第10話

 ジョアンヌは、フンツェルマンが警官から取り戻してくれた剣を腰から下げる。そして、早速、二階のニコルの部屋が見通せる廊下の端に椅子を置き、そこで長時間座って様子をうかがったり、時折、庭を回って不審な者が入り込んでいないか確認していた。

 深夜も夜通し廊下や屋敷回りの見張りをして、午前中に睡眠をとるという生活が始まった。


 早朝、寝る前にメイドのジータが部屋にやって来て、街で服を買ってきてくれるという。メジャーで体のサイズを測られた。

 昼過ぎに目が覚めて、ジータと廊下で顔を合わせると、食事と新しい服を数着、手渡された。

 ジョアンヌは面倒だと思ったが、折角なので新しい服に着替えてみることにする。そして、部屋にあった姿見で自分の姿を確認する。

 ランタンスリーブにフリルトリム……。何だこの服は? 自分が女だから、こんな服を買って来たのか? 余計な気を利かせやがって……。これでは、少し動きにくいな。ジョアンヌは不満に思いながらも、諦めてその姿で二階の見張り場所の椅子に座る。

 メイドのルイーズが昼食をニコルの部屋まで運ぶために二階に上がって来た。

 ルイーズは手に昼食を載せたトレイを手にしたまま、ジョアンヌを見ると挨拶した。

「おはようございます」

「おはよう」

「とてもお似合いです」

 ルイーズはジョアンヌの服をみて言った。

「そうかい」

 ジョアンヌはぶっきらぼうに答えた。

 ルイーズがニコルの部屋に入り、昼食を置いて出て来る。ジョアンヌはそれを見送ってしばらく、腕を組んでじっとしていた。


 しばらくして、玄関の扉が開かれて大声がするのが聞こえた。

「誰か居ないか!」

 ジョアンヌは驚いて、剣の柄に手を掛けて立ち上がり、急いで階段を途中まで降りる。玄関の見えるあたりまで行くと、玄関の扉の前で、フンツェルマンと見知らぬ男が話をしていた。

 どうやら、男は知り合いのようなのでジョアンヌは安堵し、剣の柄から手を離した。念のため、フンツェルマンと男の会話を聞きながら様子をうかがうことにする。

「エレーヌは!?」

 大声で話す男は、二十歳代前半ぐらいで、切りそろえて整ったて茶色い髪に茶色い瞳。おそらく貴族なのだろう、見るからに良い服装を纏っていた。

 フンツェルマンはその男を落ち着かせるように静かに答えた。

「ご遺体は大聖堂に預けております」

「では、大聖堂まで行く!」

 男はそう叫んで、急いで玄関を出ようとする。

「私もお供いたします」

 フンツェルマンは男の後に続いて屋敷を去って行った。

 とりあえず、問題なさそうだとジョアンヌは二階に戻ろうとした時、その様子を一階で、メイドのジータが見ているのに気が付いた。

 ジョアンヌはジータに階段の途中から声を掛けた。

「あの男は知り合いかい?」

「ええ、エレーヌ様の婚約者のジャン=ポール・マルセル様です」

「あいつも貴族なのか?」

「そうです」

「なるほどね…」。そうつぶやくとジョアンヌは二階の廊下の椅子のところへ戻って行った。そして、座って見張りを続ける。


 エレーヌの婚約者ジャン=ポールはフンツェルマンの手紙を受け取ると、事情を話して交渉団から離れ、急いで街に戻ってきていた。街に戻ってすぐにアレオン家の屋敷を訪れた。彼は、エレーヌの遺体が大聖堂にあると聞くと、フンツェルマンと一緒に屋敷の前に待たせてあった自分の馬車に乗り込む。馬車は屋敷を後にして、街の中心部にある大聖堂まで進めた。

 二人は大聖堂に入り、大司教サレイユの許可を得て、彼と共にエレーヌの遺体が安置されている部屋までやって来た。

 遺体は服は脱がされて、一枚のシーツで覆われていた。サレイユが顔が見えるところまでシーツを下げる。身体や髪についていた大量の血は拭き取られており、その後エンバーミングされたようだった。肌は青白く、唇も紫色に変色している。フンツェルマンはエレーヌの遺体を見ているのはつらいことだった。

 ジャン=ポールは「なんということだ」と言う。

 しばらく、無言でエレーヌの顔を見つめている。そして、突然振り返った。

「犯人は?」

 その声には怒りが含まれていた。

「現在、警察が捜査中で、まだ捕まっておりません」

 フンツェルマンは言った。

「私が状況を聞きに行く!」

 ジャン=ポールはフンツェルマンの返事を待たず、部屋を早足で出て行く。

 フンツェルマンはサレイユに礼を言って、慌ててジャン=ポールの後を追った。


 ジャン=ポールとフンツェルマンがやって来たのは警察署。事件を担当するラバール警部に面会を求める。警察署のロビーで少し待たされると、ラバールがいつもの様によれたコートを着て現れた。

「あー。フンツェルマンさん」。ラバールは手を上げて挨拶をする。そして、隣に立っているジャン=ポールを見て言った「あなたは?」

「私は、ジャン=ポール・マルセル。エレーヌの婚約者だ」

「あー。あなたがマルセルさんですね。それで、今日は?」

「犯人はどうなっている!」

 ジャン=ポールは興奮した様子でラバールに詰め寄るように強い口調で言う。ラバールはそれに少々面食らった様子で答える。

「現在、警察を上げて捜査中ですよ」

「早く見つけないか!」

「ええ、全力でやっています。証拠品もありますから、それをもとに捜査しています」

「警察が見つけられないのなら、私が探す!」

「どうか、落ち着いてください」

「これが落ち着いていられるか!」

 ジャン=ポールはそう言い捨てると、くるりと身体を返して、その場から立ち去った。フンツェルマンは慌てて追いかける。しかし、ジャン=ポールは「これから、自分の屋敷に戻る」とだけ言い、馬車を出発させてしまった。

 取り残されたフンツェルマンに、ラバールが表に出てきて話しかける。

「婚約者を殺されてしまったので、彼の怒りは理解できます」

「ええ…。ジャン=ポール様が戻って来られたので、これから葬儀の準備を進めたいと思います」

「そうですか。犯人は必ず捕らえます」

 ラバールはそう言うと、警察署の中に戻ろうとする。しかし、振り返って確認するようにフンツェルマンに尋ねた。

「あー。そう言えば、用心棒をお雇いになったとか? 昨日、屋敷を警備していた者に聞きました」

「はい」

「どんな人物ですか?」

「元兵士です。“血のジョアンヌ”と呼ばれている人物です」

「へー。あの?! 敵を五十人斬ったっていう、あの?」

 ラバールは驚いて見せた。彼女のことが国民であれば大抵は知っているだろう。彼女の武勇伝は戦争中に新聞で大々的に宣伝されたことがあるからだ。

「そうです。本当は二十人だったそうですが」

「二十人でも大したもんだ」。ラバールはそう言って警察署に入ろうとする「では、また」

「ラバール警部、すみません」。フンツェルマンはラバールの背中から、申し訳なさそうに声を掛けた。「馬をお貸しいただけないでしょうか? ジャン=ポール様に置いて行かれましたので、屋敷に戻るには徒歩では深夜になってしまいます」

 ラバール警部は振り返って答えた。

「じゃあ、馬車を手配させますので、それをお使いください」

 そう言うと、彼は近くにいる者に伝えて、馬車を用意させた。

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