169.一石三鳥の案を採用するわ
貴族院も宰相も機能しない現在の帝国で、唯一の良心と呼んでも差し支えないのが騎士団長だった。その名をクリストフ・フォン・ヴァルター伯爵。男爵家の次男が騎士として名声を極め、一代でのしあがった。
まだ40代前半の彼は、茶の髪と瞳の地味な外見をしている。だが筋肉は立派だった。カールハインツの無駄な筋肉と違い、実戦で鍛えられた肉体は「鋼のよう」と表現するのが似合う。
届いたばかりの報告書にじっくり目を通し、左手でページを捲る。足首から膝にかけて、キスを降らせる執事を蹴飛ばした。ああ、この帝国にいる間は臨時大使だったわね。肩書きがどう変わろうと、この変態は同じだわ。
「テオドール、決めたわ。彼にします」
手配しなさいと命じる必要はない。跪いていたテオドールは身を起こし、きっちりと貴族らしい優雅な仕草で頭を下げた。
「お任せください」
皇帝は部屋に閉じ籠り、意味不明な言葉を吐いて誰かを罵っているとか。おそらく息子二人のことでしょうね。もしかしたら、私も含まれているかも。意味不明な錯乱男は放置しましょう。その間に手を打てるもの。
使い物にならない皇帝陛下を担ぐ貴族はいない。大国シュトルンツを敵に回したくないなら、私の提案を断れないはず。いいえ、断れない状況に追い込むのよ。他の選択肢をすべて奪った上で、決断を促すのが正しいわ。
「ブリュンヒルト様、私ならこう配置します」
エレオノールが、報告書の余白に文字を書き添える。新しい皇帝にクリストフを推す私へ、新しい提案を寄越した。否定せず、肯定しながら付け足す形で。そちらに目を通し、損得を計算する。大きなデメリットは見つからない。
「素敵ね」
宰相バルシュミューデ侯爵が好みそうな手だった。己の息子を王配として差し出し、代わりに孫カールハインツ兄様を引き取る。国に尽くす彼の手腕は、女王であるお母様も一目置いていた。その教えを受けたエレオノールは、優秀な教え子と聞いている。
騎士団長クリストフを皇帝に据える計画に、エレオノールは一石二鳥の案を載せた。クリスティーネの父であるエンゲルブレヒト侯爵を、ルピナス帝国の宰相とする。我が国に都合のいい人事であることは明白だが、それ以上に深い意味が含まれていた。
クリスティーネは私に与すると明言した。その意思をエンゲルブレヒト侯爵夫妻は支持している。我が国の侯爵位を与える約束をそのままに、侯爵を宰相に据えたら? 我が国の貴族が、この帝国の宰相として辣腕を振るう。事実上の属国だった。それでも皇帝は別の男を使う。ここが最大のポイントね。
エンゲルブレヒト侯爵は、数代前に皇女が降嫁していた。血筋で言えば、騎士団長より相応しい。けれど我が国の貴族が皇帝になることを、この国の貴族は認めないでしょう。ならば落とし所が必要になる。
今回の騒動で、唯一まともな応対をした男を皇帝に担ぐ。その御輿を支える土台に、侯爵が入れば……見た目は整うわ。実力も権威も血筋さえ兼ね備えた国内一の貴族が、新しい皇帝を宰相として支える。同時にシュトルンツの侯爵でもあるエンゲルブレヒトは、我が国の面子も守る形だった。
さらにエンゲルブレヒト侯爵への褒美にもなるかしら。それなら一石三鳥、皇族からの婚約破棄の賠償金として与えた土地も含め、体裁が整う。
あとは口先三寸、貴族院を丸め込めば終わりだった。現宰相が何を騒いでも、数の正義で黙らせる。貴族はね、自分の既得権益が脅かされないなら、簡単に昨日の友の首を売るのよ。
「任せるわ。それと……テオドールは昨日の後始末も忘れずに、ね」
「畏まりました」
あの男爵令嬢レオナを助ける選択肢はないの。悪役令嬢は有能で大好きだけど、ヒロイン属性は大嫌い。黒い油虫と同じで、1匹見つけたら災いを30は齎す害虫だわ。漏らさず駆除しないとね。
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