Realize 俺の可愛いお姫様 ~マテリアルスピンオフ~ 

宇月朋花

片思い編

第1話 始まりの日

髪を撫でる大きくて優しい手。


お父さんとも違う、あたしの知らない手。



痛くて、辛くて、さみしくて。


怖い、怖い夢を見ているあたしに、何かをつぶやいて、その人は優しく髪を撫でた。


あたしが、再び眠りにつくまで。


何度も、何度も、髪を撫でた。



☆★☆★



控え目なノックの音。


相手が誰かなんてすぐに分かる。


この部屋を尋ねて来る人は限られているからだ。


予想通り、顔を見せたのは従姉の幸だった。


手には大きな花束を抱えている。


こんな大きな花束片手に入院病棟の廊下を歩いて来たのなら、相当注目を集めたに違いない。


そっとドアを開けて入ってくる幸に向かって桜はひらひらと手を振った。


眠っていると思ってようで、幸が驚いた声を上げる。


「起きてて平気?」


頷いて、ゆっくりと体を起こした。


最近は、寝起きの眩暈も収まって来て、随分調子が良い。


ベッドサイドに積んである本を指差して、微笑む。


「寝すぎなくらい。あ、昨日持ってきてくれた本もう読んじゃったの」


なんせ病院というのは退屈な場所だ。


寝たきりでいる間は、我慢出来るけれど、自由に歩けるようになると、余計に暇な時間が増える。


ベッドの上とトイレと浴室そして、たまに診察室と検査室。


運動らしい運動も行わないのに、定期的に食事は届けられる。


一日に何度もやってきた検査の為の検温や採血も、最初のうちは戸惑ったもののすっかり慣れてしまった。


それ位、自分は奇跡的に助かったのだ。


幸は自分が選りすぐった本があっという間に読破された事を嬉しそうに笑って、そして同時に手ぶらで来た事を後悔した。


「えー・・結構分厚いのを選んだのよ?どうしよ、雑誌でも買ってこようか」


「あ、じゃあ一緒に売店まで行ってもいい?」


「歩いても平気なの?ふらつくって言ってたじゃない」


欠かさず持って来ている花束をテーブルに載せて、ナースコールを押そうとする幸の腕を引っ張る。


「おーげさー。すぐそこだから、全然平気、行こう。なんなら目の前のコンビニでもいいよ?」


包帯の巻かれた腕で勢いよく布団をめくってスリッパを履く。


「コンビニは駄目よ。売店にしてちょうだい」


「はーいはい」


幸は不安そうな表情で少し躊躇ったが、結局は桜の言う通りにさせてくれた。


やっとこうして歩けるようになったのだ。


せめて病院内で位自由に自分の足で歩きたい。


「ちょっと待って、上着だけ置いて行くわ」


手早く上着をベッド脇にを置いて、カバンだけ持つと幸は桜と並んで廊下に出た。



★★★★★★



一鷹の懇意にしている病院に転院させて貰ってから1週間。


ちょうどゴールデンウィークと重なって、ほぼ毎日幸は桜の病院に顔を見せる。


彼女のマンションからバスで1本のこの病院を一鷹がすぐに手配してくれたことを知ったとき改めて、自分の無力さを実感した。


救急で運ばれた病院で、京極の親戚と桜の引き取り先の事で揉めた時、真っ先に救いの手を差し伸べてくれたのが一鷹だった。


志堂の名前に頼りたくない。


頑なに助力を拒否した幸を懐柔して、京極の親戚一同を懸命に説得して(実際には強引にねじ伏せて)桜の転院手続きを取った一鷹。


その見事な手腕は、これまでの一鷹の”弟イメージ”を幸の中から綺麗に払しょくした。


そして、同時に彼の中に志堂一鷹という、大人の男性の一面を見つけてしまった。


男の子はあっという間に大人になってしまう。


年下の従弟の前で散々取り乱して泣いた自分が情けない。


これからは、自分が桜を守っていかなくてはいけないのに。


桜は、腕と、足首にまだ傷が残るものの、それも軽症ですぐに痕も消えるだろうと言われた。


体に傷が残らなかったことが、一番幸を安心させた。


この子の体に一生残る傷なんてあっては欲しくなかった。



目覚めた桜は、何も訊かなかった。


ただ、泣きそうな幸の顔を見て、小さく頷いて。それで、全てを察したのだ。



あの事故から三週間。


週明けには退院の許可も下りる。


これからのことを、話さなくてはいけなかった。


桜が未成年で、まだ高校生だという事。


進学の事、高校の事、これからの日々の生活の事。


目の前まで迫っている現実を思うと苦しくなる。


それでも、乗り越えていくしかない。



売店に着くなり、雑誌を見つけてぱらぱらとページをめくる無邪気な横顔を見つめる。


これ以上、この子を悲しませないで。


誰にともなく願う。



そして、同時に心に誓う。


絶対に桜をひとりにしない。


彼女が、自分で未来を、大事な人を見つけるその日まで。


なにがあっても、絶対にひとりにしない。



一鷹は幸と桜への支援を約束してくれた。


志堂としてもかなりの援助をしてくれている。


それなのに、自分が不安がっている場合ではない。


ぐっと握った手に力を込めた。


今日から、自分が桜の親代わりになるのだから。




・・最近、イチ君を頼りにしすぎてる・・気をつけなきゃ・・


ふとそんな心配が浮かんだが、幸を呼ぶ桜の言葉にすぐにかき消えてしまった。


暇つぶし用の雑誌と来客用のジュースを買い込んで、病室へ戻る途中、桜が思い出したように口を開いた。


連休中日の今日は、お見舞客が多い。


手に綺麗な花束を抱えた人と何度もすれ違う。


「この病院を手配してくれた人に、まだお礼言ってないけど・・」


「忙しい人だから、なかなか会いに来れないのよ。さぁちゃんが、まだ眠ったままの時はちょくちょく見にきてくれてたんだけど・・そっか・・顔も知らないのよね。志堂一鷹さんって言うんだけどね、あたしのもう一人の従弟なの」


「何度もお花貰ってるし・・」


「あ、今日のお花は、イチ君じゃなくって。志堂の分家の方からね。イチ君の幼馴染の男の人。あたしが夜来られないときとか、替わりに付いてて下さった方なの」


「そう・・退院したら、会いに行きたいな。こんなに良くして貰って、あたし自身が挨拶もしてない、お礼も言ってないって不味いと思うし」


「そうね。向こうも、目が覚めてるあなたと会いたいって話してたし。退院して、落ち着いたら一緒に行こうね?」


「うん」



事故の慰謝料や保険があったとしても、これほど好待遇になるものなのだろうか?


そんな疑問さえ浮かぶほど、桜は特別扱いだった。


景色の良い最上階の特別個室。


シャワー室と、キッチンが付いたその部屋には幸用の折りたたみベッドまで用意してあった。


行き届きすぎた設備に、目覚めた桜は面食らったものだ。


どこに連れてこられたのかと、内心ひやひやした。


幸の従弟にあたる人が、この病院を手配してくれたと聞いた時は驚いたが、思い出してみれば、幸の母親は有名宝飾品メーカーのお嬢様だった。


そう考えるとこの待遇も納得だが、全く赤の他人の自分のためにここまでして貰ったと思うと有難いより申し訳なくなってしまう。


桜の心配そうな顔を見て、幸が笑う。


「だーいじょうぶよ?普通の、優しい子だから。きっとさぁちゃんも好きになれると思うの」


「そりゃ、みゆ姉の従弟なんだから悪い人なわけないし。あたしも、好きになれると思うけど・・何か済む世界が違う気がするんだよね。志堂ってあの、志堂でしょ?」


「名前なんて、大した事無いわよ。志堂だって普通のお家なんだから」


あっさり言った幸の顔をまじまじと見て桜が溜息を吐いた。


「みゆ姉って、やっぱりおばさんの子だわ」


廊下を通り過ぎる何人かが、幸を見て振り返っていく。


本人に全く自覚がないが、花束を抱えてやってくる途中も羨望のまなざしで見られていたに違いない。


もう10年以上の付き合いだから、慣れてしまったが、いまだに二人で一緒に居ると余計な声を掛けられることしばしばだ。


桜は、声を掛けたくてもできない気の毒な男をこれまで何人も見てきた。


こんなに素敵な人なのに、ここ数年そういう話を聞かないのはなぜだろう。


美人だから近寄りがたいとか?


あー・・・もしかしたら、すでに売約済みって思われてるのかも・・


色々と思案していると、右の頬を突かれた。


「考え事?そんなに志堂って怖い?」


「怖くは無いけど・・うちはほんとに普通の家庭だったから」


「うちだって、志堂だってそうよ」


桜を引き取る一件では、あれほど志堂の名前に拘っていたのに、嘘のように言ってのける。


「確かに宝飾品メーカーって言えば皆知ってるかもしれないけど・・さぁちゃんの通う聖琳だってここら辺じゃ有名なお嬢様学校なのよ。病院のお嬢さんや、社長令嬢が沢山いるでしょうに」


かくゆう幸も聖琳の卒業生なのだ。


「そういうお嬢様達とは一線画して付き合ってるもん」


中等部から短大までのエスカレーター式女子高。


中途入学は高校と短大で枠があるものの、受け入れられる人数は少ない。


昔と比べて、門戸が開かれたとはいえ、まだまだ肩身の狭い生徒たちは必然的に集まってしまうのだ。


「お家の名前に負けちゃう人じゃないわ。何処に居てもちゃんと自分で歩ける人よ。何て言うかね・・キレイな子なの」


従弟とはいえ、二十歳を過ぎた男に対する評価としては如何なものかと思ったが、桜はにっこり笑ってみせた。


「みゆ姉も綺麗だよ」


思った通りに告げると、幸はきょとんとして、すぐに、花のように笑った。


見ているこちらまで微笑ましくなるような淡い笑顔。


「さぁちゃんは、一等可愛いわよ?」


お決まりの切り替えしに苦笑いを浮かべる。


幸は年の離れた従妹を実の妹同然に可愛がってくれていた。



こーゆー人好きになった人は、きっとすごく大変なんだろうなぁ・・・



すでに数年前から彼女にベタ惚れの人物がいることも知らず、桜は麗しのお姉さまの背中を眺めながらそんなことを思った。


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