愚者は踊る 02
休暇で外出していたリアが怪我をして帰ってきた。
朝一番でその知らせを聞いたエステルは、慌てて情報を知らせてくれたメイに質問した。
「リアの怪我の具合は? 一体何があったの?」
「階段から落ちて頭を強くぶつけたようです。怪我の具合は大したことないようなのですが、記憶が混濁しているようで……」
医師だという男性に付き添われ、昨夜遅くに戻ってきたリアは、自分の名前や天秤宮で働いていた事は思い出せるものの、女官としてここでどのような働き方をしていたのか、また、フローゼス伯爵領で働いていた時のことなど、かなりの記憶が欠落している状態らしい。
「そんな状態で戻ってきたなんて……これまで通り働いてもらうのは難しそうね」
「そうですね、本人はできると主張してはいますが……」
エステルはリアが心配で顔を曇らせた。
「今リアはどうしてるの?」
「とりあえず今日の所は部屋で休むように伝えています。こちらに呼びましょうか?」
「いいえ、私が行くわ。リアは今控えの間にいるの?」
エステル付きの女官であるメイとリアは、夜中の呼び出しにも応じられるよう、エステルの私室に設けられた職員用のウェイティングルームで寝起きしている。
エステルは立ち上がると、リアの様子を見に行くことにした。
リアは、控えの間のベッドの上で読書をしていたようだった。
その姿を視界に入れたエステルは目を見開く。
(リア……なの……?)
目の前にいるのは確かにリアだ。こっそりと左手の甲に視線をやって、親指の付け根にほくろがある事を確認する。
茶色の髪も、青紫の瞳の色合いもリアそのものだ。
顎には赤いニキビが一つ。これもエステルの記憶の中のリアと一致する。休暇に入る前、吹き出物が出来たとリアが嘆いていたからだ。
……なのに。
どうしてこんなにリアが持つマナの量が多いんだろう。まるで貴族並みだ。おかしいのはそれだけではない。エステルを視界に入れた瞬間からマナが一気に陰った。ものすごく昏い負の感情を感じる。こんな感情をリアから感じたことは今までに一度もない。
「リア……?」
「エステル……、様」
「あ……体調はどう? 頭を打ったと聞いたけど……」
「体は大丈夫です。でも、何も覚えていなくて……」
「……それならフローゼスに帰る? 家族の元でゆっくりと静養した方がいいんじゃない?」
リアはフローゼス伯爵領の農村の出身だ。その実家は決して裕福ではないが、家族仲は良いのだと自慢していた。
「お、お側で働かせてください。私、ここで働いていたこと以外何も思い出せなくて……ここにいる方が記憶が戻る気がします」
「……そう」
(それなら、どうして……)
リアの中にはこんなに昏い感情が渦巻いているのだろう。
エステルはじっとリアを見つめたが、答えは出なかった。
◆ ◆ ◆
リアにはゆっくりと休むように伝え、エステルはメイを伴い自分の部屋へと戻った。そして声をひそめてメイに囁く。
「あれはリアじゃないかもしれない」
「え……」
「マナの量が違うの。リアのマナはあんなに多くなかった。中級の貴族並みにあるのよ。それに、私を見た時のマナの色もすごく昏くって……」
「…………」
メイは顎に手を当てると思案の表情をした。そして、少しの間を置いてから口を開く。
「……見た目はリアそのものなんですよね。手や顔のほくろの位置も顎のにきびも、休暇前のリアと一致します」
「……ごめんなさい。変な事言ってるわよね、私」
しゅん、と落ち込んだエステルに向かって、メイは首を振った。
「いえ、実は私もリアには違和感を感じておりました」
「違和感?」
「はい。人には誰しも癖がございます。歩き方、食事の時のカトラリーの使い方、言葉遣い……ちょっとした仕草にも人それぞれに個性があって、そこには生まれや育ち、また男女の性別差や年齢などが出ます」
確かに労働者階級と上流階級では所作も言葉遣いも違う。また、同じ上流階級でも、男性の動作がきびきびとしているのに対して女性はゆったりと優雅に動く。そうなるように子供の頃から躾られるためだ。
「休暇前のリアと今のリアは確実に違います。なんと言うか今のリアは……首都で育った上流階級の女性、という印象を受けます」
エステルは目を見張った。
「どうしてそう思ったの?」
「言葉遣いや仕草などを総合的に判断してそう思いました。今のリアは休暇前までのリアと違って、とても綺麗な発音のローザリア語を使うんです。所作もどこか優雅になっていますし……エステル様が異能で視たリアのマナの量とも合致すると思いませんか」
「……どこかの貴族の女性がリアに化けている、という事?」
「記憶喪失という言い分も怪しいですし、その可能性が高いのではないかと。裏の世界のオークションでは、時に思いもよらぬ効果の
メイの発言に心臓がどくりと嫌な音を立てた。
◆ ◆ ◆
エステルとメイからリアに付いての報告を執務室で受けたアークレインは、苦虫を噛み潰したような表情をした。
「確かにそこまで材料が揃うと怪しすぎて笑えてくるね」
「笑い事ではありません、殿下」
共に執務室にいたクラウスが苦い表情で口を挟んだ。
「そうだね。リアに化けて刺客が潜入してきたとすれば、狙われているのは恐らくエステルだ」
アークレインは胸の前で手を組むと、無表情で呟いた。
(負の感情……これは、怒り……?)
エステルの危機に怒っている。それが嬉しい。
でも、今の状況で喜ぶなんて不謹慎だ。あのリアが偽物だとしたら本物のリアの危機である。主人としては、彼女をまず第一に心配するべきなのに。
(最低だ、私)
エステルは自分を恥じて俯いた。
「本物のリアは大丈夫でしょうか……」
「すぐに足取りを追わせる」
アークレインはクラウスに目で合図をした。クラウスは頷くと、執務室を退出する。リアの行方を探すよう指示を出しに行くのだろう。
「偽リアには今日は休むように伝えているんだよね?」
「はい」
「なら今日のところはとりあえず泳がせよう。エステルは絶対に一人にはならない事。それもできるだけ私の側で過ごした方がいいな……講義は休みにしよう」
「はい……ご配慮いただきありがとうございます」
リアが心配で何も手に付きそうになかったから、アークレインの申し出はありがたかった。
「本物のリアがうまく見つかればいいけど……それにしても厄介だな。姿形をそこまで他人に似せてきたという事は、間違いなく
アークレインは苦い表情で呟いた。
「リアの捜索の結果に関わらず、天秤宮内の精査が終わり次第仕掛けようと思うんだ。エステル、一応心の準備はしておいて欲しい」
アークレインの言葉にエステルは唇を噛んだ。リアが五体満足で返ってくる保証はどこにもない事に今更ながらに気付いたのだ。
(リアに何かあったら私は……)
アークレインを恨んでしまうかもしれない。
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