きみはラッキースター
大塚
第1話
はい、と目の前の男が差し出したのはスチール製のゴミ箱だった。
「捨てて」
「えっ」
何を、何を捨てろというのだろう。ここは地元でも有名な占いの館。ホームセンターの角っこ、自転車売り場の真横という謎立地であるにも関わらず曜日ごとに君臨する占い師たちのスケジュールは常に埋まっており、飛び込みの客が運勢を見てもらうなんてまず不可能、そういうちょっとした人気スポットだった。
閉店間際のホームセンターに足を踏み入れるのに、大した理由があるわけではなかった。強いて言うなら酔っていた。日曜日。朝7時から肉体労働のバイト。17時終業。2時間ほどコンビニのイートインスペースでストゼロを食らって寝て、馴染みの店員に「いくらなんでも長居し過ぎ」と蹴飛ばされ、慌ててストゼロを更に2本買い足して飲みながらぶらぶらと帰路に着いていた。電車なら30分、バスにでも乗ればもっと早く家に着くのは分かっていたけど、その金でまた酒が買える。そう思うと惜しくて、どうも。
それで梅雨の晴れ間の蒸し暑い空気の中をよたよた歩き、立ち止まっては酒、更に歩き、また酒、そんなことを繰り返していたら、件のホームセンターの前に辿り着いていた。敷地の中には100円ショップとかチェーンの喫茶店とかがあっていつもなら駐車場もパンパンなはずなんだけど、閉店直前ということもあってかガラガラで、園芸コーナーの店員さんたちは両手に花とか鉢とか抱えて走り回ってるし、なんかみんな忙しそう、俺は酒飲んでるけどみんな忙しそう、俺は酒飲んでるけど……いやでも10時間肉体労働したもん……。
とかなんとか自分に対する良く分からない言い訳をしながら、光に吸い寄せられる虫みたいに店の中に入り込んでいた。涼しい。冷房が効いてる。ちょっと寒いぐらい。また酒を飲む。2本買ったうちの一本はもうとっくに空になっていたので、くしゃくしゃに潰して作業着の尻ポケットに突っ込んでいた。洗剤もガーデニング用品もキャンプコーナーにも用はない。自転車は……自転車は持ってるし毎週変わる現場仕事のバイト、場所によってはチャリで行った方が便利なこともあったけど、でもなあ俺、帰りに酒飲んじゃうからなぁ。自転車すぐ無くしちゃうし壊しちゃうし。そんな風に思いながら自転車売り場の前を通り過ぎたところで、目が、合ったのだ。閉店準備をしている占い師の男と。
えっ男の占い師っているんだぁみんな女の人だと思ってたぁ、などと口走りながら勝手に椅子を引いて座る俺を、長い黒髪の男はひどく胡乱な目で見ていた。胡乱ってこういう時に使う言葉なんですね。初めて知りました。あー酒。酒が足りない。
で、その占い師の綺麗な黒髪の、顔も綺麗なんだけど黒髪がすごく綺麗なお兄さんが、今、俺の目の前にゴミ箱を差し出していて。
「あ……空き缶?」
「空き缶もあるんか!? そっちも捨てろ!」
「も? もって?」
あっこの人関西の人なのかな。アクセントがそうだな。とか思っているうちに俺のストゼロ、まだ中身が半分残っているストゼロが気付いたら占い師の手に渡っていた。そんな。
「ま、まだまだそれ中身が残ってるから返し、返してっ」
「アホ言いな。空き缶の方も出せコラ。酒臭いんじゃ」
綺麗な花には棘がある。棘しかない。俺は泣く泣くポケットからストゼロの空き缶を取り出してお兄さんに渡す。ゴミ箱の中に液体もまとめて全部捨てられた。そんな。俺はなんのためにバス代や電車賃を削ってここまで歩いて帰ってきたんだ。つらい。占い師っていうのはこう、人の話を聞いて水晶玉を覗いてあとはトランプとかタロットカードとか使って迷える子羊を導く職業の人なんじゃないの? 人のお酒を没収しながらキレるって、それはちょっとアレなんじゃないの? アレ……。
「アレってどれや。全部口から出とんねん」
敷いていた紫のつやつやの布を片付けたせいでただの折り畳みテーブルになってしまっている職場に頬杖をついて、お兄さんが言った。名札も仕舞っちゃってるから名前が分からない。黒髪のお兄さん。
「あのな、もう閉店やねんここ。蛍の光聞こえへんか? 聞こえるやろ?」
聞こえない。酔ってるので。
「俺ももう帰らなあかんねん。その前に今日の分の売り上げ集計せんとあかんしな。忙しいねん」
そうですか。俺は今日も日払いのアルバイトだったので、売り上げ、ポケットに入ってるんですが……。
「空き缶と一緒に入れとったんか!? アホか! 落としたらどないすんねん!!」
ああ、優しい。初対面の酔っ払いにこんなにも優しい。やはり占い師はこうでなくては。迷える子羊に共感して、こう、なんていうんですか、アレ……。
「指示語で喋んな! 帰れ!」
こうして俺は占いコーナーどころかホームセンターからも放り出された。ちょっと泣いた。
ちょっとだけ泣いたつもりだったのだけど、気付けば30分ほど経っていたらしい。目の前に影が落ちる。街灯を背にして立っているのは。
「おにーさん!」
「泣くなや、鬱陶しい」
「迎えに来てくれたんですか!?」
「なんでそうなるんや。めちゃくちゃポジティブやな。もう帰るんや俺は」
そう言わないで! まだ占ってもらってない!
「ダボが! 俺は指名客最優先の売れっ子やぞ! おまえみたいな訳の分からん酔っ払いなんか占えるか!!」
「でも俺客席に座ったし……」
「勝手に座ったんやろ、人が片付けしとるとこに急に来て」
「でも俺のストゼロ……」
「ああ?」
「俺のストゼロ! まだ半分残ってたのに!!」
あっまた涙が出てきた。俺のストゼロ。没収された俺の酒。まだ酔えたのに。そのために暑い中歩いて帰ってきたのに。切ない。初対面の占い師にはダボって言われるし。俺の何が悪いっていうんだ。
「酒飲んで人の職場に乱入してきたら、そら優しくされへんやろ……」
「占い師ってカウンセラーみたいなもんなんじゃないんですかあ!」
前に大学の先輩にそんな風に聞いたことがある。言葉巧みにお客さんの家庭環境とか仕事の事情とか悩みについてとかを聞き出して、それらがまるで水晶玉に映し出されたみたいに語るとかなんとかかんとか。俺はそれ別に詐欺だとは思わないけど、特殊能力ではないよねと思って、あっでも初対面の相手からそれだけ色々引き出せるのは特殊能力なのかなぁ。俺にはできないもんなぁ。
ハア。大きな溜息が聞こえた。
ホームセンターを放り出されて、駐車場を抜けて少し歩いたところにある小さな公園のベンチに座り込んでいた俺の隣に、お兄さんが腰を降ろしていた。俺とお兄さんのあいだに、なんだか良く分からないカードみたいのが三枚ほど置かれている。
「何これ」
「俺の商売道具」
「わかんない……」
「ストゼロ代な。ストゼロ代だけ、やったる」
やったる? 何を? 何かしてくれるんならこっから歩いて15分ぐらいのとこにあるコンビニでストゼロ奢ってほしい。
「一枚選んで」
「え?」
「せやから! カード!」
お兄さんが怒鳴る。俺はぴゃっとなりながら、反射的に右端のカードを選んだ。表に返そうとした手首をお兄さんの手が押さえる。全部の指に指輪が嵌っていて、手首にもシルバーのなんかそれっぽいアクセ、あとミサンガ? っていうの? 綺麗な紐もぐるぐる巻き付いていて。
顔が近い。耳たぶもピアスでいっぱいだ。じゃらじゃらのピアスが公園の頼りのない明かりを受けて光る。綺麗だなぁ。押さえられていない方の手が、気付いたらお兄さんの右耳に触れていた。
「別料金やぞ」
「えっ」
「お触り」
そうなの!? 慌てて手を引っ込める。
俺の手からカードを奪ったお兄さんは俺の慌て方に満足した様子でふっと鼻で笑い、伏せられているカードを自分だけが見えるように表に返し──
「はぁ!?」
夜中の公園でそんな大声出したら通報されますよみたいな声だった。まだ酔っ払っているはずの俺の方が慌ててしまった。
「ちょ、ちょっとちょっと待ってくださ……」
「こんなはずあるかい! もういっぺん! もういっぺんやれ!!」
「ええ〜〜〜〜?????」
結局5回、俺はカードを引かされた。その度にお兄さんは奇声を発して頭を抱えた。もうどっちが酔ってるのか分からないテンションだった。
「おまえ、名前、何」
「ぅえ?」
急に何を言い出すんだこの占い師の、占い師で髪が長くてめちゃくちゃ綺麗なお兄さんは。
「
「えっ」
当たってる。えっ俺酔っ払って名前言っちゃった? 学生証とか見せた?
「大学2回生、童貞、家はこっから歩いて20分のとこにあるアパート」
全部正解。やだ怖い。何この人。
「言うたやろ、俺は売れっ子なんじゃ」
さっきまでカードを捲る度にギイとかギャアとかそんなわけあるかいとか怒鳴り散らかしていた人とは思えないほど余裕綽々で、しかも色気のある声だった。正直ちょっとムラッとした。いやだって、今日は暑いしね。お兄さんのすらっとした首筋にも、綺麗な玉の汗が滴っているしね……。
「俺の占いはな、当たるんや、首藤くん」
お兄さんが囁く。
「そんでなぁ、俺のカードが言うとんねん。おまえは1000人にひとりの、究極のあげちんやって!」
あげちん。
ちょっと良く分からない。
「分からんの? あげちん!」
「分かんない……」
「まあええわ、これも何かの縁やしな! ストゼロ買うておまえん家行こか!」
「ストゼロ!」
お兄さんの言っていることは相変わらず意味不明だったけど、ストゼロ買ってくれるんならもうなんでもいいやみたいな気持ちになっていた。あげちんってマジでなんだろう。どうしてお兄さんは俺の腕をしっかりと掴んで、どこにも逃げないようにしているんだろう。ていうかお兄さんの名前は、
「長い付き合いになるやろし、ユキちゃん、って呼んでな♡」
うーん。やっぱり良く分からないけど。
まあ、なんかただで占ってもらえたし、お酒奢ってもらえるみたいだし。いっか!
きみはラッキースター 大塚 @bnnnnnz
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