夢の終わり
ディアナ・ポートリエは、首都郊外にある病院を訪れていた。
「お嬢様、本当に行かれるおつもりですか……?」
ここまで同行してきた護衛を兼ねた従者は、不安げに眉をひそめている。
「うるさいわね。行くわよ。だってここにライル様が入院してるって聞いたんだもの」
この病院は富裕層の為の病院だ。
上流階級から莫大な寄付金を集めているだけあって、外観も内装も下手な貴族の邸よりも豪華である。
「面会ですか? お約束はございますか?」
中に入ると受付の職員から声をかけられた。
首都でも最高峰の病院だけあって、高位貴族の邸に仕える執事のように優雅な物腰だ。
「ええ」
「では、そちらの申請書のご記入をお願い致します」
この病院では、入院患者の秘密を守るため、事前の約束のない面会は受けてくれない。約束を取り付ける際も、患者との続柄を伝え、印章などで身分を証明する必要があった。
ディアナは言われるがままに書類に必要事項を記入すると、職員に渡す。
「……確かにお父上からご連絡を頂いております。ご案内致します」
職員は優雅に一礼すると、ディアナを院内へと
病棟の入口には、不法侵入者を防止するためか警備員が立っていた。
職員に付いてライルが入院しているという病棟に移動したディアナは、一気に様変わりした雰囲気に動揺した。
絵画や花などの装飾が一切無くなり、無機質な白い壁と板張りの廊下がどこまでも続いている。
「どうしてこの病棟はこんなに殺風景なの?」
「精神科病棟になりますので。余計なものを置くと患者様にとって危険な為です」
(精神科……)
ディアナの心臓が嫌な音を立てた。
婚約者のライルが事故に遭い、大怪我をしたという連絡が来たのは三日前の事だ。
お見舞いに行きたくてやきもきしていたディアナだったが、入院先の病院名を知らされる前に、父から婚約を白紙に戻すという通告を受けた。
理由として父が挙げたのは、ライルが阿片中毒になっているという信じ難い情報だ。
阿片中毒者は高確率で阿片から立ち直れず廃人になる。そんな男とディアナを婚姻させることはできないというのが父の言い分だった。
ディアナにとって、頭ごなしの父の言い分はとても納得できるものではなかった。
抵抗するディアナに父は入院中のライルの様子を見るよう言いつけた。現実を見れば諦めがつくと思ったのだろう。
病棟の内部で案内役は受付の職員から白衣を身に着けた看護婦に変わる。
廊下を歩いていると時折呻き声や叫び声が聞こえてきて、まるで猛獣を展示する見世物小屋みたいだった。
「こちらです、お嬢様。ライル卿は今、阿片の離脱症状で苦しんでいらっしゃいますので、あまり驚かれないでくださいね」
そう前置きされ、案内された病室のベッドにライルは横たわっていた。その姿にディアナは息を呑んだ。
腕が出ないようになっている拘束衣を身に着け、腰や足をベルトのようなもので固定されたライルは、げっそりとやつれた顔で中空を見つめ、ぶつぶつと何事か呟いている。
その腰と右足にはギプスと包帯が巻かれ、まるで暗黒大陸の砂漠地帯から出土したミイラのようだった。
「……ステル……エステル……」
呟いているのがエステル・フローゼスの名前だと気付いた時、ディアナは呆然とすると同時に怒りに打ち震えた。
(なんで……なんであの女ばっかり)
同時に、もうこれはいらないと思った。
こんな人いらない。知らない。目の前にいるこいつは、ディアナが好きになった貴公子じゃない。
もっと早く気付けば良かった。
暴走する馬車からディアナを助けてくれた姿が凛々しくて格好良かったから、どうしても欲しくなってエステル・フローゼスから奪ったものの、婚約者になったライルは今思えば気の利かない男だった。
こちらから催促しなければ会いに来ないし、手土産も最初は同じものばかり持ってきた。
言えば改善したし、エスコートは紳士的でスマートだったけれど、結局ライルは所詮田舎貴族だ。エステル・フローゼスが手に入れたアークレイン王子に比べれば全てが見劣りする。
「ディアナお嬢様……」
エステルへの嫉妬と怒りに顔を真っ赤にするディアナに、従者が遠慮がちに声を掛けた。
するとようやく訪問者がいる事に気付いたのか、ライルの瞳がディアナの姿を捉える。
その、次の瞬間――
「あああああああぁっ!!」
ライルの喉から絶叫が
「この
(は?)
ディアナは呆気に取られ目を見開いた。
売女? 魔女?
(私に向かって言ったの?)
「魔女! 悪魔! このクソ―――が!」
ライルはディアナに向かって聞くに耐えない
目を血走らせたライルの姿は、まさに狂人だった。
「ライル卿、落ち着いて。ここには魔女も悪魔もいませんから」
看護婦はライルに覆い被さると、優しく話し掛けてなだめた。
「お嬢様、恐らくライル卿はせん妄の症状が出ているんです。これは阿片の離脱症状の一つで……」
「解説は結構よ。帰ります」
ディアナは目を冷たく細めると、踵を返した。
「お、お嬢様……」
青ざめながら声をかけてくる従者を無視し、ディアナはカツカツと大股で病室を出た。
こんな屈辱は初めてだ。
(エステル・フローゼス)
全部全部あいつのせいだ。
ディアナは爪を噛みながら憎しみを募らせた。
◆ ◆ ◆
翌日、ディアナは邸にお気に入りの占い師であるフロリカを呼び出した。
フロリカはロマ族出身という触れ込みの浅黒い肌の女性である。ロマ族というのは、移動型の生活を送る
彼らのほとんどは遊牧や旅芸人として放浪生活を営んでいる。
占術もまた彼らの得意とする所だ。タロットや水晶占いはロマ族によってもたらされたものだと言われている。
独自の神を信仰する事から、広くメサイア教が信仰される地域では根強い人種差別と迫害を受けてきた。
このローザリア王国においてもそれは例外ではなく、彼らはゲットーと呼ばれる隔離区域への居住を半ば強制されている。
ディアナの中にも異民族に対する忌避意識はある。しかし占いに関しては話は別だ。ディアナはフロリカを腕のいい占い師だと思っている。使えるのであれば親の仇であっても使う。それは、商家として成り上がったポートリエ男爵家に根付いた家訓とも言える考え方だった。
民族衣装を身にまとったフロリカは神秘的だ。彼女を通した応接室にはいつものお香が焚かれ、
「お嬢様、本日はどのような占いをご所望ですか?」
「今日は占いを頼みたくて呼び出したんじゃないのよ」
フロリカの質問にディアナはそう答えると、応接室から使用人を追い払った。控えの間からも出ていくように言いつける。
「いつもと違って随分と念入りに人払いされるのですね」
「今日は誰にも相談内容を聞かれたくないの」
「まあ……一体どんなご相談でしょうか」
フロリカは首を傾げた。ディアナはそんな彼女の正面に座ると、思い切って切り出す。
「ロマ族は呪術が使えると聞いた事があるんだけど本当?」
「呪術、でございますか?」
「ええ。呪術とか黒魔術とか……あなたがそういう事に長けていると聞いた事があるのよ」
「……呪いたいくらい憎んでいるのはフローゼス伯爵令嬢ですか?」
普段の相談内容を考えればそんな事はお見通しだろう。
ディアナはこくりと頷いた。
「結論から申し上げますと私に呪いは使えません。でも、そうですね……代わりになるような物でしたら……」
フロリカは言いながら左の袖口をまくった。
そこには、細いリング状の腕輪がいくつもはまっている。フロリカはそのうちの一つを外すとディアナに見せた。
腕輪には魔導石らしい鉱物が埋め込まれ、金属部分には古代ラ・テーヌ王国時代の文字らしき楔形の文様が一面に刻まれている。
「それってまさか、
フロリカは穏やかな微笑みを浮かべた。
「ええ、私の一族に代々伝わる
「作り替える……?」
「ええ、この
「待って。直接人を傷付けるだなんて、さすがにそれはちょっと……」
「どうして? 呪いたいくらい憎いんですよね」
ディアナの発言に、フロリカは小首を傾げた。
「それはそうだけど……呪いをかけるのと直接人を傷付けるのは別よ。……そもそも宮殿の中にいる人に何かするなんて無理だわ。あの女にはいつも護衛がついているもの」
「そんなもの、この
ディアナは腕輪を差し出してくるフロリカの漆黒の瞳から目を離せなくなった。なんだか頭がくらくらして、その瞳の中に吸い込まれそうな気がしてくる。
やけにお香の匂いが鼻についた。
部屋中に立ちこめる紫色の煙の向こうから、女性にしては低めの声が囁きかけてくる。
「呪いたいくらい憎いのでしょう。ならば、お嬢様の手で一矢報いてやればいいじゃないですか」
甘く穏やかな囁きに、頭がふわふわしてきた。
まるで聖典に出てくる、人を堕落に誘う悪魔の囁きだ。こんな言葉に頷いてはいけないと思うのに、何故か逆らえない。
「憎いんですよね、エステル・フローゼスが。ライル卿と上手くいかないのも、阿片に手を出したのもあの女のせいですもの」
「にくい……」
そうだ。憎い。
あの女ばっかり恵まれている。ライル様は私の婚約者になったのにあの女をずっと目で追い続けていたし、今もまだ追いかけている。なのにあの女は王子様に見初められて、今年の秋には王子妃になるという話だ。
こんな事許されない。許さない。どうしてあんな冴えない女ばかりちやほやされるのだ。私の方がずっと美人だしお金持ちなのに。爵位は低いかもしれないが、ポートリエ男爵家にはそれを補ってあまりある財産がある。一昔前ならいざ知らず、今は領主貴族より、お金を持つ資産家の方がより強い力を持っている。
目の前にフロリカの手が差し出された。
「ご決断なさって下さい、ディアナ様。私と私の仲間があなたのお力になりますから」
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