変遷

はいね

変遷

「分かっていたんでしょ?」

彼女は俯きながら、唐突にボソリと言った。

分かっていないはずがない。

だって、ずっと一緒にいたんだから。

生まれたときから、ずっと。

「…うん、分かってたよ。」

私もまた同じように、ポツリと答えた。

閑散とした橋に、静かに風が吹き抜ける。

ふたりきりの空間。

辺りはもう日が暮れそうで、醜怪なほどに赤い雲が太陽と同化している。

「…気づいた時、言ってくれれば良かったじゃん。」

言ってから、しまったと思った。

彼女は、彼女なりの努力で今の言葉を口にしたかもしれないのに。

もともと霧月(むつき)はいつも自分のことを伝えられずに、もじもじするばかりだった。

私はそんな彼女の言葉を打ち消してしまったのかもしれない。

そんな後悔がぐるぐると心の中で渦を巻いていた。

だけど。

霧月はただ、笑うばかりだった。

今にも泣き出しそうな顔で。

「…ごめん。」

私は、謝ることしかできなかった。


だんだん、空が藍色で染まっていく。

ぶち撒けられた白い絵の具が、点々と散りばめられている。

光り輝くことはなく、染み付いた悔悛のように。

また生ぬるい風が、お揃いのキーホルダーを揺らした。


「…お姉ちゃんともお別れかなあ。」

彼女はどこか遠いところを見ながら呟く。

長い髪のせいで、霧月の表情が伺えなかった。

「お別れなんか、したくないよ。

 ずっと、霧月と一緒にいたい。」

それは叶わないと解っていても、言わずにはいられなかった。

寂しい。

情けない感情だけが、頭を、体を、心を支配する。

きっと霧月はもっと寂しいはずなのに、私が泣いちゃったら、駄目だよ。

駄目なんだよ。

「だって、私たち双子なんだよ?

 霧月がいなくなったら、私…私、どうしたら…。」

涙がこぼれそうになった時、両手を優しく掴まれた。

顔をあげると、彼女は、笑っていた。

「…大丈夫だよ、お姉ちゃんなら、きっと大丈夫。

 私なんかより勉強もできるし、運動もできるじゃん。

 この前だって、英語のテスト満点取ってたじゃん。

 私がいなくなったって、いつもどおりに過ごせるはずだよ。」

彼女の言葉も、まるで頭に入ってこなかった。

双子の片割れとお別れするなんて、とてもじゃないけど耐えられなかった。

霧月が、何よりもいちばん大切なのに。

今まで霧月と過ごして来たことが、頭の中を走馬灯のように駆け抜けた。


苦手な工作を、2人で最後まで教室に残ってやったこと。

家に帰りたくなくて、学校帰り2人きりでゲーセンに籠もっていたこと。

お母さんがたまに買ってきてくれるクッキーを2人で味わったこと。

夜中まで続く夫婦喧嘩を、イヤホンを分け合ってやり過ごしたこと。

2人共同じテストで100点取れて嬉しかったこと。


全部全部、霧月がいなければできなかった思い出。

1人だったら、絶対に乗り越えられていなかった。

「私には霧月が大切で大切で、必要な存在なんだよ…。」

気がついた時には、涙はとうに溢れていた。

涙腺が緩んで、視界がぼやける。

これじゃあ霧月の顔が、よく見えないよ。


また、風が吹く。

少し強めの突風が、髪を結った不揃いのリボンを棚引かせた。


霧月は橋の手すりに手を置いた。

そのまま上半身を外に乗り出す。


「まって!」

私は思わず、声をかけた。

このまま「さよなら」なんて、呆気なさすぎる。

まだ話したいことも、一緒に行きたいお店も、たくさんあったのに。

でも、時間が許してくれないから。

それは彼女が一番解っているはずだけど。

少し経った後に返事が聞こえた。

振り向いた彼女の顔には、大粒の涙が溢れていた。

「…っ、わ、私だって、まだ、まだお姉ちゃんと一緒にいたかった!

 お姉ちゃんと2人で、もっといっぱい色んなことしたかったよ!!」


しばらく、2人で子供みたいに泣きじゃくっていた。

久しぶりにこんなに泣いた気がする。


私たちの真上の空は、塗り込めたような黒で包まれた。

橋にぽつんと置かれている一つの街灯だけが、私たちの背中を照らす。


「…ばいばい。」

今度こそ、霧月は私に両手を振る。


「…じゃあね。」

私も、妹に右手を振り返した。


彼女の右足が、欄干にかけられた。

両足でしっかり、その上に立つ。

私と同じ学校の制服が、波風に乗って揺れている。


霧月はもう一度、私の顔を振り返った。

「いっぱいありがとうね。」

最後にそう言って、思いっきり遠くへ身を投げ出す妹。


大きな水しぶきがあがった。


私も彼女を追って、身を乗り出す。

橋の上から下を覗き込むと、おびただしい程の数の水沫の狭間に一匹の鱗が微かに見えた。

その眩い白銀の鱗に向かって、私は「またね。」と呟く。


それは彼女の、たった一つの口癖だった。





(完)

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