喫茶N業務日誌

高戸優

第1話:6月20日

「ーーそれじゃあ、お願いしてもいい?」


「はい」


頷けば「ありがとう」と朗らかに笑う店長があった。「よろしくね」という言葉と共に閉じたドアに、少し安堵する俺がいた。


肩を回せば、慣れない労働で凝り固まった部分が鳴る。バキ、ゴキという音は明らかに健康的ではない。それは今まで引きこもっていたせいだろうと推測する中、口から出るのはため息だ。


空を見上げれば昼が伸びる季節のせいか、夕刻であっても幾分明るい。遠くに聞こえる小学生らしい元気な声を聞きながら、勝手口の横に腰掛け目の前に詰まれた仕事を見やる。


それは茶色いダンボールの山だった。一体どうやってこんなに溜め込んだんだという量。店長である南海卓人という男は、視線を泳がせながら「気づいたらたまってて……」と言っていた。これだけ嵩張ればもっと前に気づけただろ。


「……やるか」


新人の俺に当てられた、本日最後の仕事はこのダンボール解体だ。あと十数分の時間を過ごすにはちょうどいい。接客などとんと向かないーーじゃあなんでこの仕事についたんだという話は追々するとしてーー俺にはぴったりな単調作業。


カッターの刃を繰り出す音が緩やかなテンポで鳴る。カチカチというそれはまるで時計の針が刻むよう。


1個目のダンボールを押さえ込み、一辺にカッターを差し込んだ。力を込めて切り落とそうとすれば、安価なものなのか紙に引っかかりうまく行かない。力任せに進めれば破れ切らなかった紙がくっついて無駄な力が必要となる。一旦諦めて丁寧に余分な箇所を切り落としてから再挑戦。……今回はうまく行った。


そんな調子で全辺に切れ込みを入れ、広げれば小学校の時に習ったあの形になる。そう言えばサイコロは向かい合わせの面を足せば七になるんだっけーーそんな無駄な知識を思いだす中


「ひっかるさん! 進んでますか?」


飛び抜けて明るい声が勝手口の開く音と共に背中に触れた。少し跳ねた肩に気づいたのか、声は「僕ですよ」と邪気なく話す。きっと笑っているのだろう。この声の主はそういう男だ。


振り返れば既にそこに姿はなく、登場人物は真正面に立っている。俊敏さに驚けば、彼は満足そうな顔をしていた。


成人しているとは思えない童顔、平均より小さな身長。あざとさを狙っているのかいないのか、茶髪のボブカットは可愛らしさを加速させている。大きな赤い目はハムスターのように丸く、母性本能をくすぐられるだなんだいっていた客の意見がわかる気がした。


彼はもう一度「洸さん」と俺の名前を呼ぶ。黒ベストに白ワイシャツと黒ズボン、水色の紐を纏める赤い石のループタイという全く同じ格好の先輩は緩やかに笑み


「進んでますか?」


「……まだ始めたばかりです」


そっけない返事と共に二個目に取り掛かるため視線を外しても、この先輩は嬉しそうに声をかけてくる。


「へへっ、確かにさっきマスターに頼まれてたばかりでしたね。僕、何かお手伝いできることありますか? 手がね、空いちゃって」


「……ホールに立っていたらいいんじゃ?」


純粋な疑問と共にカッターの手を茶色い壁に下ろす。ガリガリという音に似合わない丸い声は「いや、僕以外にも店員いるんで」


「……梶崎さん、人気じゃないですか」


「いや、うちそんなホストみたいな制度してないですから。まあ特殊は特殊と思いますけど」


うーん、と顎に手を当て上を向く彼を一瞬見遣ってから作業を続けた。そして彼がなんやかんやと言っているのをBGMに、この店の特殊性を振り返ってみる。


正直言って、特殊だと思う。名物マスターを目当てに喫茶店に来る話は聞いたことあるが、店員全員が名物となると最早ホストクラブじゃないだろうか。そう思ってしまってもしょうがない、ここは正真正銘喫茶店だ。


『喫茶店NOSTALGIA』。そんなありきたりのような名前を冠してここはある。常連には『喫茶N』と略されているここは、おいしいコーヒーとケーキ、料理が売りだ。とにかく何でもおいしいーーらしい。そして、それ以上にキャラの濃い店員達がここの経営を黒字に跳ね上げている。


例えば、顔がいい女嫌いのパティシエ。例えば、いつだって過眠で仮眠の副店長。例えば、可愛い顔の狂犬ウェイター。例えば、毎日のツッコミ業に胃に穴が開きそうなウェイター。などなど。


そんなメンバーはひとりを除き、皆が男。やっぱりここはホストクラブじゃないんだろうか。そして何で、俺はここに入ってしまったんだろうか。


今からでも退職届間に合うかな……そう血迷い始めた脳に届いたのは「僕ね」という、ここのムードメーカーでトラブルメーカーの湊先輩の声だ。見上げれば、逆光の顔は明るく笑い


「このダンボールがどこから来たか、誰が運んで中身は何が出てきたか。そういうのを考えるだけで、楽しくなっちゃうんですよ!」


「……はぁ」


「だってね、それだけで一本の短い話が書けるかもしれないじゃないですか! 航路か海路か、陸路か。言語の壁は飛び越えたのか、その先で開かれた荷物の中身、そして待ってた人!」


そういうのを考えて、毎日楽しんじゃってます。そう続けた彼は「安い男でしょう?」と朗らかに笑う。


本当に安いな、とカッターの刃を無意味に出してから無意味な分を仕舞う。その妄想に楽しさを見出すなんて、幼稚園児じゃあるまいし。


盛大なため息が出た。それでもこの男は楽しそうな笑顔を崩さない。


碌でもない、生産性もない妄想だ。時間の無駄、と言っても構わないそれだ。


だとしても、それでもーーその安さに今日の疲れが救われた気持ちになった俺も俺なのだろう。


「……そう、ですね。そうなのかもしれない、です」


ダンボールの一辺にカッターの刃を立てた。真下に思い切り切り下ろせば、別れた茶色い壁の隙間から茶色い革靴を覗き見ることができる。顔を上げれば、ようやく夕焼けとなった空を背負って笑う赤目の男。


自分よりいくつも年下の彼は、快活に笑って言った。人生は全てが冒険なんだと。


その男の名前は、梶崎湊という名前だった。


そして、この日記を記しているのは、俺は北原洸という男だ。


これは、俺が『喫茶店NOSTALGIA』で過ごした日々の、なんでもない、業務日誌。


ーー六月二十日。とりあえず、今日は退職届を書くのはやめておこう。



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