第2話 出会い

「ぶぇっくしょん!」


自分の盛大なくしゃみの反動で体が起き上がる。

辺りは真っ暗。髪には砂がついている。


「え?砂……?」


上手く頭が回らない状況で砂を払う。

周りを見渡すとスーツケースやコート、肩掛けのカバン、耳当てやスヌードが落ちていた。

体が冷えているので、取り急ぎコートを羽織る。

風から体を守れたことで、徐々に頭が冴えてくる。

そもそも、私はバスに乗っていた。

バスが走行中、おそらく大きな地震が来て、バスが高速道路から落ちた。

それで、目が覚めたら砂の上に倒れていた……と。

なぜ砂?

暗闇に段々目が慣れてきた私の視界に入った景色は、木造の家だった。

木造の平屋がずらーっとまっすぐ並んでいる。

見渡しても高い建物も、昼間のように明るい光も見つからない。

ふと空を見上げると、そこには満点の星空が広がっていた。


「うわぁ~!」


思わず感嘆の声が漏れる。

あの街では絶対に見ることができない景色がそこには広がっていた。

小さなものから大きなものまで強く輝いているさまに憧れに似たような感情を抱いた。

……いや、そうではなくて。

思わず見とれてしまったが、そもそもここはどこ?

なぜ私はバスではなく、まるで江戸時代のような町並みが広がっているここにいるのだろうか。

ん?江戸時代……?

私は、カバンからスマートフォンを取り出す。

画面をつけると、日付も時間も表示されておらず、電波も圏外となっている。

念のため地図アプリを開いてみるが、何も表示されない。

ブラウザを開いても何も検索できない。

唯一使えるのは、カメラとライト機能だけだ。

もし、もしだけど、例え事故に遭ったとしてもスマートフォンは使えるはずだ。

時計も日付も絶対表示される。

それが使えないということは、時間の電波が届かない場所に来ているということだ。

そんなの2022年現在、世界のどこにいても大抵は電波が届くはず。

それが届かない場所は、例えば砂漠とかジャングルとかは使えないかもしれない。

知識が浅いからわからないけれど。

そうなると、だ…。

ここは、2022年私がいた日本ではないことは明白である。

では、一体ここはどこなのだろうか。

砂を見つめながら私は思考を巡らせる。

私の足りない頭でも、ひとつの可能性がよぎる。

それは、タイムスリップしたということだ。

少なくとも明治維新の前ではあるだろう。

そんなドラマみたいな話があるわけないと否定すればするほど、その可能性が頭から離れない。


「あんた、何してん」


急に上から男の声が降ってきて、そちらの方へ顔を向ける。

すると、そこにはちょんまげを結った袴姿の男性がいた。

その手には、提灯をぶら下げていた。

腰には、しっかりと刀が差してある。


「リアル侍……」

「りある……?」


目の前には、本物の侍がいる。

ということは、私の考えたくない仮説は当たっている。

いや、待てよ……。

もし、今の時代が運よく江戸後期で、新選組がいる時代だとしたら、私は本物の新選組に、土方さんに会えるのではないだろうか?

私は、新選組オタクだ。

その中でも、特に新選組副長土方歳三の大ファンである。

一目でも本物の土方さんに出会えたら、その時はもう死んでもいい。

そして、この侍が関西弁らしき言葉を話しているのも私としては最高のシチュエーションである。

少なくとも、今いるのは大阪、京都、神戸、奈良、滋賀、和歌山、三重のどこかであることは間違いない。


「あ、あの!今って、何年ですか?」

「今?今は、文久4年やけど…」

「文久4年!?」


これはなんと運が良いことでしょう。

文久4年、つまり1864年の6月5日にかの有名な池田屋事件が起こる。

この池田屋事件は、新選組が名を馳せることになった、最初の事件である。

あと数か月もすれば、池田屋事件に遭遇できる可能性があるということだ。

どうやら、私は運がすこぶる良いみたいだ。


「あ、では、新選組の屯所はどこですか!?」

「新選組……?」


その侍は、一瞬怪訝な顔をしたが、辺りを見回し私が向いている方向とは真逆を指さす。


「せやったら、あの方角やけど」


指をさすということは、そんなに遠いところではないのだろう。

つまり、ここは文久4年の京都。

新選組を一目見られるチャンスである。

こうなったら、動くしかない。細かいことはあとから考えよう。

私は立ち上がり、ストッキングについた砂を払う。

カバンを肩にかけ、スーツケースを起こす。

耳当てとスヌードは、立てたスーツケースの手擦りにかけた。


「ありがとうございます!早速、行ってみます!」


スーツケースを引こうとするが、砂に絡まってローラーがうまく稼働しない。

マジか。

私は、スーツケースを抱え、侍が指をさした方向へ歩き出した。


「なんやあの娘。けったいな子やなぁ……」


とある侍のひとり言は、闇にまぎれた。




「いや、ここどこ?」


どれくらい歩いたのかはわからないが、足が疲れてきたくらいには歩いた。

そもそもこの方向で合っているのかすらわからない。

江戸時代の地形、ましてや住んだこともない京都の地図なんか頭に入っているはずもない。

2022年だったら、地図アプリですぐ確認できるのに。

この時代の新選組の屯所は、前川邸のはず。

それらしき建物も見つからない。

というか、全部似たような建物でよく違いがわからない。

何よりも、この世界は街灯がなく真っ暗だ。

いくら目が慣れてきたとはいえ、歩くのは目に負担がかかる。

かといって、スマートフォンのライト機能を使うのは、充電がもったいない。

足の疲労がピークに達した。

そもそも私は、体力がある方ではないし、運動もできない。

部活も文化部だったし、休みの日は家で過ごすことが多い。

筋肉という筋肉は、最低限のものしかないのに、そこそこ重量のあるスーツケースを持って歩くのは結構な運動量だ。


「あーもう無理だー!」


私は、道の端にスーツケースを平置きし、その上に腰を下ろす。

スーツケースはこういう時に椅子の代わりになるので便利だ。

バスの中で飲む予定だったペットボトルの水を手持ちカバンの中から出し、一口飲む。

口の中に広がる水分が疲れを癒してくれるようにも感じる。

厚底ブーツを脱ぎ、中に入った砂を取り出す。

高さがあるはずなのに、なぜ砂が入るのだろうか。

寒いはずなのに歩いて火照った体の熱を奪う風。

止まるとこういう弊害もある。

スヌードと耳当てをつけ、体を丸めて寒さに耐える。

町全体が寝静まっているのか、私が動かなくなると途端に音が聞こえなくなる。

時間としては、星が見えない街だとまだまだ人が動いている頃だろう。

やはり、電気がない時代は、早々に寝るのだろうか。

そんなだからか、些細な音でも耳につく。

ザッザッと人にしては足取りが重い音に違和感を覚えた。

音のした方を見ると、暗闇でよく見えないが人影がこちらの方へ歩いてくる。

こんなところで座っていたら変人だと思われるだろうかと変な心配をする。

じっとその人影を見ていると、ちょうど月明かりがその影を照らした。

驚くべきことに、その影には大きな獣の耳と大きなしっぽが生えているではないか。


「は……?」


目の前で見えたものが信じられず、思考が停止する。

見間違えたかと思って目を擦ってもう一度確認するが、その影にはしっかりとケモ耳としっぽがついている。


「えっ……!?」


意識とは裏腹に自然と声が出る。

すると、その大きなケモ耳がピクピクと動いて、私の方をゆっくりと向く。

その瞬間、イヤな汗が背中を伝う。


「ワオーーーーーン!」


静かな町に響く遠吠え。

その瞬間、その影は手を地面につけ、四足歩行でこちらへ迫ってくる。

あまりに突然のことに体が硬直する。

逃げなければと思うほど、体が動かない。

気づけば目の前にいたその影は、人間の体であることは間違いないのに、ふわふわの耳としっぽがついている。

その影が飛び上がり、大きく口を開ける。

殺されると思い、目をつぶる。

私の上に飛び乗ってきたそれはひどく重かったが、私の首に顔を近づけ鼻を近づけてくる。

すんすんと音がするところを聞くとどうやら匂いを嗅いでいるようだった。

ゆっくりと目を開けるとその人間?と目が合う。

すると、くしゃくしゃの笑顔を見せ、くぅ~んと声を上げ、耳を顔に擦りつけてくる。

え……と、この状態は……。


「も、もしかして、甘えてる……?」

「ワンッ!」

「ワン!?」


耳としっぽ以外はどう考えても人間だが、その行動はいかにも犬っぽい。

その姿を見て、私はふとオオカミ人間を思い出した。

人間にオオカミの耳としっぽがついているアニメが好きだった。

ケモ耳は昨今でも人気コンテンツのひとつである。

そう思うと少し好奇心が湧いてきた。

そのオオカミ人間の後頭部に腕を回し、髪の毛をそっと撫でる。

すると、オオカミ人間は呼吸を荒くし、私の顔を舌で舐める。


「いや、待って!?それはさすがに勘弁して…」


両手で頭を掴んで顔から離そうとするが、元々力がない私では叶うはずもなかった。

私からすれば、よくわからない男だ。

そんな人から急に顔を舐められたら通報ものである。

110番しちゃダメですか?


「おい、何してやがる」


突然頭の上から聞こえたドスの聞いた声、そこに顔を向けると、浅黄色の羽織を着て刀を腰に差した男が立っていた。

見覚えのある羽織?とは思ったが、ひとまず先にやってもらいたいことがある。


「と、とりあえず、この人引きはがしてくれません?」


その羽織の男は、ため息をつき、オオカミ人間の首根っこを掴んで私から引き離した。

オオカミ人間は暴れていたが、羽織の男がそのままオオカミ人間の顔を地面に叩きつけて、もう片方の手で両腕を掴む。


「斎藤!こっちだ!」


新選組の男がそう叫ぶと、静かだけどすばやい足音が聞こえ、目の前に同じ羽織を着た男が視界に入る。

その男は、縄を取り出しオオカミ人間の両腕を手早く縛る。

そして、もうひとつ縄を取り出しオオカミ人間の口に当て頭の後ろで縛った。

オオカミ人間の首後ろを手刀で叩くと、そのオオカミ人間はおとなしくなった。

おそらく気を失ったのだろう。

そこまでの流れがあまりにも洗練されており、私は思わず見惚れた。


「斎藤、助かった」

「いえ、副長の命ですから」


新選組の羽織を着た顔立ちが整った男二人の会話で現実に引き戻される。

というか、今斎藤とか副長って聞こえたような……。

暗がりの中、二人の姿をよく見てみる。

最初に現れた男は、長い髪を頭の後ろで一つに束ね、鋭い眼光だが、高い鼻と小さい唇、まさしくイケメンである。

次に現れた男は、肩までの髪をハーフアップにし、たれ目気味だが細めの瞳で、こちらも顔が整っている。

二人とも袴の上に浅黄色の新選組のだんだらを羽織っている。

ということは、二人は新選組の人なのだろう。

それに、斎藤と副長と呼び合っているということは……。


「土方さんと斎藤さん!?」


新選組副長土方歳三、鬼の副長と呼ばれる自分にも周りにも厳しい一面があるが人情溢れるエピソードも数多く存在する、私の大の推しである。

次に来た斎藤と呼ばれた男、新選組三番組組長の斎藤一。

左差しの居合いの達人であり、二番組組長永倉新八に無敵の剣と呼ばれた男である。

その声に二人がこちらの方を向く。

待って、とても顔が良い。暗いのにまぶしいぜ。


「……だったらなんだ?」


最初に現れた副長と呼ばれた男、つまり土方さんが立ち上がりながら私を睨む。

やばい、私土方さんと目が合っている、存在を認知されている、もう死んでもいい。


「副長、この女は?」


次に来た男、斎藤さんが私を一瞥する。

あ、顔が良い。


「……これになぜか懐かれていた」


その発言から、このオオカミ人間は新選組も知っているということが伺える。

自然と受け入れてしまっていたが、そもそも私の世界にはオオカミ人間はファンタジーであり、存在するはずもないものだ。

では、この今目の前に確実に存在しているオオカミ人間は一体なんなのだろうか。


「おい、女」


土方さんが私の目の前に立つ。

スーツケースの上に座っている私からしたら、スカイツリーを見上げるくらいの高さだ。


「は、はい!」

「手出せ」

「手……?」


私は、おそるおそる体の前にまっすぐに腕を伸ばす。

すると、土方さんは縄を取り出し、私の両手首をしっかり縛る。


「え、と……?こ、これは……?」


土方さんの顔を見つめると土方さんは腰を折り、私の顎をくいっと持ち上げ顔を近づけてくる。


「いいか。少しでも逃げるそぶりを見せたら、即座に首を斬る」


大好きな土方さんが私に顎クイをしている。

その事実だけで、私的には昇天しても構わない。

てか、死ぬほどかっこいいな、神なの?


「そ、それは、ぜひお願いします」


それを聞いた土方さんは、私の顎を離し、体を起こす。

正直、逃げるそぶりのあと何を言っているのかよくわからなかったが、土方さんが私を認知し、私に触れ、私に話しかけているだけで、そのあとのことはもはやどうでもいいのである。

土方さんは、私の言葉を聞いて眉をひそめ、腰に手を当てた。

気持ち悪がられていることだけはわかる。

すみません、自重します。


「変な女だな、お前」

「あぁ、よく言われます」


土方さんに変な女と思われたということは、「おもしれぇ女」認定されているということだ。

「おもしれぇ女」認定とは、女性がモテる男性に媚びを売ったり言い寄ったりしないことで、今までの女との違いを見せつけ、モテる男性に逆に気になるという気持ちを抱かせることである。

つまり、勝ち確定、勝ち確である。

きっと土方さんは、本当に変な奴だと思っただけなのだろうが。


「……まぁ、いい。とりあえず、立て。屯所に連行する」

「と、と、屯所に行けるんですか!?」

「あ、あぁ……そうだが」

「きたぁぁぁぁあああああ!!!!」

「大声を出すな」

「す、すみません」

「早く立てっ!」

「はぁ~い!」


リアルな、今この人たちが生活している屯所に行けることが嬉しすぎて思わず大声を出すオタク、そう、それが私である。

私は勢いよく立ち上がる。

いつの間にか、体があったかくなっていた。


「その箱は、お前のものか?」


斎藤さんが、私のスーツケースを指さす。


「はい、そうです!」

「わかった」


そういうと斎藤さんは、私のスーツケースを持ってくれた。

優しいなこの人。


「なにやら変わった箱だな」


斎藤さんはスーツケースを上に持ち上げて底を見たり、手で感触を確かめたりしている。


「あ~……そうですよねぇ~あはは」


江戸時代の人たちにとって、スーツケースというのは馴染みのないものだろう。

この時代の人は、風呂敷が荷物を入れる手段のイメージだ。

プラスチックの固い箱は、そもそも存在しないはず。

つまり、私はこの世界における異端者だ。


「……まぁ、いい」


斎藤さんは、右腕でスーツケースを抱え、左腕で先程のオオカミ男の首根っこを掴み、引きずっている。

一方、土方さんは私が繋がれている縄を持ち、私の前を歩いている。

背高い。いい匂いがする気がする、きっと気のせいだけど。


「ここから屯所ってどのくらいですか?」

「そんなに遠くない」

「な、なるほど……」


となると、屯所の近いところまで来ていたということになる。

惜しかった。

それから、3分も経たない内に土方さんがとある建物の門へ入ろうとするので、私もそれに続く。


「ここが、新選組の屯所……」

「あぁ、そうだ」


私は、大きく息を吸い込む。

リアルな新選組の屯所の匂いは、ほんの少し汗臭かった。

しかし、それもまた私の心を満たす材料だ。

土方さんがこちらを振り向くと、彼はぎょっとした様子で私の顔に手を触れた。

土方さんの男らしい手に顔を包まれ、親指が目の下を泳ぐ。

少し困り顔になった土方さんの顔が良い。


「……俺は、女に泣かれるのは苦手なんだ」

「え……?」


土方さんの意外な言葉に私はようやく自分が涙を流していることに気づいた。

いきなり知らないところに投げ込まれた不安が安堵に変わったからか、本物の屯所に来れた高揚感か、正直自分が何が原因で泣いているのか自分自身もよくわからない。

が、感情が高ぶると涙が出てくる性質であるのは確かだ。


「す、すみません。あ、あの、これは……多分、うれし涙なので気にしないでください」

「……なぜ?」

「だって、私ずっと新選組に会いたいって、本物の屯所を見てみたいって思ってたんですもん。そんなの夢のまた夢だと思っていましたが、今叶って嬉しくて」


少しバタバタしていて今の状況を整理できていなかったが、言葉にすることでようやく状況が理解できた。

私、大好きな新選組の屯所にいるんだ、大好きな土方さんに会えているんだ。

生きていれば、幸せなこともあるものだ。


「本当に変わったやつだな、お前は」


少し眉間に皺が寄りながらもどこか誇らしい顔をしている土方さん。

私の顔から手を離し歩き始めたので、再びついていくことにした。

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