161.この瓶をご存じですか?

 片膝を突いて詫びたテオドールの肩書きは、臨時大使。この国に対する全権大使を担うのと同じね。なぜなら、正式に任命された大使であるハルツェン侯爵家のユリアがいるにも関わらず、王族の来訪に随行した臨時大使は立場が上になるから。何か問題が起きることを想定して、特別な権限を与えられた者。


 一時的な権限であれ、王族を守るためにその権限を振るうことに異議はない。すっと近づいたユリアも最高位の礼を捧げた。焦げ茶のポニーテールが揺れる。軍服や礼服に通じる機能美を誇る服は、男装と呼んで差し支えないが、彼女にとても似合っていた。


「ルピナス帝国大使、ハルツェン侯爵家ユリアにございます。臨時大使殿の手足にお使いください」


 有能な人って気が利くわ。ふふっと扇の陰で笑い、私は満足げに頷いた。何が起きるか、緊張した雰囲気が夜会を支配する。貴族達は固唾を呑んで見守った。


「では、お願いしようかしら。ごめんなさいね、エンゲルブレヒト侯爵令嬢。少しお時間を頂ける? 口説く前に片付けてしまいたいの」


「仰せのままに」


 クリスティーネはこの後起きる騒動を予想して、数歩後ろに下がった。


 すでにテオドールが希望する状況を理解しているようで、立ち上がったユリアの足は真っすぐに第一皇子へ向かう。弟皇子が失脚する姿を、にたにた笑いを浮かべ楽しんでいた彼は、ぎくりと肩を揺らした。どうして自分は無事だと思ったのかしら。


「つい先日、この宮殿内で無礼な輩に遭遇したのですが……その後不審な事件が続きました。調べさせたところ、ある人物が関与していたようです」


「ルピナス帝国第一皇子殿下、こちらへ」


 ユリアに促され、第一皇子ユルゲンは後退る。助けを求めるように周囲へ視線を走らせるが、シュトルンツ国を敵に回す馬鹿はいない。誰もが視線を逸らし、皇子を見捨てた。自国の皇子であろうと、最大規模を誇るシュトルンツを相手に庇うことは出来ない。


 卑怯だけど、賢明な判断ね。皇帝もこのくらいの気概があれば、皇家の存続も考えたのだけれど。正直、現在の大陸の地図でシュトルンツの敵になる国家はない。


 小さな属国や支配地域が広がるこの大陸で、もし我が国に睨まれたら国交も貿易も致命傷を受けるのだから。それでも小さな反乱の芽はいくつもあった。そんな輩を後ろで扇動し、隠れて支援してきたのがルピナス帝国だ。


 今回、帝国へ出向くと聞いた女王陛下は、かなりの外交情報を公開してくれた。その中には切り札になるカードもあり、言外に「ある程度叩いて来なさい」と命じられたも同然だ。重ねてテオドールの臨時大使の肩書き、ここまでお膳立てされたら手ぶらでは戻れなかった。


 お母様に「無能ね」なんて言われたら、羞恥で死ねるもの。


「い、いやだ」


 皇子とは思えない発言ですこと。ご自分の言動に責任を持っていただきたいわ。ぱちんと扇を鳴らしたのを合図に、テオドールが証拠品を示した。


「この瓶をご存じですか?」


「し、知らない。私は……痺れ薬なんて使ってない」


 ……やだ、自白しましたわ。え? 本当に? こんなに怯えてる理由も不明ですが、なぜ自分から薬の種類を口にするのかしら。馬鹿なの? いえ、確実に馬鹿なのだと思うけれど。ちょっとルピナス帝国に来てから、私の常識外の方が多過ぎて。


 平民からのし上がった男爵令嬢レオナは、日本人からの転移だから分かるけど。ヒロイン属性はたいてい頭がおかしいのも理解したわ。でもこの世界で育った攻略対象って、こんなに使えない奴ばかりなの? 断罪用の捨て駒みたいだわ。


「ああ、こちらは痺れ薬でしたか」


 にっこりと会話を続けるテオドールが怖い。動揺しないのね、あの子。整った顔に黒い感情を乗せて笑うの、やめなさいよ。皆様が怯えるじゃない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る