第7話 紗江 妖精のパンケーキ

なんとなく、一番端のアルバートバーの横のコーナーの席には座らない。たいていの人もそのようで、よほど混んでいない限り、端をひとつあけて座っている。


マスターに何気なくその話をしたら、

「そこは妖精の席なのさ」

と笑っていた。

「僕のミニチュアたちを置いたらね、妖精が来てくれたみたいなんだ。

この前来た人が、そこの棚のところでこのくらいの背の妖精を見たって」


妖精というとせいぜい10センチくらいの羽根があって飛んでるイメージだけど、それよりだいぶ大きくて50センチくらいの背丈で、髪に月桂樹の冠を被っているらしい。


「切り株のおうちのミニチュアをずっと見てたんだって。気に入ってたらしいから、あれは頼まれても売らないことにしたよ」

切り株のおうちは私も大好きだ。切り株にアールのドアがついていて、部屋の中の丸テーブルには美味しそうなパンケーキやフルーツ、パイなどのお菓子と紅茶ポットとカップがのっている。マスターがこんな可愛らしいお茶会のミニチュアを作っているなんて、想像するのが難しい。


「見える人っていいなー」

「本当にねえ。見えたらいいなって時もあるけど、妖精とか神様が見えるってことは、怖いものも見えちゃうってことでもあるようだよ。僕はチャンネルを合わせないようにしてるけど。」

「いるかどうかは、分かるんでしょう?

私、なーんにも分からないんだもん」


きっと端っこの席に座っているんだろう。

見えないけれど、会釈しておこう。いつかあなたが見えるようになったら仲良くしてね。


「マスター、私パンケーキ食べたくなっちゃった。妖精さんの分と二人前作ってもらえない?」


「全く、紗江さんは。メニューにないものを注文しないでほしいなあ。圭子がいないからうまくできなくても文句言わないでよ」


昔、母が作ってくれたようなちょっと薄いホットケーキ。上にのったバターの塊が溶けかかっていて、そこに蜂蜜をとろーりとかける。


「わあ!懐かしい味! これメニューに入れましょうよー。

今風のホワホワのもいいけど、この薄さのサクッと感がいいわあ」

「んじゃ隠れメニューでね」


「あのね、今日来たのは、先日相談した仕事のこと」

「どう? 新しい所見つかった?」

「あれから何社か面接行ったのね。で、ここどうかな? 内勤で家電の部品の発送や管理の仕事なの」

会社案内を見せると、マスターはいつものように首をふって見ていたが

「うん、いいんじゃない。紗江さんに合ってる。」

「良かったー!。前の所もね、マスターの魔法が効いたと思うんだけど、やめるって決めたらなんだか今まで嫌だったことも気にならなくなって、あんなに辞めたい辞めたいってなんで思ったんだろうなんて。おかげで円満に退社できたし、新しい所は来月から来て欲しいって言われてて」

「そかそか、良かったねえ。

でも、紗江さんが配達で来てくれなくなると今までみたいに無理をお願いできなくなるのかなってちょっと心配だけどね」

「大丈夫。次の人、明るい気のつく人よ。

ちゃんと引き継ぎで言っておいたから。凹むことがあったらマスターに相談しなさいって。だからよろしくね」

「凹むの前提?」マスターはのけぞった。


最初に緊張して配達に来た時も、休みの日に仕事の事や家の事で疲れ果てて助けを求めるようにここに来た時も淡々と、でも暖かく迎えてもらった。それがとても心地良かった。なんだかいつも悩み事を抱えてはここに来ていたような気がする。このミニチュアたちを見て、マスターと何気ない話をしたりしているうちに、不思議と悩んでいたことがどうってことないことに思えてきてシャキンとしたものだ。これからもきっとこの店は私の大事な居場所だ。嬉しいことも辛いことも話しにきたくなる場所。

会社を変わると今までのようには来られなくなるけど、もっと元気な私でここに遊びに来られるようになったらいい。


「ご馳走様でしたー。妖精さんまたね。」

「土日は休みなんでしょ?また寄ってよね」

「もちろん!また来まーす」


チリン


振り返ったら、アールの扉の不思議だぞう屋があの大楠の根本にあるような気がした。


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