ep 4. 苦渋の決断
「話せる範囲でいいから、教えてくれる? まず君の名前は?」
呉羽は声のトーンを上げて優しい響きと表情を意識して少女に語りかける。
アルバイトが終わり、カフェルポスのテーブルでずっと待っていた少女から話を聞くことにした。
それによって今後の対応も考えなければならない。
「名前、わかりません。何も覚えてません」
「それって、記憶喪失ってやつかな? どうして追われてたのかも覚えてない?」
「はい。歩いてたら急に追いかけられて、怖くて逃げました」
そこで俺に出会って助けを求めたわけか。
記憶喪失ならまずは病院に行くべきか? いや、行方不明の届出があれば警察に行けば何かわかるかもしれない。
困ったことに彼女は病院も警察も拒否した。
ホテルに泊めるにしても金銭的な余裕はないし、迂闊に連れ帰れば警察沙汰になることも考えられる。
特に成人男性と未成年女性が関わっているだけでも周囲からの視線は厳しい。親切心が身を滅ぼすこともある怖い世の中だ。
「あの、お願いがあります」
「お願い?」
少女が恐る恐る視線を上げて呉羽の目を見つめた。
嫌な予感がして、呉羽は無意識に唾を飲んだ。
「私を守ってください。お金は払えないけど、なんでもします。仕事もして、自分のお金は稼ぎます。だから、家に住ませてもらえませんか?」
「いやー、それはちょっとなー。君何歳、って聞いても覚えてないんだよね」
「お願いします。私怖いんです。誰を頼っていいかもわからないときに、あなたは危険を冒して助けてくれました。だから・・・」
少女はとうとう泣きだしてしまった。
「阿藤くん。女性を泣かせたら駄目だよ」
店長の尾道が業務を中断して少女の前にティッシュの箱を置くと、隣のテーブルから椅子を引っ張って来て座る。
「いや、そんなつもりはなかったんですけど」
「話は聞いてたよ。確かに阿藤くんがこの娘を引き取るにはリスクが高すぎる。どこの娘かもわからないし、未成年だろうしね。でも、このまま放っとくわけにもいかない、だよな?」
「ええ、まあ」
「例えば、知り合いに独身の女性はいないか? 事情を話せば数日間は預かってもらえるかもしれない」
「いませんよ。ってか尾道さん知ってますよね」
「ああ、知ってる。念のために確認しただけだ」
結局解決策は見つからなかった。
呉羽に恋人がいたら今日だけはなんとかなったかもしれないが、これがつまらない人生を送ってきた代償というものか。
望んで恋愛を避けてきたわけではないのだが、気がつけば縁のないままこの歳になってしまった。
これ以上ここにいても尾道に迷惑をかけるだけだ。
呉羽は少女を連れてカフェを出た。頭上では星が綺麗に光を放ち、月明かりが薄暗い世界を照らす。
裸足だった彼女はアルバイトの学生がロッカーに置いていた靴をもらい、ワンピースだけでは寒いだろうと上着まで貸してくれた。
こうなれば、今日だけでも俺の部屋に連れて帰るしかない。
「今日はうちに泊まって。寝室は別にあるから好きに使ってくれていい」
「あの、阿藤さんはどうするんですか?」
「リビングのソファで寝る。気にしなくていいよ。昔からどこでも眠れるから」
今日は疲れた。これからのことは明日考えよう。
記憶喪失の少女を預かる。そんな非現実的な出来事が、俺の幸せでつまらない人生を悪い方向に変えてしまわないことを願うばかりだ。
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