337.降伏後の処理が大変なのよ

 精霊達はリュシアンに、戦場の緊迫感を伝えた。突進した敵は、幻影を突き破って正面の援軍と睨み合う。けれど後退しようとした先に、回り込んだ敵影を確認。動けなくなったらしい。


 説明を聞きながら、私は駒を動かした。前に進んだダイヤを、回り込んだ両翼が背後から覆う。代わりに援軍を近づけた。


「エルフリーデがやられたら、終わりか」


「ええ。敵が死に物狂いで反撃する可能性は、ゼロじゃないの。でもね……まずあり得ないわ」


 情報を幾重にも重ね、不安の種を蒔いた。その状況でようやく動く指揮官は、かなり臆病で保身に長けているわ。そんな指揮官が、四方を囲まれたらどうすると思う? 笑顔で尋ねた私に、リュシアンは溜め息を吐いた。


「俺が知る臆病な奴なら、降伏するだろうな。それで生き残ってから、誰かのせいにする」


 まず死ぬ勇気がない。戦って突破する気迫が足りない。どちらも持っていたなら、追い込まれる状況に陥らないわ。善戦してお兄様に捕獲されるかしらね。


「あ、王子が動いた」


「外ではローゼンベルガー王子殿下と呼んで頂戴ね」


 リュシアンはぺろっと舌を出し、失敗したと笑う。お兄様は気にしないからいいけれど、周囲の貴族がうるさいのよね。リュシアンは猫を被るのがうまいから、そんな失敗はしないでしょう。弟のように見守るハイエルフは、こう見えて人たらしだもの。


「降伏勧告が出た」


 リュシアンは駒の位置を僅かに動かす。ツヴァンツィガーの援軍が、緩やかな弧を描く形に変わった。円形に包囲されたプロイセ軍は、密集隊形が崩れ始めたようね。ダイヤの形を広げて表現された。


「投降すれば戦いは終わりだな」


 安心した様子のリュシアンは、本当に子どもなのね。何も戦いを知らない。戦場に出ない私でさえ、ここまで学んだというのに。彼はまったくの素人発言だった。


「終わらないわよ。ここからが大変なんだもの」


 戦後処理は気を使う。逃げ出す兵士を統制して管理しなければ、周辺の地域で略奪を行う可能性が高かった。その理由が、各地から集められた兵であるという事実よ。


 この地区出身の兵士なら、地元を荒らすことはないし家に帰れば済む。けれど離れた地域から連れてこられた兵は、帰還するにしても食料や金銭が必要になるわ。


 目の前に美味しそうな豚がいるのに、狼に待てが通用するかしら。そう尋ねたら、リュシアンは顔色を変えた。


「それ以外にも、大人しく投降したフリをして反抗する敵もいるでしょうね」


「……降伏したなら、素直に捕まっとけよ」


 エルフはそういう生き物でも、人族は違う。笑顔で嘘を吐き、その背にナイフを隠し持つ。味方のフリをしながら、背後から襲うことも平気な種族だった。血生臭い歴史書を紐解けば、リュシアンも学ぶかも知れないわね。


 彼が無意識に避けた歴史書を読ませることを検討しながら、私は仕込んだ種の効果を話して聞かせた。


「だから、秘密兵器があると噂を流したのよ。こういう仕込みは、多いほど安心だもの」

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