猫とドラゴンを連れ、少年は宇宙へ ~神様はメタバースの向こうに~ 最終版
月城 友麻 (deep child)
1. 悲劇からの旅立ち
「うひゃー! 大漁! 大漁!」
台風一過の青空の下、伊豆の磯で小学校四年生の
「あっ! パパ! そっちデカいの行った!」
「よし来た! 任せろ!」
和真のパパもノリノリで思いっきり網を水面に叩きつける。
「ヨシ!」「ヤッター!」
台風直後は水が
「ここで、こんなに獲れるなら、突端の向こうまで行ったらもっと大物が獲れるよ!」
和真はウキウキしながら言う。
「和ちゃん、そりゃ断崖絶壁の向こうじゃないか、落ちたら死んじゃうからダメダメ!」
パパは渋い顔で首を振る。
「え――――っ! すごく大きいお魚獲ってママをびっくりさせようよ」
「いやいやいや、あんな崖、無理だよ」
「パパなら行けるって! お願い!」
和真は手を合わせてパパを見る。
パパは和真の顔をじーっと眺め、ふぅと大きく息をつくと言った。
「じゃあ、行けそうか様子を見るだけ見てみるか」
「やったぁ!」
和真は両手を振り上げてピョンと飛ぶ。凄い大物が獲れたらどうしようと、わくわくで胸がいっぱいだった。
パパはじっと断崖絶壁の岩を見つめ、しばらくルートを確認すると、軽くジャンプしてでっぱりに取り付いた。そして、ヒョイヒョイとボルダリングをやるように登っていく。パパの黄色い上着が、まるで断崖絶壁の上を
「すごい、すごーい! 頑張れー!」
和真はノリノリで応援する。
しばらく上って和真の方を振り返ったパパは、
「いや、これ、怖いんだけど……」
と、渋い顔を見せた。
「大丈夫、大丈夫!」
適当なことを言う和真にパパは、
「おまえなぁ……」
と、いいながら足場を確保し、また奥の出っ張りへと腕を伸ばした。
やがて突端にまで到達したパパは向こうの入り江をのぞき込む。
和真は手に汗を握りながらそんなパパをじっと見守っていた。
その時だった。
ぐはぁ!
パパは変な声を上げるとバランスを崩す。
「パパぁ!」
和真は焦り、叫ぶ。
果たして、パパはそのまま真っ逆さまに落ち、
ザバーン!
と、激しい水音を立てながら岩場の向こうの海へと消えていく。それはまだ幼い少年の和真の心をえぐるには十分すぎる絶望的な悲劇だった。
「パ、パパ――――ッ!」
和真は急いで崖に飛びついた。パパを助けないと、ただその一心で必死に登っていく。
しかし、小学生の和真にはどうしても手が届かない段差に阻まれる。
くぅ……!
和真は覚悟を決め、全ての力をこめてジャンプする。なんとしてでもパパのところへ行かねばならない。
しかし、指先は空を切り、願いむなしくそのまま磯へと落ちていく。
ぐはぁ!
全身をしたたかに打ち付け、ゴロゴロと転がる和真。
口中に血の味が広がっていく。
「うわぁぁぁ! パパ――――ッ!」
磯にはただ、血まみれの和真の悲痛な叫びだけが響いていた。
◇
――――それから六年。
「パパぁ!」
和真はガバっと起き上がり、辺りを見回す。そこはいつもの自分の部屋だった。
ふぅと息をついて布団をパンと叩く。
「またあの夢か……」
高校生になった和真は、いまだにパパを殺してしまったことにさいなまれていた。
パパの遺体は原形をとどめていなかったが、その破れた上着の黄色に和真は現実を突き付けられたのだった。
泣き崩れるママに、和真は自分がパパを煽ったことを言い出せず、それがまた心の重しとなって和真の人生に影を落としていた。
危険行為上の死亡となって生命保険は下りず、ママはシングルマザーとして朝から晩まで忙しく働くはめとなり、笑い声の消えた家は寂しく、味気のない空間となってしまった。そんな暮らしの中、和真はちょっとしたイジメで心の糸が切れ、不登校になってしまっていた。
ドタドタと足音がする。
「おっはよぉ――――!」
ドアがいきなりバーン! と開き、嬉しそうな顔をして幼馴染の
白いワンピースにダボっとしたグレーのニットを羽織った芽依は、キラキラした笑顔を振りまきながら和真のベッドにダイブする。
「ドーン!」
可愛い効果音を叫びながら飛び込み、チラッと和真を見上げる。
寝ぼけ眼の和真は仏頂面で、
「あのなぁ、入るときはノックしろっていつも言ってんだろ!」
と、芽依をにらんだ。
「だってもう十時よ? いくら日曜だって寝すぎじゃない?」
ニコニコしながら答える。
「十時でもノックは要るんだけど?」
「……、あら、すごい寝汗。どうしたの?」
芽依は起き上がって和真の額に手を伸ばすが、和真ははねのけた。
「あー、何でもない!」
そんな和真をジッとみつめる芽依。そして、背中から優しく和真をハグした。
「またパパさんのこと思い出してたのね……」
ふんわりと立ち上る甘酸っぱい優しい香りに包まれ、和真はドキッとする。
そして目をつぶって大きく息をつくと、
「いや、もう、終わった話だから……」
そう言いながら芽依の手をポンポンと軽く叩いた。
「辛くなったらいつでも芽依に言ってね?」
「……。大丈夫……、ありがとう」
和真はお転婆ながら自分のことを考えてくれる芽依の優しさに感謝しながら、軽くうなずく。
そして、ふぅと息をつくと、聞いた。
「で、メタバース教えに来てくれたんだろ?」
「そうそう、仮想現実が今後の社会を変えるからね。和ちゃんも慣れておかなきゃ!」
芽依はそう言うが、動かない。
「おい、くっついてちゃできないだろ?」
「あら? 君はJKがこんなにサービスしてるのに嬉しくないの?」
芽依はちょっと不満そうにぎゅっと胸を押し付けてくる。
「サ、サービスって……」
「可愛い幼馴染がいて良かったわねぇ……」
そう言って和真の耳たぶにふーっと息を吹きかける。
からかわれてムッとした和真は言い返す。
「サービスって言うのは、もっとバーンとしたふくらみなんじゃないの?」
「フフーン」
しかし芽依には謎の余裕がある。
「な、なんだよ?」
「君はツルペタの方が好きだって、芽依は知ってるんだなぁ……」
ギクリとする和真。
「お、お前まさか……」
和真はつい本棚の方を見てしまい、芽依は嬉しそうに答える。
「まさか何?」
「……。見たな……」
「何を?」
ニヤニヤする芽依。
くっ! 和真は思わず顔を両手で覆った。ロリ系の薄い同人誌を本棚に隠しておいたのが見つかったに違いない。しかし、それを口にするわけにもいかない。
くぅ……。
いろいろと言い訳を考えてみるが、どんな言い訳も自爆にしかならなかった。
「君は芽依くらいなのが好みなんでしょ?」
「……。ノーコメント!」
和真は芽依の手を払いのけ、バッとベッドを下りる。そして、真っ赤な顔で芽依を指さして言った。
「ちょっと準備してくるから動くなよ!」
「アイアイサー!」
「人の物を勝手に見るのはプライバシーの侵害だからな!」
「え? 見られちゃ困る物まだあるの?」
「ま、『まだ』ってなんだよ!」
「分かったわよ。もう見ないわ」
芽依は布団に潜り込み、顔だけ出してうれしそうに笑った。
「全くもう!」
和真はドタドタと洗面所へと走った。
2. 宇宙へ伸びる滝
「はい! これ着けて!」
着替えて戻ってきた
「かぶるだけで……いいのか?」
和真は恐る恐る受け取り、バンドを引っ張って具合を確かめる。そして不慣れな手つきでディスプレイを装着した。
「うわっ! なんだこれ!?」
視界全面に展開される、宇宙船の内部のような映像に和真は声を上げる。その高精細な映像は首の動きに追随して動くので、まるで自分が宇宙船の中にいるような錯覚に襲われた。
すると、向こうの方から可愛い女の子のアバターが近づいてきて手を上げる。白を基調としたぴっちりとした服は豊満な胸を強調し、オレンジ色の鮮やかなラインが入ったスニーカーを履いている。
「はぁい!」
和真が戸惑っていると、
「これが私よ?」
そう言ってウインクした。
「め、芽依? 随分と……」
「随分と何よ?」
そう言いながらモデルのように体をくねらせ、胸を強調しながらポーズを決める芽依。
「お、大人だなって」
つい、その豊かな胸に目が行ってしまう和真。
「ふふっ。大人な私もいいでしょ? 和ちゃんも慣れたら自分のアバターをいじってみるといいわ」
と、ニヤッと笑った。
和真が操作方法を試行錯誤してると、
「さぁ行くわよ!」
と、芽依のアバターはすたすたと向こうの方へ行ってしまう。
「あっ! ちょっと、待ってよぉ!」
和真も急いでよたよたしながら追いかける。
通路の向こうは広いホールのようになっており、個性的に着飾ったアバターが行きかっている。そして、壁のそばにはきらびやかな映像のパネルが空中に何枚も並んでいて、まるで美術館のようだった。芽依はそのうちの一つの前で止まる。
「最初はここのワールドにしましょ」
そこには美しい水の街が映し出されており、中央に【Enter】というボタンが浮いている。
「ま、任せるよ」
そんな気おされ気味の和真を見て、芽依はいたずらっ子の顔でうなずく。そして和真の手を取ると、ボタンを押した。
ピュン!
という効果音とともに真っ暗になり、キラキラとした光の筋がゆるやかに流れはじめる。そして、【
「うわぁ……」
和真はキョロキョロしながら自分の周りを覆うきらびやかな幾何学的な光の筋のアートに見入った。
直後、
ビュヨン!
と、いう音が響いて一気に視界が開け、青空が広がる。
そこは水の街の上空、何と空中だった。
「おわぁ!」
思わずわたわたと手足を動かしてしまう和真だったが、別に落ちるわけでもなくふわふわと浮かんでいる。
「きゃはは、仮想現実なんだからあわてなくても大丈夫よ」
芽依は楽しそうに笑い、和真は顔を赤らめて頭をかく。
そこは絶景だった。眼下には湖のほとりに作られた中世ヨーロッパ風の石造りの街が広がっている。街には水路が縦横無尽に通っており、ヴェネツィア風のゴンドラが行きかう。そして圧巻なのが、街の中央の池から上がる水の柱【スカイフォール】。それは下の方が太く、それが徐々に細くなっていきながら、どこまでも澄んだ青空を突き抜けて宇宙にまで達していた。
「うはぁ……。あれ、どうなってんの?」
まるで宇宙エレベーターのように、はるかかなた上空まで続く水の柱は、限りなく透明で清らかな
「行ってみましょ!」
芽依はニコッと笑うと、和真の手を握ったままツーっと空中を飛ぶ。
「うわぁ!」
まだ空中での姿勢の取り方に慣れない和真は、バランスを必死に取りながら、芽依に引っ張られていく。
スカイフォールに近づくと、思ったよりも大きく、そのスケールは圧巻だった。タワマンくらいの太さのある、清らかな青い水の柱が一直線に宇宙までつながっているのだ。
そして、近づいて分かったのだが、水はゆっくりと上空へ向かって流れている。つまり、池から宇宙に向かって水が吸い上げられているのだった。
「うわぁ……」
和真は圧倒されながらその澄んだ水に手を伸ばす。すると、ビュヨン、と音がして入口がぐわっと開いた。
「え!?」
予想外の展開に驚く和真。
芽依はニヤッと笑うと、
「さぁ行きましょ!」
と、和真の手を取って中へと案内した。
3. 十万円で売れた落書き
中は高級ホテルのような上質な雰囲気で、木材で作られた廊下が伸びており、そこを進むと突き当りが巨大な丸い吹き抜けだった。
見上げると、まるで高層ビルのように見渡す限り無数のフロアが構成され、各フロアはそれぞれ個性的なインテリアがのぞいている。多くの人が楽しそうに吹き抜けを行きかい、フロアでは楽しそうに話している。まるで数千階建てのイオンモールといった風情だった。
そしてあちこちに出ている看板はアニメキャラやレトロなネオンサインなど華やかで、文字も英語や中国語など多彩な言語が並んでいる。
「うはっ、これはすごい!」
その圧倒的ににぎやかな雰囲気に和真は目を輝かせた。
「このスカイフォールは一つのショッピングモールであり、オフィスビルであり、都市なのよ」
「都市? ここはゲームの世界……だよね?」
「ゲームって言ったって百万人同時接続してるからもう生活基盤だし社会なんだわ。居心地いいからゲーム関係なくここにオフィス構えてる会社もあるし、ゲームの中でお金儲けもできちゃうのよ」
「ゲームで金儲け!?」
想像もしなかったことに和真は目を丸くする。
「P2E(Play to Earn)と言って、ゲームで得たものが高値で売れちゃったりするのよ。知り合いはそれで億万長者だわ」
「遊んだだけで?」
「遊んだだけよ?」
芽依は肩をすくめる。
「……、ちょっとそれ、教えてくんない?」
「焦らない、焦らない」
芽依はニヤッと笑ってそう言うと、和真の手を取って吹き抜けに飛び込み、上空へツーっと飛んだ。
どこまでも続くフロアはまさに都市そのものだった。百万人の人がこのスカイフォールの中で遊んだり商売したり会議したりしているのだ。物理法則を無視できる仮想現実空間ならではのダイナミックな構造物に和真は圧倒されていた。
ある階はクラブのようなきらびやかな照明が瞬き、ある階は森林のようだった。そして、楽しそうに活動している人々、それはたかがゲームだと思っていた和真の先入観を根底から破壊した。
しばらく上ると、芽依は大理石でできたシックなフロアに着地する。
「ようこそ私の画廊へ」
芽依はそう言いながら重厚なドアを開けた。
「『私の』って……何? ここ芽依のなの?」
「そうよ。この部屋は私が買ったんだ。百万円くらいしたけど」
「ひゃ! 百万!? どうしたのそのお金?」
和真は目を丸くして芽依を見つめた。とても一般の高校生買えるような金額じゃない。
「描いた絵をね、NFTというブロックチェーンデータにして売ってるのよ」
そういって芽依は壁に飾られているアートを紹介した。
それは点の集合体で作られたピクセルアート、いろいろな表情の犬の絵がずらりと並んでいた。
「え? 何、この落書き。こんなの買う人なんているの?」
和真は
「落書きとは何よ! これ、十万円くらいで取引されているのよ?」
「十万!? 買う人バカじゃないの!?」
和真は額に手を当てて宙を仰ぐ。
「分かってないわねぇ、十万で買った人は二十万で売るのよ」
「へっ!? どういう……こと?」
「NFTアートの市場は今どんどん大きくなってるから持ってると値上がりするのよ」
芽依は嬉しそうに笑った。
「じゃぁ、買った人は儲けるために買ってるの?」
「そうよ、それに彼ら仮想通貨で億単位で儲けてるからね。十万円くらい小遣い感覚よ」
「はぁ~、何それ……」
和真はゆっくりと首を振った。
「おかしいとは思うんだけどね。でも、この流れは誰にも止められないわよ」
「いやいや、そんなのただのバブルだって。現実を見なきゃ!」
「もちろんこんな絵が十万で売れるなんてこと、いつまでも続かない。でも、これからもっともっと多くの人がこの世界に入ってくるわ。そして、人口が増え続けている間はバブルは続いちゃうんだな」
「それって……いつまで?」
「三年から五年じゃないかな? それまでに何億円か稼げたら足を洗うわよ」
芽依はニコッと笑った。
「何億って……、どうやって?」
「例えばこのスニーカー、これ、CriptoEllasseの初期の作品なんだけどこのシリーズは世界で三十足しかないのよ」
芽依は自分が履いている、オレンジ色に輝くラインの入った先進的なデザインの靴を指さす。
「へ? それで?」
「今だと数千万円で売れると思うわ」
「は? この靴が?」
「そう、これが」
「やっぱおかしいよ……」
和真は目をつぶって首を振った。
「で、これ、多分来年には億に達すると思うわ」
「この靴で億万長者ってこと? ……。ほんと、バカバカしい!」
「バカバカしいと笑うか、バカバカしいなら儲けるかどっちがいい?」
芽依はニヤな目で和真を見る。
「……。そりゃぁ……儲けたい……」
「はっはっは! みんなそうなのよ。だからどんどん値段は上がっちゃうの」
芽依はドヤ顔で笑い、和真は大きく息をついた。
4. ハッカー集団の脅威
「じゃあ、芽依画伯の十万円の落書きでも見させてもらうわ」
と、和真は壁に並んでいる犬のドット絵をつらつらと眺めていった。
純白の大理石の壁にうやうやしく掲げられたピクセルアート。子供が描いたような落書きがまるで名画のように飾られている様は、何度見ても
その時だった、ギギィと音を立ててドアが開く。お客が来たらしい。
「いらっしゃいませ」
芽依はすかさず接客に回る。
客は若い男で、原色のキツいジャケットにチャラチャラとしたアクセサリーを揺らしながら入ってくる。そして、つまらなそうな表情で犬の絵をぐるりと見まわし、
「これはあんたが描いたの?」
と、ぶっきらぼうに聞いてくる。
「そ、そうです。これでも二次流通は……」
「真似ばっかりでグッとクるものがないのよね」
虹色の髪の毛をかき上げ、吐き捨てるように言った。
芽依はふぅと息をつくと、
「ご意見ありがとうございました。お帰りはあちらです」
と、出口を指さした。
つまらなそうな男は、帰ろうと思って振り向きざまに芽依の足元を見てハッとする。
「ちょっ、ちょっと待って……、あなた、そのスニーカー百万で売ってよ!」
「いやいや、これはリストしてないんです。非売品です」
芽依は慌てて断る。百万円なんかでは絶対に売れないのだ。
男は芽依にぐっと近づくと、にらみつける。
「……。あのねぇ、スニーカーは履く人によって値段が決まるのよ? あなたが履いてたんじゃ高値はつかないわ」
「いや、あなたのファッションにこのオレンジラインは合わないと思いますね」
芽依はムッとして答える。
「何? あんた私のファッションにケチつける気? 私はハッカー集団HackinGreedyの幹部よ? 舐めたら痛い目にあうわよ!」
恐ろしい形相で男は吠えた。
「ハッカー集団? ならなおさら売れませんね」
芽依は毅然と答える。
「何あんた、ハッカーを舐めてんじゃないの? ハッカーこそがこの世界を支配してるのよ?」
「システムに取り付く寄生虫、ダニみたいな連中が『支配』なんですか?」
「ダ、ダニ!?」
男は怒りのあまりぶるぶると体を震わせる。
そして、ずいっと芽依に迫ると、男は言った。
「あんた、ここが仮想現実空間だから何言っても平気だと思ってんじゃない?」
「実際平気ですよね、殴られるわけでもないんだし」
「なめやがって……。奥の手使って
男はニヤリといやらしい笑みを浮かべる。
後ろで見ていた和真は、男の目の奥に揺らめく怪しい光に底知れぬ恐怖を感じ、現実世界で装着していたヘッドマウントディスプレイを投げ捨て、隣で余裕を見せている芽依のヘッドマウントディスプレイを力任せに引きはがした。
「うわっ! 何するのよぉ!」
「いや、あいつヤバイって! 身元がバレたらどうすんだよ? 襲われるぞ!」
「大丈夫だって! あんな奴口先だけなんだから」
と、その時、和真が引きはがしたヘッドマウントディスプレイからモコモコと煙が上がる。
うわぁ!
思わず投げ捨てる和真。
シュワシュワシュワ、と不気味なお湯が沸くような音が部屋に響き渡る。
「か、和ちゃん、何これ!?」
芽依は和真の腕にしがみつく。
「わ、分からん……」
やがて立ち上った煙が集まっていき、何かの形を構成していく。
それを固唾を飲んで見守る二人。
直後、激しい閃光が走り、二人とも手で目を覆った。
「はっはっは! ハッカーから逃げられると思った?」
部屋に男の声が響く。
「えっ!? なんで?」
芽依は驚き、恐る恐る目を開けると、そこに立っていたのは先ほどの男だった。
メタバース内と全く同じ格好をし、ドヤ顔で和真の部屋に立っている。それはあり得ない事態だった。
ひっ!
芽依は急いで逃げ出そうとしたが、男は指先から触手のようなものを素早く射出し、あっという間に芽依をぐるぐる巻きに縛り上げてしまう。
いやぁ――――!
悲痛な叫びが部屋に響いた。
5. 金髪おかっぱの龍
「何すんだよ!」
和真はおもちゃのバットをつかむと男に殴りかかるが、男は冷静に指先から何かを放った。すると、パン! という音がして、バットは四角いブロックノイズに包まれ、消えてしまった。
えっ!?
あまりのことに混乱していると、男はニヤッと笑い、和真に対しても触手を射出する。
和真は払いのけようとしたが、触手はつるつると滑り、なすすべなくぐるぐる巻きにされ、床に転がされてしまう。
ぐはぁ!
「あぁ! 和ちゃん!」
芽依は悲痛な叫びをあげる。
「さーて、お仕置きタイムよぉ」
男は嬉しそうにそう言うと触手を操作して芽依を足から持ち上げ、逆さ吊りにする。ワンピースがめくれ、縞柄のショーツが丸見えになってしまう。
いやぁ!
芽依は必死に抵抗しようとするが、触手の力は圧倒的で身動きが取れなかった。
「ハッカーってすごいでしょ? 生意気な小娘は思う存分
男は嬉しそうに芽依のすらっとした太ももを撫でた。
「何すんのよぉ!」
くねくねと身をよじらせる芽依。
「止めろ――――! お前それ犯罪だぞ!」
和真は叫ぶ。
「犯罪? そんなの捕まんなきゃいいだけよ。あんたはこの小娘が
そう言うと男は芽依をベッドの上に転がした。
ひぐぅ!
男は新たな触手を芽依の両足に絡めると、大きく広げる。
「止めてぇ!」
悲痛な叫びを上げる芽依。
「あら、まだ処女なの? いい声で鳴かせてあげるわ」
男はそう言うとショーツに手をかけ、むしり取った。
いや――――っ!
悲痛な叫びが部屋に響き渡る。
「てめー、ふざけんな!」
和真は芋虫のように器用に床をはって男に迫ったが、
「はっはっは! バカねぇ」
と、
くぅ……。
和真は顔を歪ませ、男をにらむ。
そんな和真を満足そうに見下ろすと、
「さぁて、ショータイムよ!」
男はニヤッと笑い、むしり取った縞柄のショーツを和真に放った。
その時だった、いきなり部屋に閃光が走る。
うわぁ!
思わずギュッと目をつぶる和真。
「こん、
少女の声が響き渡り、いきなり空中から現れた人影が男を蹴り飛ばした。
ぐほぉ!
たまらず床を転がる男。
えっ!?
和真が見上げると、おかっぱの金髪に赤い瞳をした女子中学生のような娘が腕を組んで嬉しそうに仁王立ちしている。透き通るようなすべすべの肌に整った目鼻立ち、その美しい顔には自信が満ちていた。
そして、彼女は、
「ハッキングは重罪じゃぞ! キャハッ!」
と、楽しそうに笑う。
男はよろよろと起き上がると、
「お前……、いいところを邪魔しやがって……」
そう喚くと、少女をにらみつけた。そして、セイヤッ! と掛け声をかけ、触手を射出する。
しかし、少女は瞬間移動のように男の胸元までワープすると、
「ざーんねん!」
と、叫びながら、中腰になって綺麗なフォームで正拳突きを放った。
ぐふっ!
男は吹き飛ばされ本棚に激突し、倒れてきた本棚から降ってくる本たちに埋もれた。
「き、貴様……。
男はギロリと少女をにらんで言った。
「犬じゃない、龍じゃ」
少女は余裕の表情で見下ろす。
「くっ! 死ねぃ!」
余裕を失った男は指先を光らせるとシュッと横に腕を振り切った。
ビュヨン!
不思議な電子音とともに空間が切れ、
「うわぁ!」
と、少女は慌ててかがむ。
少女の真紅のヘアクリップが真っ二つに切れてはじけ飛び、美しい金髪がパラパラと散った。
「あっ! ヘアクリップが……。何すんじゃ!」
目を三角にして怒った少女は指先を男に向ける。すると、キン! という音とともに指先を中心に空間が波打ち、同心円状の波紋が部屋に広がっていく。
「やべっ!」
男は焦って逃げ出そうとしたが、男を中心に球状に切り取られた空間は断絶されて縮み始め、男は逃げ場を失った。
男は必死に何か術を出して逃げようと画策するが、発動せずに途方に暮れる。
アパートの床や壁もろとも徐々に縮退していく男は、顔を真っ青にして、
「わ、悪かった。なんでもする! 許してくれ!」
と、必死に懇願し始めた。
しかし、少女はドヤ顔で、
「女の敵には
と、見守るだけだった。
やがて、バレーボールくらいのサイズに縮められた男は、
「この野郎! ふざけんな、ロリババア!」
と、甲高い声でわめき散らす。
「誰がロリババアじゃ!」
少女は一括すると、雷を男に落とした。
ピシャーン!
と、部屋の中にスパークが走る。
「ぐはぁ!」
ミニチュアサイズに縮められた男は断末魔の悲鳴を上げ、ぶすぶすと煙を上げながら倒れた。
そしてさらに小さくなっていった球は最後には点になってピュン! という音を立てて消えていった。
和真の部屋には綺麗に球状にえぐられてしまった大穴が残り、隣の家の庭からの風がビュゥと吹き込んでくる。
少女は、唖然としている和真と芽依の方を見ると、
「災難じゃったな、今助けてやる」
そう言って何かをつぶやき、パチンと指を鳴らして触手を消し去った。そして、
「ケガはないか?」
と、二人の顔を見る。
二人はお互い顔を見合わせ、
「だ、大丈夫です」「わ、私も……」
と、答えた。
仮想現実空間から抜け出して芽依を襲った暴漢に、それを瞬殺した不可思議な自称龍の少女。あまりに現実離れした出来事に二人ともあっけにとられていた。
「あー、これ直すの面倒くさいのう……」
少女は渋い顔をして丸く穴の開いた壁を眺める。
「あのぉ……」
和真は声をかける。
「ん? なんじゃ?」
壁の切断面をなでながら答える少女。
「助けてくれてありがとうございます。
「そのまんまじゃ、それに答えたってどうせ忘れちゃうしのう」
そう言うと、少女は和真を見てちょっと寂しそうに笑った。
「忘れる……?」
和真が怪訝そうに眉をひそめると、少女はすっと和真に手をかざす。
「え?」
直後、和真は意識を失い、ぱたりと床に倒れてしまった。
6. 手掛かりはヘアクリップ
「和ちゃん、ごはんよぉ――――」
ママの声で目を覚ました和真は、ベッドから身を起こし、寝ぼけ眼で周りを見回す。
「あれ? 俺、寝ちゃってた? え? いつから……?」
すっかり薄暗くなった部屋は、何事もなかったようにいつも通りだった。
和真は一生懸命に思い出す。
芽依にメタバースを案内してもらって、画廊に行って、変な男に絡まれて戻ってきて……。
「あれ? その後どうなったんだ? 芽依は?」
和真はその後の記憶がすっぽりと抜けていることに気がついた。
急いでスマホを見ると、LINEの未読がたまっている。読むと芽依もいつの間にか自宅にいて困惑しているらしい。
いったい何が……?
しかし、いくら思い出そうとしても何も思い出せない。飲みすぎた人が記憶をなくしてしまうというのはこういうことなんじゃないかと思ったが、さすがに酒など飲むわけがない。
和真はいぶかしげな顔でバタリとベッドに横たわり、腕を伸ばした。と、その時、何かがチクリと手の甲に当たった。
ん……?
手探りで探すと、それは真紅のヘアクリップの破片だった。
「ん? 誰のヘアクリップだ……?」
和真はジッとヘアクリップを見つめる。こんな物、つける人に心当たりなどない。しかし、この真紅の輝きはどこかで見覚えがある。金髪に着けたら似合いそうだ……。
「金髪……、え?」
その瞬間、ブワッとすべての記憶が戻ってきた。
「あっ! これはあの娘の……、えっ!」
和真は現実離れした戦闘の一部始終を思い出し、青ざめる。
「あれ? 夢だよな……? しかし、これは……」
ヘアクリップを見つめ、混乱する和真。
そして、ベッドから飛び降りると本棚に走った。丸く切り抜かれていたはずの壁はどこにも継ぎ目が見えないくらい完璧に元通りだったし、男と一緒に消えていったはずの本棚は何事もなかったようにそのままだった。
和真は急いで隠しておいた薄い本を探してみる。
「あれっ!? ない!」
芽依に見られた恥ずかしい本ではあったが、和真には宝物だった。
「な、ない……」
和真は思わずひざから崩れ落ちた。
あの女の子に没収されたに違いない。なんということだ……。
しばらく茫然としていた和真だったが、一体何が起きたのか整理してみようと、ベットに戻り、考え込んだ。
「仮想現実空間の男がここへやってきて、不可思議な攻撃をして芽依が犯されかけた……んだよな」
しかし、この段階で和真は頭を抱えてしまう。これが事実だとすると、仮想現実空間とこの部屋が地続きだというとんでもない話を受け入れざるを得なくなってしまう。リアルな現実がなぜ仮想現実空間と地続きなのか?
それで、自称『龍』の女の子が出てきて撃破、その際に部屋を破壊して二人の記憶を消し、その後部屋は元通り。でもヘアクリップは回収し損ねたという経緯だった。
そして本棚を元に戻すときに薄い本も回収されてしまった……、本当に?
そもそも消し飛ばしてしまった床や壁、本棚がなぜ復元されているのか?
これもまた想像を絶する話でどうにも理解不能だった。
和真はふぅと大きく息をつくと、鋭く切り裂かれたヘアクリップの断面をなで、この奇妙な事件をどう考えたらいいのか途方に暮れた。
◇
翌日、和真は東京の表参道に来ていた。ネットで調べたところ、ヘアクリップは有名なデザイナーの限定商品らしく、関東では表参道のお店でしか販売されていなかった。
一旦通り過ぎながら中の様子をうかがった和真は、大きく息をつくと振り返り、ピンクのドアを開けた。
「いらっしゃいませ」
くしゃくしゃっとした白いブラウスに、金属がチャラチャラとあしらわれた黒いスカートを履いた店員が和真をちらっと見る。
明らかに場違いな自分に和真は思わず顔を赤くした。
そして、意を決すると、ヘアクリップを見せて聞いてみる。
「あのぉ、これなんですけど、こちらの店の商品ですか?」
「あら、壊れちゃったのね。そうよ、うちのだわ」
店員は淡々と答える。
「金髪でおかっぱの女の子の持ち物なんですが、ご存じないですか?」
「え? その子ならさっき来たわよ。同じの買っていったけど?」
「えっ!? ど、ど、ど、どっち行きました?」
和真は思いがけない展開に、思わず挙動不審になりながら前のめりに聞いた。
「うーん、原宿駅の方かな? あっちよ」
「あ、ありがとうございます!」
やはりあの子は存在していたのだ! 不可思議な力を行使した龍の女の子。
和真はバクバクと心臓が激しく高鳴るのを感じた。
7. 宇宙けーび隊
和真はダッシュした。
これを逃せば一生会うことはできない。和真は自分に訪れた千載一遇のチャンスを逃すまいと必死に駆けた。
大通りに突き当たって急停止。和真は肩で息をしながら悩む。原宿駅へは右でも左でも行ける、どっちだろうか? 間違えたら一生会えないかもしれない究極の選択である。
「大通りか竹下通りか……どっちだ?」
女の子だったらどっちに行きたいだろうか?
うーん、うーん……。
頭をかきむしる和真。
すると、聞き覚えのある声が耳に飛び込んできた。
「キャハッ!」
ん? キャハ?
見ると、おしゃれなカフェのガラス越しに金髪頭が見える。
「い、いた!」
和真の心臓がキュゥっとなった。
不思議な技で暴漢を退治し、壊した部屋を完璧に復元して自分の記憶を消した女の子、それが目の前にいる。
この不可思議な女の子が自分の人生を大きく変えるに違いない。和真は何の根拠もなかったがそんな確信を持っていた。そして、何度か大きく深呼吸をすると、カフェのドアをゆっくりと押す。
彼女はスマホを耳に当てて楽しそうに話してる。和真は近くに席を取り、電話が終わるのを待ってみた。
まだ幼さが残るものの、彼女の整った目鼻立ちや印象的な赤い瞳、そして透き通るような白い肌は上質な気品を感じさせる。
すると、彼女がチラッと和真を見た。
そして、少し驚いた様子で手早く電話を切る。
「あら、ロリの君じゃない」
ニヤッと笑う彼女。
「ロ、ロリは止めてください。本も返してください!」
和真は顔を赤くして答える。
「我に
彼女は冗談めかして嬉しそうに笑う。
「ほ、惚れはしないですが、ちょっとお話を聞かせてもらえませんか?」
「ふーん、つまらん奴じゃ。それにしてもよくここが分かったな。その努力に免じて答えてやろう。何が聞きたい?」
「えーと、『龍』っておっしゃってましたが、あなたはどういう方なんですか?」
「いや、だから龍じゃよ、ドラゴン。お主、ドラゴンも知らんのか?」
と、つまらなそうな顔をしてアイスカフェオレをストローで吸った。
「もちろん、ドラゴンは知ってますが……、でも人間の女の子じゃないですか」
「か――――っ! こんなところでドラゴンの姿でおってみい、カフェにも入れんじゃろうが!」
「あ、では人化してるってこと……ですね?」
「いかにも」
嬉しそうに笑う。
「で、昨日ハッカーを退治したのはドラゴンのお仕事……なんですか?」
「そうじゃ。最近あの手のハッカーたちがこの星を荒らすんでな、見つけては潰しておるんじゃがイタチごっこじゃ」
そう言って肩をすくめる。
「ハッカーが荒らす……、彼らはどうやって荒らすんですか?」
「ふふーん、その辺は言えんな。企業秘密じゃ」
ニカッと笑いながらカフェオレをズズーっと最後まで吸い切った。
「超能力とか?」
「か――――っ! お主はセンス無いのう。この世界の事象は全て科学で説明できる。そんな超能力とかいう都合のいいもんはないわい!」
「え? では、あんな空間を切り取るようなことも、ドラゴンも科学……なんですか?」
「当たり前じゃい」
和真は困惑した。きっと秘密の超能力部隊がいるのかと思っていたのに科学だという。高度に発達した科学は魔法と区別がつかないということだろうが、そんな科学は想像もつかなかった。
「現代の科学では到底無理……だと思うんですが、となると、あなたは宇宙人……ですか?」
「はっはっは! 宇宙人と来たか」
楽しそうに笑い、そして、ストローで氷をカラカラと回し、
「そもそも宇宙人ってなんじゃ? 宇宙から来たら宇宙人なんか? ん?」
と、目を細めて和真を見る。
「うーん、そう……ですかね?」
「我は地球生まれだからそういう意味では地球人じゃな。でも、ドラゴンだから地球人というのも変……か」
ストローをくわえてそれを軽く振り回しながら宙を見る。
和真はさらに困惑した。地球生まれのドラゴンの超科学、一体どういうことだろうか?
「お話聞いてると、あなたの存在はきっとこの世界の根幹にかかわる話のように思うんですが、そうなんですよね?」
「そりゃ当たり前じゃ。だから言えん」
そう言うと彼女は手早く荷物を整理してウエストポーチを肩にかけ立ち上がる。
「あっ!? 待ってください。何か僕にできることないですか? 何でもやります!」
和真は必死だった。この世界の秘密を前にしてここで終わりにするなんてできないのだ。
彼女は何かを考えこみ、そして和真をちらっと見ると、ウエストポーチから名刺を一枚出し、
「この世界の秘密が分かったらここに来な。正解じゃったら仲間にしてやろう」
そう言って彼女は和真の肩をポンポンと叩くと、
「分かったらって……、分かんないから聞いてるのに……」
風に揺れる金髪を和真は目で追いながらぼやく。
直後、彼女はピョンと飛び、そのまますうっと消えていった。
「あっ!」
和真は不可思議な少女の言う『科学』に頭が痛くなった。一体ワープなどどうやって科学で実現するのだろうか?
ため息をつきながら名刺を見ると、
『宇宙けーび隊 副長 レヴィア 東京都港区田町xーxx』
と、書いてある。
まるで冗談みたいな名刺だった。
8. 龍の創りし世界
夕方、和真は芽依を部屋に呼んだ。
「はーい! 呼ばれて飛び出てジャジャジャジャーン!」
相変わらずノックもせず、飛び込んでくる芽依。
和真はムッとしたが、今はそれどころじゃないのだ。
「来てもらって悪いね。ちょっと聞きたいことがあって」
「何? スリーサイズ? それはノーコメントよ」
手でバッテンを作る芽依。
「いや、そんなんじゃなくて!」
「ふふーん、じゃ何? 恋の相談?」
和真は芽依のテンションについて行けず、ふぅと息をついた。
「何なのよ? もったいぶらずに言いなさいよ」
ニコニコする芽依。
「メタバースのさ、あのアバターのまま、ここに人を出したりできる?」
「は?」
芽依は呆れ果てた顔で和真を見る。
「いやだから、例えば芽依のあの大人なアバターでここに出てこれるかってこと」
「できる訳ないじゃん。あれはコンピューターが合成してる像なんだから、リアルな世界じゃ目に見えないわよ」
「いや、それはわかるんだけど、もし、できるとしたらどういうことが考えられるかな?」
「だから、できないって!」
不機嫌になる芽依。
「じゃあ、こう考えよう。もし、アバターのままの人がここに出てきたら、それはどういう可能性が考えられる?」
「まぁ、寝ぼけてるかドラッグのキメすぎだね」
肩をすくめる芽依。
「ま、まぁそれもあるかもだけど、他には?」
「うーん、何しろ像を合成する仕組みがなきゃ無理なんだから、プロジェクターかなんかで投影とかじゃないの?」
「でもそれじゃ触れないよね」
「あったり前じゃない!」
「触れるとしたら?」
「え――――っ? 触れる像? それはもうここが仮想現実空間ってことよ」
「へっ!?」
その投げやりな話に、和真は稲妻のような衝撃を受けた。
そう、脳の中のもやもやしたものが全て一直線につながったのだ。
「それだ!」
和真はパン! とローテーブルを叩き、お茶を入れたカップが倒れんばかりにガタガタと揺れる。
「へ? 何が?」
「ここは実は仮想現実空間だったんだよ!」
興奮する和真をジト目で見ながら、
「何を馬鹿なこと言ってんのよ! ここは現実世界! ほら! 触ればプニプニ感じるでしょ? こんなの仮想現実じゃ無理よ!」
そう言いながら和真の手を取って揉んだ。
「そりゃ、メタバースじゃ触覚は無理かもだけど、それはコンピューターの性能が低いからで、それこそ超超超スーパーコンピューターなら実現できるよね?」
「んー、今の人類じゃ無理だけど、それこそ宇宙人が作ったような凄いコンピューターがあったら……、まぁ、できなくはない……かな? でも、そんなのやる意味ないよ」
肩をすくめる芽依。
「いや、龍なら……ドラゴンなら作れるはずだ……」
目をキラキラ輝かせながら和真は宙を見上げる。
「ドラゴン……? 君、頭大丈夫?」
「いや、大丈夫! 芽依ありがとう!」
和真はそう言って芽依の手をぎゅっと握りしめ、ブンブンと振った。
「こんなこと他の人に言っちゃダメよ? キチガイだって思われちゃうわよ」
「うんうん、言わない! 人間には言わない!」
和真はドラゴンの仲間になれる可能性に胸が高鳴った。
◇
芽依が帰った後、和真はスマホを駆使していろいろなサイトを読み漁った。この世界が仮想現実空間であるという説は実は割とポピュラーで『シミュレーション仮説』と呼ばれていて、テスラやスペースXで有名な実業家イーロン・マスクも信じているらしい。
「よし! いけるぞ!」
和真はノリノリで調査を進めていくが、ネガティブな意見も次々と出てくる。要はそんな高性能なコンピューターは作れないし、動かすエネルギーもないというのだ。確かに地球を丸っとシミュレーションしようと思ったら地球の一万倍くらい大きなサイズのコンピューターが必要だし、そんなのを動かすエネルギーも用意できない。
「うーん、無理なのかなぁ……」
頭を抱えていると、ある説が目に入った。『そもそも厳密にシミュレーションする必要はなく、人間が知覚できる範囲、観測機器が観測できる範囲だけシミュレートすれば計算量は劇的に減らせる』
「おぉ! これだこれ!」
和真はさらに読み込んだ。結論から行くと十五ヨタ・プロップスの計算力、スーパーコンピューターの一兆倍の計算力があればこの地球はシミュレートできるらしい。なんと現実解だったのだ。
和真はついにこの世界の真実にたどり着いたのだった。
9. 神仙界
その夜、ベットに入った和真は寝つけずにいた。この世界があの金髪の女の子たちによって作られ、運営されている、それをハッカーがインチキして悪用している。それは今まで想像もしなかった世界だった。明日、この正解を彼女に提示して仲間に入れてもらうのだ。
しかし……。そんな世界の運営側に行って自分は何ができるのだろう? この世界をメタバースのように縦横無尽に飛び回り、好き放題できる、それは確かに魅力ではあったが、不登校の自分が活躍できるとも思えない。また苦しい思いをして行かなくなってしまう未来しか見えなかった。
「なんかピンとこないなー」
和真は布団に潜る。
と、その時、パパのことを思い出した。忘れもしない死ぬ直前、パパは何かを見て固まり、そして転落した。パパは何を見たんだろう? サイトの衛星写真で見てもそこにはただの入り江しかなかった。
「もしかして……、彼女ならそれを調べられる?」
和真はガバっと起き上がり、その着想に思わず手が震えた。
この世界がメタバースみたいな構造だったら記録は必ず残しているはず。あの瞬間の入り江の情報だってあるかもしれない。パパが何を見たのか? 知りたくて知りたくて、でもあきらめざるを得なかった本当の理由が分かるかもしれない。
それは和真にとってコペルニクス的転回だった。メタバースから来た仮想現実空間を追い求めたら過去のトラウマをピンポイントに狙えることになったのだ。
「こ、これだよ……」
暗闇のベッドの上でギュッとこぶしを握り、あの事件以来止まってしまっていた自分の人生の歯車がギシギシと音を立てながら回りだした音を聞いた。
◇
翌日、和真は名刺の住所を頼りに三田に来ていた。
そこは
和真は言われるがままに進み、最上階のボタンを押した。
すると、ガン! という衝撃音がして、とんでもない速度で上へと加速し始める。それはエレベーターとかいうレベルではなく、まるでロケットのような圧倒的な加速だった。
うわぁ!
思わず奥のガラスの壁に手をつく和真。
急に開ける視界、目の前には赤い東京タワーがそびえている。
「えっ!?」
エレベーターはガラスのチューブの中をぐんぐんと加速しながら空へとすっ飛んでいく。まるで宇宙エレベーターである。
東京タワーが下に小さくなり、皇居が小さくなっていく。雲を抜けると、関東平野が小さくなって青空が真っ暗になる。宇宙に入ってきたのだ。そして星空が見えてきたころ、シュウゥゥンという音がして加速が止まった。
するとエレベーター内は無重力となってふわふわと身体が浮かび上がってくる。
「あわわわ! 一体何なんだよ!」
和真は、いうこと効かずにふわふわ浮いてしまう身体を持て余し、悪態をつく。
やがて上昇速度がどんどん落ちていき、重力が戻ってきた時だった、チン! と音がしてエレベーターが止まる。
いよいよついたらしい。和真は大きく息をつく。
ドアが開くとそこには霧のたちこめた大きな湖の水面が広がっていた。
「はぁ!?」
和真は予想外の光景に思わず口をあんぐりと開けてしまう。宇宙に来たら宇宙ステーションでもあるのかと思ったら荘厳な大自然だった。
水面からは温泉のように湯気が立ち上り、あちこちに大きな岩が突き出している。まるで中国の山水画のような静かで幻想的な世界であり、仙人が住んでいそうである。
しかし、この先どうしたらいいのだろうか?
「泳げとでもいうの? なんなの?」
困惑しながら和真は水をすくってみる。
ひやりと冷たい水はどこまでも澄んでいて清涼だった。ひざ位の深さだろうか、底には丸い石がゴロゴロと転がっている。
和真は辺りを見回しながらしばらく待ってみたが何も起こりそうにない。大きく息をつくと、和真は渋い顔をしながらそろそろと足を下したが、なんと、足は沈まなかった。水面の上に立ててしまったのだ。
えっ?
まるでガラスの上に立ったかのような不思議な感覚だった。
しかし、一歩踏み出せば水面には波紋が広がっていくのでやはり水である。しかしそれでも立ててしまうのだ。
すると、水中に細かな青い光がまるで夜光虫のようにぼうっと灯った。そして、その光はまるで誘導灯のようにずっと湖の奥の方まで続いていた。
どうやらこの光の方へ歩けということらしい。
和真は恐る恐る足を出し、霧の濃い湖の奥へと歩き出す。
10. 美しきドラゴン
湖は異様な静けさに沈んでいる。ただ清らかな水と青い光、そして、霧が続いていた。人は死んだらこういうところへ来るのかもしれない。和真はそんなことをぼーっと考えながら歩いた。
しばらく進むと急に遠くから重低音の振動が響く。湖面がさざ波立ち、和真も足を取られてバランス取るのに必死になる。すると、霧の奥に巨大な影が動くのが見えてきた。小さなビル位あるような巨大なものがズーン、ズーンと足音を響かせながら湖面をやってくる。
和真は青ざめ、思わず後ずさった。
すると、ニュッと巨大な頭部が現れる、それはティラノサウルスのような恐竜に似た生き物だった。しかし、その頭はマイクロバスほどもあり、恐竜の何倍もデカい。
うわぁ!
あまりのことに和真は、近くに突き出ていた一軒家くらいのサイズの巨石へと走り、陰に隠れようとした。
ブゥン!
何かが和真の頭をかすめ、巨石を吹き飛ばす。
ズーン! ドボドボドボ……。
岩はまるで豆腐みたいにあっさりと粉々にされその破片を湖面に散らす。
飛んできたのはいかつい鱗に覆われたシッポだった。
ヒェッ!
和真はその衝撃にバランスを崩し、しりもちをつき、そのまま水中へと落ちていく。
慌ててもがく和真。
冷たい水の中は限りなく透明で、ポコポコと湧き上がる泡の向こうに怪物の影が近づいてきた。
急いで逃げようとする和真だったが、水中ではどうにもならない。
直後、黒く巨大な何かが和真の周りを覆う。慌ててもがく和真だったが……。
ザバァ!
なすすべなく捕まった和真は一気に水上へとすくい上げられた。
えっ!?
見回すとなんとそれは怪物の巨大な翼だったのだ。
巨大な翼に長いシッポ、全身いかつい鱗に覆われ、ぼぅっと金色の光を纏うその巨体に和真は凍り付く。
とげ状の鱗に覆われた頭部はずいっと和真に近づくと、巨大な真紅の瞳でぎょろりと和真をにらみ、グルルルル! と重低音でのどを鳴らした。
圧倒されていた和真だったが、その瞳の色を見てそれが誰だかわかってしまった。それはドラゴンの少女、レヴィアの瞳の色だったのだ。そう思えば金色に輝く巨体もどこか気品があり、美しくすらあった。
「こ、こんにちは、正解を見つけてきました」
髪の毛からポタポタとしずくを落としながら、和真は引きつった笑顔で挨拶をする。
ドラゴンはちょっと不愉快そうにグワァとのどを鳴らすと、
「小僧……、間違ってたら……食うぞ!」
と、腹に響く声で吠えた。
一メートルはあろうかという巨大な牙がキラッと光っている。和真はその恐ろし気な威圧に気おされつつも、カフェオレを飲むような少女が自分なんかを食べるはずがないと思いなおす。
「だ、大丈夫です。ここに来て確信が持てました。世界は仮想現実空間だったんです」
冷汗をかきながら答える。
「ふん! お主が足を踏み入れる世界はこういう暴力と理不尽の世界じゃ、それでも来たいか?」
「これが真実であると知った以上、逃げても無意味です」
和真はしっかりとした目で言った。
すると、ドラゴンはつまらなそうに、
「はぁ~! 脅かしがいのない奴じゃ!」
そう言うと、和真を解放する。そして、ボン! と爆発を起こすと、中から金髪おかっぱの少女が現れた。
そして、面倒くさそうな顔で和真をギロっとにらむと、手のひらを和真の額にかざす。
温かな光に包まれる和真。
気がつくと服も髪も一気に乾いていた。
おぉ……。
和真が驚いていると、レヴィアはあごでくいっと奥を指し、
「ついてこい」
と、すたすたと歩き出す。
◇
しばらく行くと見えてきたのは、アテネのパルテノン神殿のような白亜の神殿だった。立ち並ぶ大理石でできた優美な石柱には精緻な幻獣が彫られ、炎の明かりが揺れている。
「うわぁ、素敵なところですね」
階段をのぼりながら和真が話しかけると、
「おだてたってなにも出んぞ」
ニヤッと笑った。
階段を上って中へと進むと広大な広間がある。天井にはフラスコに描かれたような荘厳な天井画が広がり、炎の明かりが揺らめいて幽玄な世界を醸し出している。
「うわぁ……」
和真が天井画に見とれていると、
「天地創造の絵巻じゃ。NFTにして売っちゃダメじゃぞ!」
と、言って笑う。
筋肉をあらわにした若い男性がゆったりと星々を生み、それを青い髪をした天使が楽しげに育てている。その脇では金色のドラゴンが火を吹いて邪悪な軍勢と戦っていた。
「これがレヴィア様……ですか?」
「わしの弟子がな、描いてくれたんじゃ……」
レヴィアは懐かし気にそう言うと、ちょっと寂しそうにほほ笑んだ。
これが史実だとすると、この若い男性が地球シミュレーターを開発し、天使が運営し、レヴィアがそれらを邪魔するテロリストたちと戦っているということなのだろう。しかし、それはいつからだろうか? 人類の歴史で考えると四、五千年前からだろうか?
そんなことを考えていると、レヴィアはさらに奥の方へと歩いて行ってしまう。
「あ、待ってください!」
追いかける和真。
◇
奥の巨大な壁の前まで進むと、レヴィアは何かをつぶやいた。
ビュヨン!
電子音が響き、岩肌にドアが浮かび上がってくる。
「話はオフィスでな」
レヴィアはそう言うとドアを開けた。
ドアの向こうは光があふれ、和真は思わず目をつぶる。
目が慣れてくると、そこには広いオフィスが広がり、大きな窓の向こうには赤い東京タワーがそびえているのが見えた。
へっ!?
和真が驚いていると、
「いいからついてこい!」
と、一喝して、レヴィアはすたすたと歩いていく。
そこはメゾネットづくりのマンションの広大なリビングで、ドアは二階の廊下に繋がっていた。一階を見おろすと、高級な調度品に立派な観葉植物、奥の方にはオフィス机が並び、何人かが仕事をしている。まるで外資系コンサルのオフィスのようなたたずまいだった。
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