告白してない女に振られた
世捨て人
前編
五限目の授業終了を告げるチャイムが鳴った。部活で青春の汗を流す友人たちと別れの挨拶をして、俺は一人で玄関へと向かう。
外へ出ると、強く輝く太陽が俺を照らした。
ここ一週間くらい雨が降り続いていたが、今日は久しぶりの晴天だった。
今朝の通学中、周りを歩く人たちの顔は、いつもより明るかったように思う。きっと俺も同じだっただろう。やっぱり、雨より晴れの方がいいよね。ズボンの裾も靴も濡れないし。
校門に向かって歩いていると、一人の女子がこちらを向いて立っているのが見えた。
その女子が着ている制服は、うちの学校のものではなかった。茶色のブレザーに青色のリボン。アレは確かY高校の制服。うちの高校より、偏差値が十五くらい上の難関校。
Y高校は、学年によってリボンの色が違っていたはず。 俺の記憶が確かなら、青色のリボンは一年生だったと思う。つまり、俺と同学年。
校門を出て行くみんなが、その女子をまじまじと見つめている。
最初、他校の生徒が立っているから、そんな風に凝視しているのだと思った。
しかし、十メートルほど手前まで近づくと、そうじゃないことがわかった。
その女子は、とても可愛かった。
キラキラした瞳に、筋が通った高い鼻、ボブカットの黒い髪には天使の輪ができている。アイドルグループのセンターで歌っていそうな美少女だ。
うん。これは誰でもまじまじと見ちゃうな。俺も今じっと見ちゃってるし。
うちの学校に、彼氏でもいるのだろうか。あるいは、友達か。
いずれにしても、俺には縁のない女子だ。
名残り惜しくはあったが、俺は視線を逸らして彼女の横を通り過ぎようとした。
――その瞬間だった。
美少女は、反復横跳びのような動きで、俺の正面に移動した。
「おおっ」
予想外の動きに驚いた俺は、思わず声を上げて立ち止まった。
名も知らぬ美少女が、俺をじっと見つめている。
なぜ、俺の行く手を阻んだ?
なぜ、俺をじっと見つめている?
刹那、俺の脳裏に、ある思いが過ぎった。
下校時の校門前に他校の生徒。帰ろうとする男子の行く手を阻む女子。
それらから連想されるのは、『告白』の二文字だった。
……えっ、まっ、まさか、こんな可愛い子が、俺に告白とか?
そんな淡い思いを抱いた直後、すぐにその思いを打ち消した。
いやいや、こんなアイドル級の美少女が、俺に告白なんてするはずがない。
何よりも、俺はこの子を知らない。初対面だ。告白される要素は、どこにもない。この子が俺に告白するパーセンテージよりも、明日エイリアンが地球を侵略しに来るパーセンテージの方が高いだろう。
ほんの数秒のあいだに、そんな様々なことを思い巡らせている時も、美少女は俺をじっと見つめていた。
と、俺はそこで気づく。
彼女の視線……見つめているというよりも、睨んでいるという表現の方が合っているかもしれない。
俺は過去を振り返った。こんな風に睨まれるようなことをしたかな、と。
答えはすぐに出る。
否だった。
俺は彼女に何もしていない。断言できる。
だって、今ここで初めて会ったからね。会ったことのない人間に対して、睨まれるような言動を取れるわけがない。
では、彼女はなぜ俺を睨むように見ているのだろう。
あの、俺、何かした?
そう訊ねようと口を開いた瞬間、先に美少女の方が言葉を発した。
「私、あなたのこと、タイプじゃない」
「……えっ?」
予想だにしない言葉を投げつけられた俺は、素っ頓狂な声を出していた。
俺のことがタイプじゃない?
今、そう言ったのか?
小学生の時から高校一年生に至る現在まで、国語は真面目に勉強してきた。だから、『私、あなたのこと、タイプじゃない』という言葉の意味は理解できる。
タイプじゃないというのは、性格だとか、容姿だとか、そういった要素が自分の好みではないということだ。
しかし、言葉の意味は理解できても、なぜ俺がそんなことを言われたのかは理解できなかった。
俺は困惑した。初対面の相手に、あなたはタイプじゃないなんて言われたら、誰だって戸惑うだろう。こいつ、いったい何を言っているんだ、と。
問い質そうとした時、また彼女の方が先に言葉を発していた。
「あなたって、非常識よね。私、あなたみたいな人間、大嫌い。デートしても、自分が行きたい場所にしか彼女を連れて行かなさそう。彼女の誕生日プレゼントに、サボテンとかあげてそう。ほんとに無理。生理的に受け付けない。非常識だから、相手の気持ちもわからないでしょうね。ほんとに最低。もう一度言うわ。私、あなたみたいな男はタイプじゃない。だから、あなたと付き合うなんて絶対に無理。それじゃ、さようなら」
美少女は踵を返すと、俺に背中を向けて歩き始めた。
ゆっくりと遠ざかっていくその背中を見ながら、俺は彼女の放った言葉を脳内で再生していた。
罵詈雑言だった。
昨今問題になっている、ネット上の誹謗中傷に匹敵するくらいの言葉の刃と言っていいだろう。
心も体もズタボロに切り刻まれていた。今、強風が吹いたら、仰向けに倒れ込むかもしれない。
放心状態になっている俺だったが、頭上にはクエスチョンマークが浮かんでいた。
最後に彼女はこう言った。あなたとは付き合えない、と。
それって、告白してきた相手に対して断る時の言い方だよな。なぜそれを俺が言われなければならないのだ。
大前提として、俺はあの子に告白していない。だって、さっき初めて会った人だからね。告白なんて絶対にできないわけ。
つまり、俺は、告白してない女に振られた、ということになる。
えっ、そんなこと有り得るの?
告白してない人に、まるで告白したかのような対応で振られるなんて、人類の歴史上、初の出来事じゃないのか?
常軌を逸している。
これって、他の物事に喩えると、『応募してない会社から落選通知が届いた』と同じことだよな。
いや、その場合は精神的ダメージはないわけだから、そこまで腹が立つようなことでもないだろう。SNSにそのメールをアップすれば、バズるかもしれないし。
俺の場合は、はっきりと心にダメージを受けている。
しかも、あの女が俺に罵詈雑言を浴びせているあいだ、数人が横を通り過ぎていった。
彼らは、明日、この出来事をクラスメイトたちに話すかもしれない。『3組の九条って奴、凄く可愛い子に校門のところで振られてたぞ』とか『彼女の誕生日プレゼントに、サボテンとかあげてそうって嫌味言われてたわ』とか……。
もしそうなったら、俺は学校じゅうの笑い物だ。
あの女に、告白なんかしていないのに……。
段々、腹が立ってきた。
身体じゅうが、熱くなっていく。
この出来事を、『いやあ、聞いてくれよ。昨日こんなことがあってさあ』なんて笑い話にはできない。
記憶から消去することもできない。
このまま家には帰れない!
「クソがっ! このまま逃がしてたまるかっ!」
今や豆粒ほどになっている女の背中を、俺は全速力で追いかけ始めた。
三百メートルほど離れていた俺と女の距離は、見る見るうちに縮んでいった。追いつくのに要した時間は、体感では三十秒くらいだった。怒りのパワーが、オリンピック選手並みの走りを実現させたようだ。
隣に並んだ俺を、女は一瞥した。
しかし口を開くことなく、そのまま歩き続けている。
「はぁはぁはぁ……」
抗議の声を上げようとしたが、息切れしている俺は言葉を繋げられない。
「何よ、はぁはぁ言っちゃって。変質者みたい」
また、暴言を吐かれた。
俺は呼吸を整えるために、歩きながら深呼吸した。
五十メートルほど歩くと、心臓の鼓動は少し落ち着きを取り戻した。
感情のままに話すと怒鳴り声を上げそうだったので、俺は冷静になるように努めて話を切り出した。
「おい、さっきのアレは何だよ」
「さっきのって?」
「俺のことがタイプじゃないとか言ってただろ。アレだよ」
「そのままの意味よ。私、あなたみたいな非常識な男はタイプじゃないの。だからあなたみたいな男と付き合うのは無理。一生無理」
プチンと、頭の血管が一本切れた気がした。
非常識なのはお前の方だろうが!
叫び声を上げそうになる。
ふー。ふー。はー。はー。
ダメだ、落ち着け、俺。冷静になるんだ。
こんな人通りの多いところで怒鳴り声を上げてみろ。周囲の人たちには俺が悪者のように見えるはずだ。世の中は、そういう風にできている。怒鳴られている方が美少女なら、尚更。
「あのなあ、何をもって俺を非常識だと言ってるんだよ?」
「何、あなた、自分は常識がある人間だとでも思ってるの?」
「人並みにはあるぞ。少なくとも、初対面の女に非常識呼ばわれりされるほど、常識が欠落してる人間じゃない」
それまで一定のスピードで歩いていた女が、ぴたりと立ち止まった。
俺も釣られて立ち止まる。
「初対面ですって?」
「な、何だよ? 初対面だろ?」
それまで鋭い視線を向け続けていた女だったが、急に沈んだような目つきに変わった。
その表情のまま、口が開いたが、言葉が発せられることはなく、また険しい顔つきになって歩き出した。
何だ、今の反応は……。
初対面ですって? と言った時の表情を見るに、違うのか? 会ったことがある?
遠ざかっていく女の背中を見つめながら、記憶の箱を刺激してみる。
あの女と、以前どこかで会ったことがあるかどうか。
……いや、やはり初対面だと断言できる。
ここまで俺を侮辱した女を褒めるのは癇に障るが、あれだけの容姿端麗な女と一度でも会っていたら、絶対に忘れるはずがない。
女が歩いて行く先には、横断歩道があり、ちょうど信号機が点滅し始めたところだった。女は走り出すことなく、立ち止まった。
いかんいかん。逃がしてしまうところだった。俺は慌てて駆け出して、また女の隣に並んだ。
「おい、逃げるな。話はまだ終わってないぞ」
「逃げるだなんて、人聞きが悪いわね。駅に向かってるだけよ。ついてこないで」
「俺もそこの駅から電車に乗るんだよ」
「あっそ」
「あのなあ、お前なあ――」
「女に向かってお前とか、ほんと非常識ね。名前を呼び捨てにされた方がマシよ」
「初対面なんだから、名前なんてわかるわけないだろ。お前は俺の名前知ってるのかよ?」
「知らないけど、勘で当てる自信はあるわ」
「ほう。当ててみろよ。ちなみに、田中一郎じゃないぞ」
「つまんないわよ。――あなたの名前は、
俺は、マジで、もう本当に、キレた。
「断言する。絶対、お前の方が性格悪い」
「私がどれだけ性格が悪くても、あなたよりはマシよ」
「あー、もういい。とにかく、さっきのことを説明をしろよ。タイプじゃないとか、あなたとは付き合えないとか、何なんだよアレは」
「説明も何も、そのままの意味しかないわ。私は、あなたとは付き合わない」
「あのなあ、その言葉はなあ、告白してきた相手に対するお断りの言葉なんだよ。俺はお前に告白してないのに、おかしいだろうが」
「それが何か問題あるの?」
「問題大有りだろうが! 俺は告白してない女に振られたんだぞ! 凄いことだぞこれは!」
「おめでとう」
「そっちの凄いじゃないんだよ! いいか、よく聞けよ。告白してない女に振られた奴なんて、たぶん世界で俺だけだぞ。下手したら、歴史上でも俺ひとりしか経験してないことかもしれん」
「オンリーワンになれてよかったじゃない」
「そんなオンリーワンになんかなりたくねえよ」
信号が青に変わった。女と俺は再び歩き始める。
「理由を聞かせろよ」
「理由?」
「告白もしてない俺を振った理由だよ。どんなめちゃくちゃなものでも、当然理由があってこんなことしてるんだろ」
「ほんと、呆れる。言わなきゃわからないくらい鈍いのね。最低。あなたに話す必要なんかないわ」
女は「ふんっ」と言ってそっぽを向くと、足早に駅の構内に入って行く。俺は舌打ちして後に続いた。
――後編に続く――
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます