331.これは手も足も出ないな

 一度例外を許せば、次もまた同じ手を使う。徐々に例外に対する抵抗や意識は低くなり、当たり前になるわ。だから例外は作らない。


 大切で大好きな兄が私を裏切るはずがない。そう答えそうになった喉を、ごくりと鳴らした。王太女として、甘い答えは口にできなかった。それに、自分の身内に甘い王なんて誰も支持しないもの。


「お兄様がアリッサム地方を手に入れても、私に反旗を翻すには条件が悪いわ……立ちなさい、テオドール」


 無言で従う彼に地図を示した。ペン置きをアリッサムの上へ移動させる。王国の文字を二重線で消した。現時点で、ペン置きは兄を示す。


「エルフリーデも一緒に裏切ったと仮定します。それでも……ここを塞いだら動きが取れないのよ」


 アリッサム国からツヴァンツィガー侯爵領を通らなければ、大規模な進軍は不可能だ。プロイセ国はシュトルンツと国境を接するが、間に山脈があった。クルム国やヴェーデルも同様だ。ヴェーデルだけは川沿いに街道が繋がっているが、そこを押さえられたら動きが止まる。


 ルピナス帝国はまだ軍事力も健在で、元将軍が皇帝を務める間は揺るがない。北へ回る選択肢はここで完全に潰せた。猫耳の皇女アンジェラの秘密を握り、宰相エンゲルブレヒト侯爵を通じて国内を把握する私に逆らう選択肢はない。


 南のアルストロメリア聖国は、国としての機能が崩壊寸前。突き崩すのは容易だが、進軍するだけの道が整備されていなかった。実際、ひどい悪路なのだ。森の中を突っ切ることになり、隊列は細く長くなる。補給や連携を断てば、一貫の終わりだった。これはヴェーゼルの街道と同じね。


 淡々と説明する間、テオドールはきちっと姿勢を正して聞いていた。その瞳はきらきらと輝き、何やら感激している様子。こんな説明なくても、とっくに理解していたんじゃないの?


「分かったかしら」


「はい、私ごときの懸念はブリュンヒルト殿下の手のひらの上。もう何も申し上げることはございません」


「……卑怯な手だけど、あなたにお兄様を暗殺させる方法もあるのよ?」


 だから安心しなさい。そう続けるつもりだったのに、扉がすごい勢いで内側に吹き飛んで跳ね返った。入ろうとした金髪の青年は、顔面で扉を受け止める。あれ、結構痛そうだわ。


「お兄様、ノックを忘れていてよ」


「ヒルト! 私がお前を攻撃するなど、あり得ないぞ! 心配なら両手足を切るといい」


「……達磨だるまになったお兄様に使い道があれば検討しますわ」


 はぁ……全部聞かれたようね。溜め息を吐いた私に、カールお兄様と同行したエルフリーデが笑う。彼女は私の推察に満足そうな表情だった。疑っていないと最初から理解している様子、それに比べてお兄様ったら。


 貴族相手ならきちんと裏を読むのに、どうして私の前ではこうも愚かになるのかしらね。


「……ヒルト、達磨とは何だ?」


「……こんな形をした人よ」


 地図の上のペン置きを拾い上げる。手足がなく丸い人、その意味が通じたようで、お兄様はからりと笑った。


「手も足も出ないな」


 何とも堪えきれない答えに、私もエレオノールも笑ってしまった。エルフリーデは堪えているが、後ろを向いて肩を振るわせているのでアウトよ。けろりとした顔でやり過ごしたのは、テオドール。侮れないわ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る