ep 2. 追われる少女

 呉羽はボクシングジムからもうひとつのアルバイト先であるカフェに向かって歩いていた。


 晩夏になり夕方は過ごしやすい気温へと変わっていき、陽が沈む時間も日に日に早くなった。


 日によってジムとカフェで働く時間は異なり、本日は朝から午後三時までジムで、午後八時の閉店までをカフェで働く。


 本来カフェに出勤する日ではないのだが、体調不良で学生アルバイトが一名休みをとり、どうしても出てくれないかと昨夜店長から電話で懇願された。


 たった三時間ほどだが、食事をとることができるカフェは夕方以降ディナーに訪れる客が多い。


 人員が少ないとホールとキッチンのバランスがとれずにクレームの元になる。このアルバイトをはじめて三年が経った呉羽はすでに欠けては困る人材になっていた。


 まだこの時間は会社員や学生の通行は少なく、通行人を気にすることなく自分のペースで歩くことができる。


 目的のカフェまであと二百メートルもないところで、前から少女が走って来た。


 ブロンドのロングヘアで背は低く痩せ型、俯いているため顔はあまり見えないが、中学生から高校生ほどの年齢だろう。


 白いワンピースに裸足という異様な身なりだ。


 あんなに急いで何かあったのだろうか。


 そう思って横に動いて道を開けようとしたら、少女は呉羽の腕にしがみついた。



 「助けてください!」


 「え?」


 「追われています」



 近くで顔を見ると、欧米にルーツがあるような外国人であることがわかった。彼女の青い瞳は何かに怯えて必死に助けを求めている。


 呉羽が少女の走って来た方向に視線を向けると、黒いスーツ姿の男が三名こちらに鬼の形相で走って来た。



 「とにかく、隠れて」



 事情は不明だが、怯えている少女を差し出すわけにはいかない。


 呉羽は少女に物陰に隠れるように伝え、男たちがやって来るのを待った。



 「おい、あの女はどこへ行った?」


 「女? なんのことですか?」


 「ふざけるな。お前と話していただろ」



 やはり見られていたか。



 「あっちへ行きました」



 呉羽は自分が歩いて来た歩道を指差して、よくドラマで見る方法で男たちを騙そうとしたが、現実はそこまで簡単ではなかった。



 「嘘だな。女はその後ろにいる」



 ひとりの男が向かう先は、呉羽が少女に身を隠すように指示をした場所だった。


 わかってるなら聞くなよ。


 呉羽は咄嗟にその男の腕を掴んで身体を押し返した。



 「邪魔をすると後悔するぞ」



 男たちは警棒を取り出して戦闘態勢をとった。


 こいつらがどこの誰かはわからないし、少女がどこの誰かもわからない。だが、この状況で少女を潔く渡してしまうと、きっと彼女は酷い目に遭わされる。



 「残念だけど、俺は後悔しないように生きてるつもりだ」



 呉羽は両手の拳を軽く握ってフィリーシェルスタイルの構えをとった。


 左腕を下ろして肘を直角に曲げてボディのガード、右拳は顎の前に置くガードに適したポーズだ。


 重心は後ろにずらして相手の出方次第で対応を変更できる。


 ボクシングに携わる者としてリング外で拳を振るうことは許されない。あくまで身を守り、正当防衛の範囲で戦うのみだ。



 「おい、何をしている!」



 呉羽と男たちの間で牽制が繰り広げられていたが、遠方から届いた声に男たちは逃げ出した。


 こちらに自転車を漕いで走って来るのは中年の制服警官だった。


 呉羽はひとまず安心して警察官に突然絡まれたと説明しておき、助けてもらったことに礼を伝えた。


 被害がなかったことで、警察官は「お気をつけて」と言い残して巡回に戻った。



 「出て来ていいよ」



 少女は恐る恐る物陰から顔を覗かせた。落ち着いて見ると女優でも名が通りそうなほど綺麗な顔の少女だ。


 警察官に事情を説明して引き渡すこともできたが、なぜか本能がそれを選択しなかった。



 「これからどうする? 行くあてはある?」



 少女は黙って首を横に振る。


 呉羽は頭を掻いて、どうしたものかと答えが見つかるはずもないのに周囲を見回した。

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