第8話
ラバール警部は屋敷を出ると、屋敷の前の通りで警察官たちに声を掛け、新しい手掛かりが見つかったかどうかを確認する。とりあえず今日いっぱいはこの付近を捜索するが、明日以降は警備役の者を残して別の任務にあたってもらうことにした。
ラバール警部は通りの端に待たせてあった警察の馬車に乗った。財産の台帳が入った大きな箱を隣の座席に置く。そして、馭者役の警官に合図して馬車を進めた。
街の中心部にある警察署に戻ると、自分の机まで戻り箱を上に置いた。
椅子に座ると「うーん」と唸ってから箱を開け、中に入っていた台帳等の資料を机の上に並べた。
そのうちの一冊を手に取ってざっと眺めてみる、結構な情報量だ。すべて読むには時間がかかるだろう。手に持った資料を一旦机に戻して、他の資料をパラパラとめくって確認する。すると銀行との取引記録を探し当てた。
その資料をめくって確認する。しばらく確認するが、直近では大きなお金の動きはない様子だった。金持ちにしては倹約している印象だ。動かしている金額から鑑みて、せいぜい日常的に使う物ぐらいだろう。それでもラバール警部のものと比べるとだいぶ大きな額だが。
記録を一部を見た程度だが、とりあえず不審な金の動きはないようだ。
ざっと見た銀行の取引履歴から、フンツェルマンが財産を横領している様子も見受けられない。横領がエレーヌにばれて隠ぺいのために殺害した、という線も無さそうだ。彼の父親がザーバーランド王国出身だが、それは偶然ということか。それに、わざわざ自分に疑いがかかるような凶器を使わないだろう。凶器がザーバーランド王国製だったということは、やはり犯人はザーバーランドの者なのだろうか?
あの国とは最近まで戦争状態であった。数年続いた戦争が終結し、現在は外交団が交渉の真っ最中だが、こちらの国内にスパイが残っていてもおかしくはないだろう。ただ、そうであってもスパイがエレーヌ・アレオンを殺害する理由がわからない。
アレオン家は名家と言っても、多くの貴族の中の一つ。エレーヌの両親も二年前に事故死。それ以降、レスクリム王国内での影響力は小さく、今回の事件が国に与える打撃は全くないと言ってもいいだろう。そう言う理由からも、ザーバーランド王国が、ただの十九歳の女性を殺害する理由が思い当たらなかった。
次に、エレーヌが引き継いだ遺産目当てで、ニコルが殺害を指示したという可能性も考えられたが、ニコルのあの悲しみようを間近で見たが、あれが演技とは到底思えなかった。
後考えられるのは、エレーヌに対する私怨か。ニコルの証言によると馬車を襲撃した犯人は明らかにエレーヌを狙っていたようだということだ。そうなると、エレーヌの交友関係を当たってみるほかない。明日、またフンツェルマンにそのあたりを聴取しようと考えた。
それにしても、凶器がザーバーランド製というのは、捜査を混乱させるための物だろうか?
ザーバーランド王国製の凶器が出たことで、少々厄介な問題も出てきた。外国が関わっている可能性があるということになれば、警察の捜査領域を超えたところでの事件となる場合もある。理由は分からずともスパイが関わっている可能性が少しでもあるのであれば、この件は国家保安局にもとりあえず通知しておく必要があり、それは警察署長に昨日のうちに伝えてあった。
ラバール警部はしばらく考えるも簡単には答えがでなさそうだった。エレーヌの殺害理由は、犯人を捕らえて自白させるしかないだろう。彼はニコルから聞いた犯人の特徴を伝え、街の中でも不審な人物がいたら捕らえる様に部下たちに指示を出した。
ラバール警部はしばらくは自分の席で先ほど聞いたニコルやフンツェルマンの話の内容について資料を書き上げていた。他にも溜まっていた書類があったので、その整理をしていると、突然聞きなれない声で名前を呼ばれた。
「すみません、ラバール警部ですか?」
「そうです」
ラバール警部は椅子に座ったまま顔を上げると、黒い服で身なりの整った背の高い男が前に立っていた。鋭い目つきのその人物は帽子を取ると挨拶をした。
「はじめまして。私は国家保安局二課のマチアス・バルバストルと言います」
そのバルバストルという男は黒髪を短く切って整えて、体つきはがっしりしており軍人ような雰囲気があった。
署長が昨日、凶器の件を国家保安局にすぐに伝えてあったので、さっそく動き出したか。
レスクリム王国の国家保安局は、大きく二つの組織に別れる。国外での諜報活動を行う組織一課と主に国内での外国のスパイや破壊活動を取り締まる二課がある。今回の場合、国内の潜伏しているスパイが関わっている可能性があるので二課が取り扱う案件となる。
「エレーヌ・アレオンの殺害の件ですね?」
ラバール警部は確認する。
「はい。現在の捜査の状況を教えていただきたい」
「殺害に使われた凶器以外は遺留品はありませんでしたが、エレーヌ様と一緒に馬車に乗っていたニコル様が犯人の特徴を覚えていました」
「教えていただけますか?」
「こちらです」
ラバール警部は先ほど書き上げたばかりの聴取した内容を書きとった資料をバルバストルに手渡した。
「なるほど。我々の方でも捜索をしてみます」
「そうですか」
「今、国境の街で外交団が交渉を続けており、両国間はまだ難しい状況にあります。この事件が場合によっては、その交渉にも影響が出る可能性もありますので慎重に捜査を進めたいと思っています」
「ええ。我々もそのように考えておりました」
「あとは、この事件を警察からこちらに完全に引き取る事もあるかもしれないと心に留め置いてください」
両国間で大きな問題になりそうな場合はそう言うこともあるだろうと、ラバール警部は考えてはいた。そうなると、自分たち警察は言う通りにするしかない。
「こちらの捜査でも分かったことがあれば情報を共有します」
「お願いします」
「では、今日のところはこの辺で失礼します」
そう言うと、バルバストルは帽子を被り、その場を去っていった。
彼が部屋を出て行くのを確認する。それにしても事件が思ったより大事になりそうだと、ラバール警部はため息をついた。
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