創作居酒屋憩では、恋の料理がお勧めです

木嶋うめ香

第1話失恋と不細工な魚(彩花視点)

 ふられた。


 落ち込むのは一人だと辛い。

 だけど家族が待つ家に帰るのも辛い。

 帰って早々「どうしたの? 元気ないみたい」なんてママに聞かれたくないし、今日はパパも家にいるって言ってたから余計に聞かれるだろう。


「染み落ちるかなあ」


 天気予報は雨だって言ってるのに、張り切っておしゃれして薄いブルーのワンピースなんて着てきた私は馬鹿だと思う。

 梅雨のシトシト雨に頑張って巻いた髪はよれよれのボサボサだし、ワンピースの裾は水溜りの上をわざと走ったのって車が跳ね上げた泥水のせいで染みが出来ちゃったなんて最悪だ。


「すみません、まだ開店時間前なん、彩花? あーやかさんどうした?」

「ハイボール」


 お店のドアは開いていた。

 看板が出てないのは当たり前、だってまだランチの時間を過ぎたばかりだもん。

 おしゃれな傘立てにワンピースに合わせたブルーの花柄の傘を力なく刺して、店の中へと入った。


「開店時間前なんだけど」

「ううう、大河が意地悪だぁ」


 カウンターの中に立つ大河の冷たい声に涙が出そうになって、下唇を噛む。口紅が歯に付いちゃうなって思いながら、昔っからの癖は咄嗟の時に出てしまう。

 開店準備前に迷惑なのは分かってるけど、他に行くところなんか思いつかなかったんだから、許して欲しい。


「あー、いいよ。座ってろ。ハイボールな」

「我儘言ってごめんなさい」


 ノロノロとカウンター席に座ると、温かいおしぼりが出てきた。


「相手してらんないぞ、俺は忙しいんだ。勝手に飲んでろ」


 大河はそっけなく言いながら、冷えた大きなグラスにたっぷりの氷、パパがボトルキープしてるウィスキーの瓶と一緒に炭酸水と櫛形に切ったレモンを小皿に載せてすぐに出してくれるのって、流石だと思う。


「雨だってのに、そんなヒラヒラした格好してデートかよ」

「そうよ、ふられたけど」

「……そう。わっ! お前馬鹿なのかっ! グラスの殆ど酒って、それハイボールじゃないだろうが!」


 ドバドバとグラスにウィスキーを注いでいたら、なんか何もかも嫌になった。


「ムシャクシャしてやった後悔はしていない」

「彩花、お前なあ、うわっ、飲むなって!」


 一度は言ってみたかった台詞を、ドヤ顔で言い切ってゴクンとそのまま飲んでみた。


 私のグラスを見て大袈裟に騒いでるのは、私の幼馴染のお兄ちゃんである、大河だ。

 幼稚園からの幼馴染の渚ちゃんのお兄ちゃん、大河は私の五歳上だから今二十六歳、大河の伯父さんがオーナーのこの店で雇われ店長として店を切り盛りしている。

 創作料理居酒屋で名前は憩。休憩の憩一文字でいこいって読む。

 おしゃれで女の子一人でも気楽に入る事が出来る感じのお店だ。

 お店は京王新宿線の初台駅のすぐ近くにあるマンションの一階にある。

 店の上の階からはマンションになっていて、その中にはオーナーである大河達の伯父さんの部屋と大河と渚ちゃんの部屋がある。

 二人のご両親は離婚していてどちらも再婚してるから、二人は小学校の頃からご両親とは別れて暮らしてる。

 ちなみにマンションは伯父さんの持ち物らしい。


 渚ちゃんは、大学行きつつたまにこの店でバイトしてる。

 だから、もしかしたら渚ちゃんがいるかもって思って来たんだけど居なかった。

 いたら愚痴聞いてもらいたかったのに、残念すぎる。


「まずっー、濃すぎる喉死んじゃう」

「お前馬鹿、馬鹿なのか?」


 大河もある意味幼馴染みたいなものだから、私に遠慮がない。

 遠慮が無さ過ぎて、言葉がキツイのはいつもだけど今日は優しくして欲しいな。


「口直しに何か食べたい。って、それなに不気味なんですけど」


 カウンターの中で、大河は何か仕込みをしていた。

 椅子に座ってる私からは、大河の手元が見えない。

 立ち上がって覗き込むと見えたのは、何とも言えない不細工な顔でぬめっとした体の魚だった。


「これ知らないか? どんこだよ」

「どんこって椎茸のことじゃないの? い、いいよ見せてくれなくても! 怖い怖いっ!」


 わざわざ大河は両手で魚を持って、顔を私の方に向けた。

 目だけやたらと大きい、なんていうか、不細工な顔だけど、愛嬌があると無理をすれば言えなくもない。


「可愛くはないけど、怖くもないだろ。旨いんだぞぉこれ」

「そ、なの?」


 いつの間にか出されていたピーナッツを齧りながら、少しだけウィスキーが減ったグラスに炭酸水を注いでレモンを絞る。

 こじゃれた創作料理が出てくる居酒屋風バーという、何がしたいのか分からない店だけど大河の料理の腕で常連さんが沢山いるんだと、渚ちゃんは自慢気に言っていた。

 大河は昔っから料理が上手いし、センスがあると思う。

 だから大河が美味しいっていうなら、そうなんだろうけど。


「美味しそうに見えないよ、なんか変なの口からはみ出てるし」


 こんな顔の魚いるんだ。深海魚なのかな? なんだっけ、凄い大きな深海魚あれみたいにぬるりとした肌をしてる。

 魚ってよくよく見るとグロテスクよね、食べると美味しいけれど。

 鯛とかだって、鱗一枚一枚見るのはなんか怖いし鯉の口とかも怖いよね。

 そう思うのって私だけかなあ。水族館でガラス越しに見るのは平気なんだけどな。 


「旨いって、刺し身、肝醤油、味噌汁に鍋に煮付け、唐揚げもいける」

「へえ、刺し身」

「白身だからなあっさりしてるぞ、食ってみるか? こいつは小ぶりだから唐揚げがいいかもな」

「唐揚げ、食べたい」


 ハイボールに唐揚げは良く合うと思う。

 自分じゃ揚げ物は怖くて作れないけれど、作ってもらえるなら揚げたてが食べられる。


「大河、作って」

「仕方ねえなあ。まあこれはオーナーが釣ったやつだから、ただで食わせてやるよ」


 言いながら、サササッと内蔵を取り三枚下ろしにしてしまうと、衣を付けて揚げ始めた。

 本当に唐揚げにするの? 美味しいのかな。


「お前振られたって、そもそもいつから付き合ってたんだよ」

「昨日から」

「は?」

「昨日、前から良いなって思ってたって言われて、私もちょっといいなあって思ってた人だったから、じゃあ付き合っちゃう? って感じだったの」


 相手は同じ大学に通ってる人で見た目はかなり好みだったから、告白は嬉しかったからお試し期間としてでもいいから付き合わない? って聞かれてOKした。

 それで今日は初デート、映画見に行ったとこまでは良かったんだけどねぇ。

 なんであんなことになったのかしら。


「映画観た後で、ランチ食べに行こうってなったんだけど、気がついたら渋谷のホテルに連れて行かれそうになってて」


 ため息出そうになって、ゴクゴクと濃すぎるハイボールを飲む。

 明日は日曜日で授業もバイトもないから、酔ってもいいよね!


「はあっ? うわっちぃっ」

「ちょっと、大丈夫?」


 油がはねたのか急に大声を上げる大河に驚いて目を向けると、大河は無茶苦茶怖い顔してこっちを見てた。


「大丈夫だ。それで?」

「それで? あぁ、流石に付き合ったばかりでそれは無いでしょって笑って誤魔化そうとしたら、つまんねえ女って言われて終わり」

「なんだそれ」

「なんだそれ、だよねえ。私に見る目なさすぎなのかなあショックなんですけどぉ。この胸が良くないのかなあ」


 ゴクンとまたハイボールを飲んで、炭酸水とウィスキーをまた注ぐ。

 お腹空いてるところに飲み始めたせいか、もう酔って来た気がする。


「はあ、がっかり」


 俯くと見える胸は、嫌になるくらい大きい。

 そもそも痩せてないからなんだけどそれを考慮しても大きいから、中学高校時代体育の授業は大嫌いだった。

 なんで学校指定のジャージはあんなに胸が目立つように出来てるのか、スクール水着じゃなきゃ駄目なのは何故なのか、教育委員会の偉い人に問い詰めたい。

 いや、私立の学校だったから理事達になるのか? その辺良く分からない。


「胸」

「こら、アホ大河、料理に集中してよ」


 大河の視線を感じて睨みつける。

 視線がどこに向いてるかなんて、チラ見でもこっちは分かるんだからね。

 そうなのよ、分かるのよ。

 今日映画館で横に座ってた彼に、チラチラ胸元を見られてたなと思い出して気持ちが萎える。

 映画行く予定だから隣に座るって分かってたから、ちゃんと襟ぐりの開きが小さい清楚な感じのワンピースを着てきたのに、あの人は映画観ずに後の予定考えてたのかとか思うと、ガックリきちゃう。

 そういえば、映画見ながら太もも触られそうにもなったんだ。

 さり気なくバッグずらして阻止したけど、それしか考えて無かったのかと思うと、気持ち悪すぎて虫酸が走る。

 私ってそんな軽く見られてたのかしら、私の見る目がなさ過ぎだ。

 あんなのが良いとか思ってたなんて。


「あーあ、こんなにおしゃれなんかしちゃって馬鹿みたい」


 月曜日からのことを考える。

 学部も違うしサークルも違う、友達の友達程度の関係だったのは幸いなんだろう。

 取り敢えず友達には、最悪デート報告のメッセージは送っておいた。

 事実周知は大事、じゃなきゃこっちが悪いことにされかねない。


「まあ、食えよ。飲みすぎて吐くなよ」

「食べ物の前で吐くとか言わないで。ええ、なにこれ美味しそうっ!」


 目の前に出されたのは、こんがりと揚がってる見るからに美味しそうなものだった。


「どんこ、だっけ? 見た目不気味なのにこんなに美味しそうになるなんて」

「まあ、どんこは通名でエゾイソアイナメって名前が本当なんだけどな」

「ふうん? 食べていい?」


 名前なんてどうでもいい、とりあえず食べたい。


「ああ、熱いから火傷するなよ」

「やったぁ、いっただきまーすっ。あっうっ」


 温度を確認せずにガブリと食べたら、見事に舌を火傷した。


「彩花、やっぱりお前、馬鹿だろ」


 呆れた様に私を見てる大河を恨めしく見て、ふーふー息を吹きかけて唐揚げを冷ます。


「あ、あっさりしてる。美味しいっ」


 以外なことに、本当に白身だった。

 あんな見た目なのに、癖も何もなくて美味しい。これなら煮魚も美味しいかも。


「どんこ? 美味しい」

「そいつは良かったな。旬からは少しズレてそうなんだけど、特別メニューで出すかなあ。骨取りが面倒なんだよなあ」

「うんうん、出したらいいよ。鈴村さんとか好きそうじゃない?」

「あの人土曜日は来ないからなあ。って、お前常連さんの名前覚えてんのか?」


 ぎょっとした顔で大河が聞いてくるけれど、驕ってくれたしその時名乗ってくれたから勿論覚えてるよ。


「奢ってくれた人は覚えてる。あー揚げ物ってハイボールに合うっ!」


 鈴村さんは、この間お店に来たときカウンターで隣に座ってた小柄なおじさんだ。

 同僚だっていう目つきの悪い人と楽しげに飲んでいて、何故か奢ってくれた。

 同僚さんが食べてる魚を見ながら、俺も魚好きって言ってたし、これも好きなんじゃないかな。


「お前、そういや奢られてたな。ついでに、あの時も滅茶苦茶飲んでたな」


 大河は何か思い出したのかガックリ肩を落としてるけど、私はそれより食欲だ。

 濃すぎたハイボールを炭酸水で薄めつつ、どんこの唐揚げにレモンをちょっと絞ってから大口開けて齧り付く。あぁ、美味しい。


「色気より食い気だな」

「いいの、いいの。失恋した日くらい好きに食べたっていいじゃなぁい。でもクリスマスまでに彼氏が欲しいなあ」


 ゴクゴクとハイボールを飲んで、炭酸水が一本無くなる頃にはどんこの姿も無くなってしまった。


「あーあ」


 スマホを見たら、友達から「そんなアホは一回死ぬといいわ。事実広めとく」と返信が来てた。

 怖いなあ月曜日、まあいいや。


「渚ちゃん、話聞いてくれるかなあ」

「あいつ今日はなんかの試験だとか言ってたから帰ってくるのは夕方だな」

「そっかあ、それまで飲んでていい?」


 外は雨だし、家に帰るのも億劫だし。

 ジト目で見つめながらお願いすると、駄目だとばかりにグレープフルーツジュースが出てきた。


「酒はそれで止めとけ、上行っていいから」

「やだ、一人でいたら泣く」


 この店からならタクシーで帰ってもお財布にはそんなに響かない。

 だけど昼間っから酔っぱらって家にこんな時間に帰るのは無しだし、そんな気分にもなれない。


「なんで悲しいのかなあ」


 そんなに好きとかじゃないのになあ、何が悲しいのか分からないのに、悲しくて仕方ない。

 仕方ないから、グレープフルーツジュースにもウィスキーを注いじゃうんだ。


「わ、馬鹿お前っ」

「飲んじゃうもーんっ」

 

 仕方ないじゃない、家に帰ってママに何か聞かれるのもいやだし。

 上で一人でいるのも嫌だし。

 だったら飲むしかないじゃない。


「お前、失恋くらいで自棄になるなよ」

「なってないです。落ち込んでるだけです」


 私あんまり男運がないと思う。

 付き合って上手く行った人って一人もいない、いい感じかなって思っていても大抵相手の浮気で付き合って一ヶ月も経たない内に駄目になっちってその度大河と渚ちゃんに慰められている。

 大河には昔告白して振られてるんだけど、幼馴染のお兄ちゃんってポジションで私に優しくしてくれるから甘えてる。こういうところが良く無いのかな。

 でも、大河と会えなくなるのはちょっと無理。


「いいじゃないか、深入りする前に駄目男だって分かってさ」

「駄目男」


 私じゃなく、向うが悪い?

 映画じゃなく、私の胸見て足を触ろうとする様な男だって気が付かずに、ちょっといいななんて思ってた私が悪いんじゃない?


「駄目男だろ、本能的なもんは仕方ないけどさあ、断られて暴言吐く奴は駄目だ。そんな奴渚が連れてきたらぶん殴る一択だ」


 暴力は駄目だと思うけど、そっか。 

 好きだったからじゃないんだな、そっか分かった。

 顔とか性格とかで好きになってくれたんじゃなく、そっちが目的だったのかって、それが悲しかったんだ。

 思い通りにならないからって、つまんない女は無いよね。そうかあいつは駄目男か。 


「悪酔いするなよ、客が来ても絡むなよ、吐いたら追い出すからな」

「大人しく隅っこで飲んでるから」


 じとっとグラスを持ったまま、お願いする。

 大人しくするから、ここにいさせてね。



※※※※※※※※※



「お兄ちゃん、遅くなってゴメンね。仕込み手伝、なんで彩花寝てるの?」

「あー、起こして上連れてってくれるか」


 あれ、何か声がする。

 渚ちゃんの声?

 駄目だぁ、目が開かない。

 起きたいのに眠くて、もう無理ぃ。


「彩花今日はデートって言ってたのに」

「あー、それは禁句だな」

「また変なの引っ掛けたの? 彩花自分がそういうの引っ掛けやすいの自覚してないからなあ、やっぱり同じ大学行けばよかった」


 それは無理だよ私は文系だし、渚ちゃん理系じゃない。


「彩花、起きて上行こう」

「う……ん、むにゅ」


 返事したつもりなのに、声にならない。

 動きたいのに、全然動けないよぉ。


「駄目だこれ、お兄ちゃんおんぶしてあげて」

「え、お、俺っ」

「何へたれてんの。そろそろ開店時間でしょお客さんに彩花の寝顔見せていいならこのままにしておくけど?」


 お、おんぶ? それは駄目だよ。私重いからっ!


「そ、それは駄目だっ。だけど、おんぶは無理だ、絶対駄目だっ!」

「なんでよ」

「だ、だってな、あのな、む、胸が当たったら落とす自信ある」


 それって、どういう意味。


「お兄ちゃん、最低」

「だ、だってな、こんなワンピース着てたら目のやり場に困るんだよ! お前ちゃんとアドバイスしろっていつも言ってんだろ!」

「こんなん普通だわ。タイト過ぎるわけでもないから強調もしてないし、露出もしてないし、胸元フリルで可愛いだけだわ。お兄ちゃんが拗らせ過ぎなんですよー。このヘタレ」


 なんで兄妹喧嘩になったのか分からない。分からないけど、眠くてもう駄目。


 次の日の朝、二日酔いの最悪な状態で渚ちゃんの部屋に寝ていた私は、大河が作ってくれたシジミのお味噌汁を頂いて、これが幸せってやつねと言ったら、何故か大河が大きなため息をついたんだけど、なんでかしら。



※※※※※※

更新は不定期です。

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