ep 12. おいしいパスタ
「阿藤くん、あの娘どうなったの?」
ボクシングトレーナーの仕事が終わり、カフェルポスに到着すると店長の尾道が訊ねた。
昨日はトレーナーの仕事のみだったので、尾道とは会っていない。
本日もいつも通り閉店までシフトが入っている。
「一旦うちで預かってます。そういや隣に若い女性が引っ越して来て、今日は預かってもらってるんですよ」
「越して来たばかりでもうそんな関係に?」
表情から察するに尾道は何か勘違いをしている。
「違いますよ。いろいろあったんです。それと、あの娘はアリアという名前でアメリカ出身の親戚ってことにしてますので、よろしくお願いします」
「アリア? 珍しい名前選んだな」
「響きはどこにでもいそうですけど・・・」
「聞いたことない」
そうか、珍しいのか。もっとエマみたいな名前の方がよかったかな。
でも、もう琴鈴にはアリアで浸透している。今さら名前を変えるなんてことはできない。
いつも通り午後六時までは平穏な時間が続き、呉羽はホールでテーブルを拭いたりコーヒーを飲みに来る常連の客と談笑したりと業務にあたっていた。
呉羽は女性客、特に年齢層が高いご婦人からの人気が高い。若い男性でかつ柔らかい口調の話し方から優しさが滲み出ていることで話していると癒しになるのだそうだ。
「こんにちは」
六時になって少しずつディナー客が入りはじめた頃、琴鈴がアリアを連れてカフェルポスを訪ねた。
「唐霧さん、いらっしゃいませ。もう来てくれたんですね」
昨夜、琴鈴にこのカフェのことを話したが、翌日すぐに来るとは思わなかった。
だが、アリアがうまくやっているか不安に思っているより目の届く範囲でいてくれる方が安心できる。
「アリアちゃんからパスタがおいしいと聞いたので、それなら食べに来てみようかと」
「あのパスタは当店の人気商品です。アリアを預かってもらったお礼に奢りますので、ぜひ食べてください」
「やったあ。それじゃあ、お言葉に甘えますね」
「あの、これ。ここの人に借りていたアウターです」
アリアはアルバイトの娘から借りていたアウターを呉羽に渡し、呉羽があとでロッカーに返しておくことにした。
琴鈴は綺麗な笑顔を見せてテーブルについた。世の男性はこういう女性と交際したいと願うのだろう。
呉羽はキッチンに向かい、パスタとコーヒーをふたつずつオーダーし、またホールに戻った。
「美人さんじゃないか。アリアちゃんきっかけで仲良くなるかもしれないな」
「そんなんじゃないですって」
途中ですれ違った尾道の囁きを軽く受け流してホールに戻ると、次々と客が店内に入って来た。
ここからはホールを三名で対応することになった。オーダーを取り、商品を配膳し、水を注ぐ。
忙しく店内を歩き回っていると、アリアが呉羽をじっと観察していて目が合った。呉羽が微笑むと彼女もぎこちない微笑みを返してくれた。
今まで経験しなかった幸せな時間だ。
琴鈴はパスタをフォークで巻いて口に運ぶと、アリアと楽しそうに話している。喜んでくれているならよかった。
午後八時、琴鈴とアリアを残して最後の客が退店した。
彼女たちは呉羽が終わるまで待って、一緒に帰ろうとしているらしい。
「阿藤くん、あとは任せて。今日は上がっていいから」
「でも閉店作業が」
「いいって。遅くまで女性を待たせるわけにはいかないだろ」
尾道の好意に甘えることにした。
他の従業員も快く呉羽を送り出してくれた。それは、彼の人柄が好かれている証拠だった。
下世話な推測をされていることだけは、今後弁解しなければならない。
「それじゃ、お言葉に甘えて」
呉羽は琴鈴とアリアが食べたパスタとコーヒーの代金をレジで精算してふたりが待っているテーブルに向かった。
「お待たせしました。帰りましょう」
三人はカフェルポスを出て、街灯が並ぶ歩道を進んだ。今日は朝からずっと曇りで残念ながらロマンチックな星空は臨めない。
仮に空が綺麗でも決してそういう雰囲気になることもないだろうが。
「お疲れ様でした。パスタおいしかったです。また食べに来ますね」
「いつでも歓迎します。今日はアリアを預かってもらって助かりました。唐霧さんと一緒にいて楽しかった?」
「はい。鈴ちゃんは優しくて一緒にいると楽しいです」
鈴ちゃんか。女性同士距離が縮まるのは早いものだ。
「私の方こそ引っ越して来て友達もいないので、アリアちゃんと一緒にいられて幸せです。阿藤さんがよければまた一緒にお出掛けしたいです」
「ええ、いつでも。俺もひとり身の寂しい男なもので。今はアリアがいますけど」
つまらなかった人生が、たったふたつの出会いで輝きを持った。
アリアが危険な立場にあることは理解しているが、こんな日々がこれからも続けばいいな。
そんなことを密かに心の奥底で願う呉羽だった。
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