5 ザーサイじゃなくてザイラス、バニラじゃなくてバキュラ…

 アリスとティエラはもう一度、件の村に向かった。

 村では養鶏場の後始末に、村中が大わらわ。そんなところに二人は降り立った。

 「は~い。」

 アリスが屈託のない笑顔で村人に手を振る。村人はまた厄介事が来たと、あからさまな嫌な顔と不安な表情を織り交ぜて、出迎えた。

 「また、何んの御用ですかな。」

 村長が対応を買って出る。

 「ちょっと、聞きたいことがあるんだけどさ。」

 アリスがちょっと色目を使って、村長へ尋ねる。それを後ろで見るティアラは、冷めた目でその様子を眺めた。

 「な、なんですかな?」

 村長が顔を赤らめていると、

 「ねえ、ザーサイってやつの居所知ってる?」

 「ザーサイ?」

 村長が首を傾げる。

 「そ、ほら、この村の鶏を持って来いって命令したやつよ。」

 アリスの甘えたような声に、村長はどぎまぎしながら、やっとアリスが尋ねようとしていることが理解できた。

 「ザイラスのことですかな。」

 「そ、そのザ―じゃなくて、ザイラス。」

 (違うじゃない。プリムラ、なに聞いているのよ。)と、アリスが心の中で不満を爆発させていると、横からティエラがアリスの言葉を引き取った。

 「その、ザイラスという輩はどこにいるのですか?」

 「そいつなら、この村の東に行ったローゼン伯爵のところにいるよ。」

 若者が村長に変わり答えた。どうやら二人に興味があるらしい。

 「ローゼン伯爵?」

 「ここ一体を治めている貴族さ。」

 あきらかにその貴族にも不満がある言いかただ。

 「そこにザイラスと名乗る輩がいるのですね。」

 ティエラが確認を取ると、若者と村長が頷いた。

 「しかし、なにしにザイラスのところへ行くのですか?」

 「魔王バニラの居所を聞くのよ。」

 「魔王バニラ?」

 二人が首を傾げている間に、アリスとティエラは宙へ飛び上がっていった。

 それを見送った村長と若者は顔を見あって、

 「魔王バニラってだれだ?」

 と、不思議がっている。


 アリスとティエラは、村人に教わった通り、伯爵のいる城を目指して飛んだ。

 「この先に伯爵領と思える街と城が見えます。」

 ティエラの紅い目が虚空の彼方を見据えて、アリスに教えた。

 「急ぎましょう。あいつらが出ていかないうちに。」


>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>


 その頃、元ローゼン伯爵の城から飛び立つ一団があった。

 アメルダとその配下の一団だ。

 「じゃあ、先に城に戻っているわ。」

 「ああ、おれもじきに戻る。」

 城の屋上から飛び立つ一団を見送って、ザイラスは振り返ると共の魔人を引き連れて城の中に入っていった。

 「残っているものはないか?」

 「はっ、宝物や奴隷となる人間どももすべて城に運びました。」

 「よし、一回りして俺たちもここを発つぞ。」

 「かしこまりました。」

 無人の城には二人の声だけが響く。


 この城を襲って数時間で、抵抗する者はいなくなった。

 領主であるローゼンは、ザイラスに命乞いをしながら真っ二つに切断され、その家族は恐怖で震えながら捕えられ、他の生き残った者たちとともに魔王のいる城に送られた。

 送られた者の運命は、奴隷として死ぬまで働くか、実験材料として犠牲になるかの二つしかない。

 ザイラスは、元の領主が座っていた豪勢な椅子や、名のある職人が作ったであろう調度品を眺めて、鼻で笑う。


 使う者がいなければ無用の長物だ。


 栄光の残滓に背を向けて、ザイラスはその場を立ち去ろうとしたそのとき、表から怒号が聞こえてきた。

 「きさま、何者だ!」

 「勝手に入るな!」

 「てめえ、やる気か⁉」

 そう相手を威嚇する声の後、悲鳴と絶叫が響いてきた。

 そして、部下の魔人がドアを突き破って飛び込んできた。

 ザイラスは思わず身構える。


 ドアの向こうに立っているのは、身体にぴったりフィットした深紅のボディコン姿の美女と青白いローブを羽織った美少女であった。

 意外な侵入者にザイラスは、一瞬戸惑った。

 「だれだ⁉貴様らは」

 部下と同じ質問を女たちに投げかける。

 一方の女、アリスがゆっくりとザイラスに近づいてくる。

 ザイラスは油断なく身構えたままだ。

 「あなたがザイラス?」

 甘ったるい声で自分の名を名指しされて、ザイラスの警戒心は頂点に達した。

 「教会の回し者か?」

 それにしては、相手の様子が妖艶だ。

 とても神の使者とは思えない。

 ザイラスの中で混乱が生じた。

 その隙をつくような形で、アリスがザイラスの目の前に移動してきた。

 六魔将のひとりである自分に、簡単に近づく相手の力量に、ザイラスは驚愕した。


 「おまえ…」

 「ねえ、魔王バニラの居所を教えてくれる?」

 「魔王バニラ?」

 不意をつく願いは、ザイラスにとって不可解の三文字でしかない。

 「ねえ、教えてよう。」

 嗅いだこともないような香しい匂いが、ザイラスの鼻腔を刺激する。

 頭の中がクラクラしてくる。

 「教えて…♡」

 アリスの甘露のような声にザイラスの精神が縛り付けられる。

 「魔王…バニラ…」

 「そう、魔王バニラ。」

 「だれだ…、それは…?」

 その答えにアリスの顔が陰った。

 「魔王バニラって知らないの?」

 「魔王バキュラ様なら知っているが…」

 「へ、魔王バキュラ…?」

 とたんに、ザイラスの意識がもどる。

 同時に警戒心と殺気が迸る。

 「きさま、何をした⁉」

 咆哮とともに背中の大剣が一閃した。

 アリスが、頭から唐竹のように真っ二つになるか、と思われた。しかし、ザイラスの大剣はアリスの額の前でピタッと静止している。


 「⁉」


 見れば、大剣を右手で受けて、押さえている。

 「あぶないじゃあないの。」

 剣の向こうでアリスがニヤリと笑った。

 ザイラスの背中にひさしぶりの悪寒が走る。

 そこへ、外からザイラスの部下が乱入してきた。

 獣人コボルト小鬼ゴブリンといった輩だ。

 「このあま、ふざけたまねを。」

 部下たちが得物を振り上げて、襲い掛かってきた。


 その前に立ちはだかるティエラ。


 複数の得物がティエラの頭上に振り下ろされる。誰が見ても、ティエラはその餌食になると思われた。

 しかし、結果は予想外のものだ。

 ティエラの頭上で、襲い掛かった者たちの得物が消え、それがそっくりそのまま襲撃者の頭や肩、身体に打ち下ろされた。

 あっという間に、ザイラスの部下はティエラの前で、絶命した。


 それを目の当たりにしたザイラスは、自分の目が信じられなかった。

 「ど、どういうことだ?」

 そのザイラスの目と鼻の先にアリスの顔があった。

 「そんなこと、どうでもいいじゃない。それより魔王バキュラとかいうやつの居場所を教えて。」

 アリスの茶色の瞳が紫色に変色した。

 「う、魅了チャームか?」

 ザイラスが目を瞑ると同時に、大剣から手を放し、腰に手を回した。両手に黒光りするダガーが握られている。それがアリスの脇腹にめがけて突きかかった。

 しかし、アリスは驚く様子も、焦る様子も見せず、ただ、ザイラスの攻撃を眺めていた。


 (獲った!)


 しかし、ザイラスの勝利感は、ほんの一瞬でしかなかった。

 アリスの脇腹に突き立てたはずのダガーの感触が、手にない。

 そのとき、床に大きなものが落ちる音がした。

 アリスの後ろにザイラスの大剣が床に落ちて、震えている。

 「な…?」

 思わず目を開け、見上げたザイラスの目に、ザイラスのダガーを握るアリスの姿が映った。

 「あぶないじゃない。」

 その目が残忍に笑っている。

 後ろに飛ぼうとしたザイラスの両足に、鋭い痛みが走った。いつの間にか両の太腿に自分のダガーが突き刺さっている。

 その柄を握りながら、アリスがまた顔を近づけてきた。

 「さっさと、しゃべっちゃいなよ。魔王の居所。」

 アリスの紫の目がザイラスを魅了していく。

 もはや、ザイラスに逃れる術はなかった。


 「アウローラ、魔王バキュラの居場所がわかったよ。」

 アリスがアウローラに念話テレホンで報告した。

 「魔王バキュラ?バニラじゃあないの?」

 「ちがうみたい。」

 そう言って、アリスが足元にころがるザイラスの身体を、足で突いた。

 ザイラスはうつろな目で、口元からよだれを垂れ流して倒れていた。一目で廃人になったとわかる。

 「じゃあ、一旦、こっちに戻ってきて。これからのことを話しあうから。」

 「了解。ところでこいつらどうする?」

 「消したら?」

 冷酷に言ってくるアウローラに、アリスは「そうねぇ」と言って、小悪魔のような笑いを立てて、念話を切った。

 「ティエラ、もどりましょ。」

 「わかりました。」

 ティエラは、純白の羽を出して、飛び上がり、天井を突き破っていった。アリスは、ティエラが開けた天井の穴から外へ飛び上がっていった。

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