようなガキばっかりだよ。そんなガキが事件に巻き込まれたり痛い目に遭ったりしてるのを見ると、奴ら必ず言うのさ。自業自得だって。あたしはそういうのが大嫌いでね」

 山崎の言葉を、セツナは黙って聞いている。

「じゃあ、ろくに飯も与えてもらえない子供や、毎日のように殴られて暮らしてる子供は、何の報いを受けてるっていうんだい。便器に産み落とされたまま溺れ死んだ赤ん坊が、どんな悪事を働いたっていうんだい……ああ、悪いね。行方不明の話だったね」

 山崎はそう言って、テーブルの上にある帳面のようなものをセツナの前に広げて見せた。

「名前は里中アリス。迷子になりそうな名前だよ。おとなしくて色白の子で、なんでこんな店に通ってるのかは知らないが、まあここの連中とは仲良くやってるように見えたよ。学校にもたまに顔を出してるとか。最近は成績さえ良ければそれで良しってところも多いからね」

 名簿には確かに里中アリスの名前があった。

 セツナがそれを目で確認すると、コンタクトレンズ型端末によって文字が認識され、データベースから検索された顔写真や住所の画像が彼女の視界に浮かび上がる。

 絵本に出てくるような美しい金髪の娘だった。

「失踪する前に変わった様子は無かった?」

 レンズで情報を検索しながらセツナが問う。

「ようやく警察らしいセリフが出てきたね。あたしもここの連中に色々聞いたけど、これといったことは何も」

「その……こういうことって今回が初めて?」

「そりゃ家出の一つ二つは珍しくないさ。ただし、たいてい友達くらいには言うもんだし、端末も一緒に持ち歩くだろうからネットにも足は残るよ。普通はね」

「わかった」

 そう言ってセツナは立ち上がった。

「何か役に立つ情報は得られたかい」

「名前と住所がわかっただけでも」

「所轄から情報をもらってないのかい!?」

「まだ信用が無いみたい」

「大変だねえ……世間じゃあいろいろ言われてるけど、水道課にはあたしらも何かと世話になってるからさ。リンとシキにもよろしく言っといておくれ」

「うん」

 短く返事をして、セツナは店を出た。

 

 薄暗い通路を抜けようとした時、後ろから声がした。

「一つ聞き忘れた。あんたも使えるんだろ、超能力。どんなものか気になってさ」

 振り返ると、入り口から上半身だけ覗かせた山崎がこちらを見ていた。

「それは……」

 セツナが言い淀むと、山崎は大声で笑い出した。

「冗談だよ。アリスのこと、頼んだからね」

 山崎に見送られながら、セツナは人混みの中へと消えていった。

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