11話 スリの少年 【イザベラ十歳】

 エドワード殿下と初めて会ってから一年ほどが経過した。

 彼との婚約は、お父様がのらりくらりと躱してくれている。

 私は十歳になった。

 『ドララ』のメイン舞台である王立学園に入学するまであと三年。

 学園に入学すれば、エドワード殿下やヒロインのアリシアと関わらざるを得ない局面も増えてくるだろう。

 その前に、何とかバッドエンドを回避する目処を立てておかなければならない。


「いっそ、学園への入学を免除してもらうように掛け合ってみようかな……?」


 そもそも入学しなければ、エドワード殿下やアリシアと関わる機会がない。

 殿下の取り巻きである騎士見習いのカインや、伯爵の跡取り息子で氷魔法士のオスカーとも。

 だが、私のそんな考えはあっさりと否定される。


「何を言っておられるのですか、姉上」


 義弟のフレッドが呆れた声を出す。


「姉上の才は、他の者と触れ合うことでさらに輝くはずです。学園に通わないなんてとんでもない」


「でもフレッド、私達は既に十分な貢献をしているでしょう? ポーションの販売は好調なのよ」


 まさに今、フレッドと共に街の視察を行っているところである。

 良質なポーションを比較的安価で卸しているため、民の健康状態は良くなってきている。


「もちろんです。おかげで我がアディントン家は潤っております。ですが、それとこれとは話が別です。アディントン家の発展のため、そして何より、姉上に更なる高みを目指していただくため、学園に入学すべきです!」


「うーん……」


 フレッドからの期待が重い。

 予知夢での彼のように、冷たい目で毒ナイフを刺してくるよりかは遥かにマシだが。


「それに、もう入学手続きは済ませているはずでよ」


「えっ、そうなの?」


 入学までまだ三年ほどあるはずだが。


「はい。王立学園は王侯貴族が通う学校ですからね。事前の審査やクラス分けが厳しいのです」


 なんということだ。

 逃げ道が塞がれてしまった。


「大丈夫です、姉上! 一年遅れとなりますが、僕がしっかりサポートしますから!!」


「……ありがとう、フレッド」


 王立学園に通うことは避けられそうにない。

 そもそも、王侯貴族にとってこの学園に通うことは半ば義務のようなものだ。

 明確な理由がないのに入学しないと、白い目で見られる可能性がある。

 まあ、これも人生経験の一つだと思って頑張ろう。


「やれやれだわ……」


 私が肩を落としながら街を歩いている時だった。


「おっと! ごめんよ!!」


 誰かがぶつかってきた。


「いえ、こちらこそ……」


 反射的に謝罪の言葉を口にしながら、私は相手をまじまじと見つめた。

 相手は少年で、年齢は十歳といったところだろうか。

 髪の色は赤色で、瞳の色も同じく赤色である。

 服装は雑なデザインであり、平民の少年のように見える。

 だが、立ち居振る舞いにどこか品があるような気もした。


(どこかで見た顔だな……)


 私は記憶を辿ろうとする。

 だが、そうこうしている内に彼は走り去ってしまった。


「……」


 私は首を傾げながらも、再び歩き出した。

 あれ?

 なんだか、体が軽く感じる。


「あっ!?」


「どうされました? 姉上」


「ない! お財布がなくなってる!!」


「何ですって!?」


 いったいどこで……。


「ああ……、あの時に……!」


 私は思い出す。

 そうだ、さっきの男の子だ。


「追いかけましょう、姉上!」


「ええ、そうするしかないわね」


 私はフレッドと一緒に駆け出す。

 少年を追いかけて辿り着いた先は、貧民街だった。


「これはまた、治安の悪い場所に来ちゃったみたいね」


「ですね。諦めましょうか? 姉上の身に万が一のことがあれば、僕は生きていけません」


「ダメよ。ここまで来たんだもの。絶対に見つけ出さなければならないわ」


「分かりました。では、慎重に探しましょう」


「いいえ、その必要はないわ」


「なぜですか?」


「だって、ほら」


 私は前方を指差す。

 そこには、先ほどの赤髪の少年がいたのだ。


「おいガキ!! 俺の金を寄越せ!!」


 柄の悪そうな男が怒鳴りつける。

 だが、少年は全く怯むことなく言い返す。


「俺の金だと? ふざけんじゃねえぞオッサン! これは俺が盗んできた金だ!!」


「うるさいクソガキが!」


 男は手を振り上げると、思い切り殴りつけた。

 鈍い音が響き渡る。


「ぐっ……」


 赤髪の少年は倒れ込んだ。


「ははは! ざまあみろ!!」


 男は笑い声を上げると、その場を後にしようとする。

 だが、それは叶わなかった。


「待ちなさい。子供を殴るとは何事ですか」


「ああん?」


 私の呼びかけに、男は不機嫌そうな顔をする。


「誰だよ、お前」


「そのお財布の持ち主です。追ってきたところ、暴力を見たので止めさせていただきました」


「はあ? 正義の味方ごっこなら余所でやりやがれ」


「別にあなたに危害を加えるつもりはないんです。ただ、お金を返してもらえればそれで構いませんから」


「はぁん? 俺がそんなこと聞くとでも思ってんのか?」


「ですよねぇ……」


 困ったな。

 こうなった以上、穏便には済まないだろう。


「姉上、ここは僕に任せてください。こういう輩は僕の方が慣れていますので」


 フレッドが前に出る。

 彼はまだ九歳なんだけどなあ……。

 私と一緒に行っている畑仕事やポーションの調合、それに護身のための剣術も日々学んでいる。

 彼はかなり強い。


「へぇ、可愛い坊やじゃねえか。お前も一緒にボコられてえのか?」


「黙れよ、雑魚。姉上に手を出そうとした時点で、貴様は僕の敵となった」


 フレッドは懐に手を入れる。

 そして取り出したのは、一本の小瓶だった。


「なんだそりゃ。俺を舐めてんのか? それとも、そいつで俺を倒せると思ってるわけ?」


「もちろんだ。ただし、これを食らう覚悟があるのならばの話だが」


「ハッタリかますんじゃねえよ!」


 男は拳を振るう。

 しかし、フレッドはそれを華麗にかわすと、小瓶の中に入っていた液体を男の顔面に浴びせた。


「な、なにしやがった!?」


「すぐに分かるさ」


 次の瞬間……。


「ぎゃああああああ!!!」


 男の顔が焼け爛れた。

 まるで高熱に炙られたかのように。


「どうだ? 僕の作った毒の力は?」


「フレッド……、なんて恐ろしいものを……」


 毒の調合が得意なのは、『ドララ』の設定のままか……。

 ぶるり。

 予知夢で彼の毒に苦しめられたことを思い出して震えてしまう。


「なんだ!? 今の悲鳴は!!」


 騒ぎを聞きつけたのか、数人の男達が集まってきた。


「おいおい、随分と派手にやってくれたじゃないか」


「俺の可愛い弟分を痛めつけてくれた落とし前はきっちりと付けさせてもらうぜ」


「生きて帰れると思うなよ」


 男達が口々にそう言う。

 一対一ならフレッドの方が強そうだけど、さすがにこの人数差は……。

 大丈夫だろうか?

 私は少し不安になってきたのだった。

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