156.赤いシミと白い罠
「第二皇子アウグスト殿下に、ご挨拶申し上げます」
呼ばれたご令嬢が前に出る。凛とした百合のような女性ね。艶のある美しい黒髪と、澄んだ青空色の瞳。スタイルは抜群……過ぎて腹が立つわ。特に胸のあたり、何か詰め物してない?
「諸侯の前で、私は宣言する! エンゲルブレヒト侯爵令嬢との婚約を破棄し、ここにいるレオナと婚約する。私は運命の愛を見つけた!」
……断罪理由がないんだけど? 何してんの、原作が台無しじゃない。今のセリフでは、ただの浮気宣言だった。思わず素に戻りかけた私は、重い扇を広げて顔を半分隠す。危なかったわ。「はぁ?!」とか淑女らしからぬ反応を飲み込む。婚約者ではない女性の腰を抱いて、何を威張ってるのかしら。
「クリスティーネ様、いまならアウグスト様はお許しくださいます。私へのイジメを謝ってください」
あ、ヒロインが補った。ここでテオドールを促す。後少しよ。
第二皇子の言葉を聞いていた黒髪の侯爵令嬢は、にっこりと微笑んだ。その視線は皇子やヒロインではなく、後ろの玉座に向いている。そうよね、皇族の結婚を決めるのは皇帝陛下だもの。臣下として上司に確認するのは、大切なことだわ。
「それが皇帝陛下のご下命とあれば、私は従います」
お前なんか相手じゃないと言い切った。素敵過ぎる、絶対に欲しい。刺繍で重い裾を優雅に捌きながら、私はうっとりと彼女に見惚れた。
「貴様っ! 今は私が話しているのだぞ!!」
叫んだ皇子の手が、近くで立ちすくむ侍従のトレイからワイングラスを掴む。そのままの勢いでグラスごと投げた。
「きゃぁっ」
わざと声を上げてワインを被る。テオドールが私を庇う位置に立ったので、二人同時に赤ワインに濡れた。驚いたフリをした拍子に振り抜いた手から、白ワインの中身が飛び……狙い通りヒロインにかかる。今の腕の振り抜きは完璧だったわ。
彼のシャツや袖、私の白いドレスに赤が染みていく。グラスが飛んだ瞬間、エレオノールがクリスティーネの腕を引っ張ったので、後ろに数歩下がった彼女達は無事だった。
「な、なんてことを!」
「あの方はシュトルンツの王太女殿下だぞ?」
「国が滅びる……」
集まった大使が声を上げ、騒ぎは集められたルピナス帝国の貴族に広がっていく。慌てて駆け寄る侍従がワインを拭こうとする。だが、勝手に触れるわけにいかず、困惑顔で立ちすくんだ。王族や皇族に許可なく触れることは、処罰の対象だもの。当然よね。承知の上で、私は侍従に声をかけなかった。
拭いて良いと言われなければ、彼は動けない。その間にもドレスはワインのシミを広げた。この絹、艶を出すために加工をしたのよ。お陰で輝きは素晴らしいけれど、縦横に水をよく吸うの。飛んできたグラスは足下で割れていた。スカートに当たると思ったけど、テオドールの手が弾いたようね。衝撃が来なかったわ。
エンパイア風ドレスのスカートにかかった赤ワインは、ベルト近くまで染みていた。この辺が限界かしら。
「なんということだ。すぐにローゼンミュラー王太女殿下に着替えと部屋を用意しろ」
皇帝陛下の言葉に、私は首を傾げた。
「これは宣戦布告ですもの。受けて立ちますわ」
退場などしないと、胸を張って言い切る。この赤い飾りは、今夜の私の勲章になるのですもの。差し出口を挟まないで頂戴。
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