2 りっ……隆二さん?!

 今日は午前中空港へ撮影に向かいます。


 滝川さんが車で駅から僕を乗せて、空港へ行ってくれると声を掛けてくださいました。


 彼は僕の家のわりと近所らしいです。僕はお言葉に甘えて、乗せて頂く事にしました。




 ムーンは大家さんが面倒を見てくださいます。


 本当にすみません、と少ないお金で買ったお菓子の包みを持って挨拶しました。


 くうう……またムーン貧乏だ、僕は。




 僕が駅を降り、赤いロメオと滝川さんの姿を見つけ駆け寄ろうとした時、彼の横に男の人がいて、僕は慌てて立ち止まりました。


 知り合いか何かなのでしょうか? 2人で何か揉めているようなそんな様子で、僕は近づきたくても近づけませんでした。相手の男の人は割と綺麗な人で2人が並ぶと絵になります。格好いいですねぇ!


 あの黒髪の男の人は役者さんなのでしょうか?




 あ……!


 ふいにバシッと男の人が滝川さんの頬を叩きました。


 僕はその様子が痛々しくて、思わず目を覆ってしまいました。


 僕が痛いのはいいんですが、他人が痛いのは耐えられなくて。




 わわ! ま、まさか滝川さん借金が?!


 ……あるわけないか。


 一体どうしたというのでしょうか。


 そのままその男の人が僕に向かって走って来ました。


 あわわわ、隠れる場所がない。


 そのうちに僕は滝川さんと目が合ってしまいました。


 男の人はすれ違いざま僕を一瞬睨むと、そのまま走り去って行きました。


 なんだったのでしょう。




「やぁ、おはよう!」


「お、はようございます……」




 僕は今の状況に疑問を感じましたが、あえて何も言わずにそのまま滝川さんの車に乗り込みました。




 車内は僕達の沈黙のもと、空港へ向かい走ります。滝川さんはいつもと変わらない表情で、でもいつもより寡黙です。僕は彼にさっきの事を訊きたくて、言葉がノド元まで出かかったのですが、黙って耐えていました。


 重い空気が苦手な僕は、さっきの事は見なかった事にして、色々な話をし始めました。


 最初は軽い相槌だけだった滝川さんも次第に気持ちが和らいで来たのか、僕の昨日の警備員との話を面白可笑しくすると、その顔に笑みがこぼれてきました。


 僕はなんだか内心ほっとして来ました。


「犬の方が格上に見られたの?」


「そうですよ~も~信じられませんよね?」


 僕はその時の事を思い出したら、またなんだか怒りが込み上げてきました。


 僕が釈然としない顔をすると、その様子をちらりと横目で見た滝川さんは再び笑います。


「君って、面白い人だね」


「そうすか?」


「あまり僕の周りにいないタイプだ」


「そうなんですか? ま、まぁ、そうかもしれませんね。滝川さんの周りにいる人って、滝川さんと同じようなお金持ちな人ばかりなんだろうな~。あと、さっきみたいな綺麗な男の人」


 そう言いかけて僕はしまったと思いました。


 折角いい感じだったのに嫌な事思い出させてしまった!




 でもその僕の気持ちを見透かしたのか、滝川さんはふと軽く笑い、視線を前に向けたまま言います。


「結局みんな僕のお金が目当てなのさ」


「……そんな」


 そう言う滝川さんの表情が寂しそうに見えてしまいました。


 僕もそのままなんだか言葉を繋げられずに黙ってしまいました。


「ごめん、君には関係のない事だったね」


「いっ、いえ」


「あのさ、監督から言われているんだけど、今回出演者は互いに名前で呼び合うようにだってさ」


「え、そうなんですか?」


「僕も君のこと守くんって呼ぶから、君も僕を隆二って呼んでいいよ」


「えっ、そ、そんな呼び捨てになんてできません~!!」


 僕が慌ててそう言うと、滝川さんはふっと微笑みました。




 あ~でも名前で呼び合わなきゃいけないんだ~あ~う~あ~。




「そうだ! 『隆二さん』って呼んでいいですか?」


 僕が少し遠慮がちに言うと隆二さんは前を向いたまま「それでいいよ」と微笑んでくれました。




 空港に着くと瑠璃さんが先に待っていました。


 瑠璃さん、今日も可愛いです! サスペンダーで吊り上げたチェックのズボンと、ベスト、茶色の革靴がとても良く似合っています。瑠璃さんを見ると僕はイケナイ気持ちになります。


 憧れというか、ああイケナイ!! 彼は男なんだった!


 やばいやばい僕はお芝居だけで充分なのに!




「隆二さん、なんか元気ないね?」


 瑠璃さんが突然そんなことをそっと僕の耳元で囁いたので、僕は驚きました。


 彼にはなにか人を見透かす能力でもあるんでしょうか?


 僕はさっきの隆二さんと男の人の情景を思い出しましたが、瑠璃さんには何も言うつもりはありません。




 空港での撮影は思ったよりあっという間に終り、僕達は大きなNGもなく、そのままスタジオに向かうことができました。




 その途中で僕と隆二さんと瑠璃さんとでランチをしに行きました。入ったお店はパスタで割と有名なお店です。


 頼んだパスタにはサラダバーが付きます。


 そこで僕は日替わりパスタ(デザートもつくから)、瑠璃さんはあさりスパゲティ(ミルクティー付)、隆二さんはサーモンクリームスパゲティ(コーヒー付)を頼みました。


「2部はあれだね、いよいよだね、瑠璃くん」


「ええ、そうですねっ」


「何がいよいよなんです?」


「……こっちの話」


「隆二さんが相手なら不足はないね、遠慮も要らないしね」


「おいおい、それは僕のセリフだよ。僕も遠慮なく行くからね」


 そう隆二さんが言うと瑠璃さんがうふふと笑います。


 ああ、なんだか2人で秘密な会話です。僕だけ取り残された気分です。


「え? なんです? なんですよ~二人して!」


「大人の話」


 瑠璃さんが僕に微笑みかけました。


「そっ、だから、守くんには関係ないの」


 




 くうう、なんか2人して僕を馬鹿にしてませんか?


「僕だって、大人なんですけど……」


 そう言うと二人は笑い出しました。


「ごめんごめん、そうだよね、うんうん」


 隆二さんが笑います。


「大人だよね、守さんっ」


 瑠璃さんまで。




 ううっ、なんでだよ~。




「それにしても、凄いね守くん。そのサラダの量……」


「よくそれだけ大盛りにできるね、器用だね、守さん」


 確かに目の前の僕のサラダボールにはあらゆる種類のサラダがてんこもりになっています。


 2人はそのサラダボールを見て再び笑いました。




 ううっ、食べれる時に食べないでいつ食べるんだ!!




 さて、スタジオに戻り、2部の本格的な撮りがスタートします。


 廊下を歩く僕らを追い抜き慌てて走る少年がいます。


「おお? あんまり慌てるなよ!」


 隆二さんが話し掛けると、そのショートボブの髪の少年が「あっ!」という声を出し振り返りました。


「Hスタジオってここでよかったんだね! よかった、間に合ったみたいじゃん!」


 彼は少し息を切らせていました。


「まだ撮影まで時間あるよ、桐香」


「何慌てているの? 桐香?」


 どうやら2人はこの人の知り合いのようです。


「ん、あ! おはよう瑠璃、隆二さん、あのさ~マネージャーが、そそっかしくてさ。時間間違えてたんだよね。だからもう大慌てで前のテレビ局から来たんだ。もぅ、ご飯も食べる時間ないよ~!!」


 そう言うと二人は笑いました。


「って。あ、そちらが噂の新人さん?」


 その少年が僕をちらっと見ました。


 黒曜石のような綺麗な黒い瞳が真っ直ぐこちらを覗くようにして見つめたので、僕はどきっ、としてしまいました。


「あ、うん、今回採用された新人の俳優さん、守さんです」


「よ、よろしくお願いします」


 瑠璃さんに咄嗟に紹介されて僕は慌てて頭を下げました。




 僕が頭を下げると桐香さんも頭を下げて「よろしくお願いしますね!」と明るく笑いました。




 声のとてもハキハキした人です。


 主に舞台を中心に活動しているらしいです。


「桐香、彰人と一緒じゃなかったの?」


「ん、彰人はそのまま劇団へ戻っていったけど……。午後から西遊記だって」


「あ、あれ? 再演なんだってね、凄いね彰人」


「らしいねぇ。随分張り切ってたから、あれが一番女の子が騒ぐから嬉しいんだって。行くでしょ? 瑠璃も」


 そう言うと瑠璃さんは笑顔で笑いながら言います。


「彰人らしいね、うん、行く、行く」


「じゃチケット貰ってきたから渡すよ!」


 そのまま2人は会話を弾ませながら控え室の方に消えていきました。




 スタジオに新しいメンバーがもう一人加わり、午後の撮りが始まりました。お屋敷に住む僕の弟役の桐香くんです。ショートボブの黒髪がとても綺麗で顔も繊細でやはり美形です。


 彼が振り向くたびにキューティクルがキラキラした黒髪が揺れて、とても綺麗です。


 ああ、それなのにこの世界に身を染めてしまうなんて。


 勿体無さすぎな人が多いです!

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