パラレルパワー
キップ
プロローグ
東京都足立区島根 二十時十三分
ガチャ
扉を開く音が、静まり返った真っ暗な部屋に響いた。
東京都の島根という場所にあるマンションの一室に足を踏み入れた痩せ型の男。色白の肌が暗闇の中で亡霊のように浮き上がっている。
橘花郷は、時々東京なのに島根かよという疑問を持つことがある。だが、橘花は島根という言葉に面白い意味があるのを知っている。そんなことは今は関係ない。
土埃のついた年季のある靴を脱ぎ、照明のスイッチに手を伸ばすことなく久しぶりの我が家へ上がる。しっかりと右手に握られたアタッシュケースは照明を反射しているわけでもないが、銀色に輝いている。右手をチラッと確認してリビングへ向かった。一週間ほど家を空けていたため少し埃っぽい。体が動くたびに細かい埃が舞い上がる。アタッシュケースをガラス製のテーブルに置いた。煙草吸うか。興奮気味だったので、煙草を吸って気持ちを落ち着けることにした。これは橘花の毎度のルーティーンになっていた。
ポケットから煙草と銀の塗装が剥げたジッポを取り出し、ジッポに火を灯す。煙草の先端を火に近づけて火を移す。一息大きく吸い込み、肺に煙を充満させ堪能した。そしていかにも芸術を作り出すように吐き出す。煙が辺りを漂い冷えた風がそれをかき消したのを確認してもう一度吸い込み、吐き出した。燃え尽きた煙草の灰を灰皿に落とし煙が風に揺られて複雑な模様を醸し出しているのを見ていると、興奮が治ってきたのを感じた。煙草を中指と人差し指で持ち、流れゆく時に身を任せて目を閉じた。このマンションが自分だけの要塞のように思えてくる。涼しい風が頬を撫でていく。
少し経つと近くで駅から電車が発車したのか、車輪が線路の隙間に当たって発生する騒音が辺りに響き渡った。疲れ切った社会人が我が家の暖かみや酒の力を求めて帰路に着く姿が目に浮かぶ。電車の騒音と連動するように玄関の扉が開かれた。橘花はそれに気が付かず目を閉じたまま煙草の鼻から抜ける香りを楽しんでいる。扉からはフードを目深に被った大柄の男のシルエットが現れた。その影は忍足でキッチンを越え、リビングを越え、橘花の元へ移動した。
影は着ていたパーカーのポケットからニューナンブm60(日本の警察が使う拳銃)を取り出し、両手で構えて橘花に向けた。一歩、また一歩と歩み寄り確実を狙って撃とうとする。しかし、橘花が何者かの気配を感じ取り振り返ったことにより殺す機会を逃してしまった。
背後に眼下の街明かりに薄っすらと照らされたリビングだけが広がっていることを確認すると、気のせいかと思い再び煙草をふかし始めた。
荒れた息を噛み殺し、透けた自分の腕を確認しながら橘花を横目に部屋を見回してみる。部屋に似つかわしくないアタッシュケースが目についた。モダンな内装に合わず機械的な見た目のそれは白い紙に一滴の墨汁が垂らされたようだ。だが目的を達成する方が先だと考え、調べるのを後にしてニューナンブm60を橘花に向け直す。グリップを音が鳴らんばかりに強く握った。
引き金を引いた。
抑えられてはいたが、強烈な発砲音が火薬の匂いと共に辺りに響くと、橘花は力無く崩れ落ちた。
男の目からは一筋の輝く涙が流れた。
すると突然橘花の身体が痙攣し始め、みるみるうちに白骨化していく。頭蓋骨を取り上げて手の上で転がす。
「…」
自分の瞳から水が垂れていることに気がつきパーカーの袖でサッと拭った。
ガラス製のテーブルに置かれているアタッシュケースに目をやり、開けようと試みる。取手の付け根には五桁の数字と一つのアルファベットを入力するための小さな液晶パネルが付いており、試しに『04023H』を打ち込んだ。ピッというエラー音が鳴るだけで解錠されない。
「まぁ目的は達成したしな」
そう言うと鴉のように真っ黒な男はその場から粒子となって消えてしまった。その様子は科学では説明のつかない摩訶不思議な現象だった。
ここから世界を揺るがす大事件に発展することを知っているのはこの男だけなのか。それとも……
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