146.(幕間)悪夢の終わり
あっという間に、ミモザ国の中枢は占拠された。だが直接統治を行わない。それが王太女ブリュンヒルトの決断だった。シュトルンツ側はそれを是とし、文官と武官は粛々と己の役割を果たす。
我が国とはまったく違う。こうなったら、一矢報いて自害して果てるしかない。人前で獣化したことで、僕の名誉は地に落ちた。回復する手段は、国を占領者から解放することだけ。
王太女が油断するとしたら、事件が片付いた後で眠る時……いや、護衛が離れるのは風呂だ。やたら強い執事でも異性である以上、風呂まで同行しない。生まれてから暮らした王城内の見取り図は頭に入っていた。監禁された部屋から屋根裏に上がり、埃だらけの天井裏を移動する。
水音と湯気を感じて隙間から覗いた。人族の柔い肌が目に飛び込む。くんと鼻をひくつかせ、ターゲットに間違いがないと確かめた僕は、天井板を割って攻撃を仕掛けた。服も防御する配下もいない、ただの人族の女……狼獣人の牙や爪に敵うはずがない。叫ぶ前に首を噛み千切ってやる。
「はぁ、私の肌を見た代償は高くついてよ? テオ、使い道があるから、殺してはダメよ」
背中を向けたままの女から発せられた言葉、あと少しで白い背中を切り裂くはずの爪は床に食い込んだ。叩きつけられた全身が、ぎしりと痛みの音を奏でる。
「お嬢様のご命令通り、息はあります」
殺してないか尋ねられ、執事は黒い布で目を覆ったまま答えた。あり得ない。目隠しをした人族が、獣人の動きを止めた? それも圧倒的な実力差だ。主君の入浴中の肌を見ないため覆ったのだろう。それを可能にするだけの能力を誇る男は、容赦なく僕の目を抉る。
命じた女もおかしいが、受ける男もかなりヤバイ。ナイフを使わず、己の指先を突き立てる。走る激痛に目蓋を閉じることも出来ず、ぬるりと眼球が手に掴まれる生々しい感触に震えた。詫びたり嘆願する声も出ぬまま、悲鳴が喉を突く。
眼球の神経を繋いで外へ出されたことで、視界がぐるりと奇妙な回転をして……息が止まる激痛の後、視界は暗転した。何も見えない。目玉の神経は千切られたのか、それとも眼球が潰されたか。僕の意識はここで途絶えた。
国王である父も、婚約者だった姉も、誰も助けてくれない。王太子であっても不要、と貴族や国が僕の権利を放棄した。目が見えぬまま運ばれ、鼻をつく悪臭の薬を飲まされる。これで人生は終わるのだと、逆に安堵した。これ以上の辱めや痛みはご免だ。
「褒美よ、この子犬は去勢しておいたから……大切に飼いなさいね」
牢ではなく部屋で生かされ続けた僕は、王太女の言葉で誰かに引き渡された。閉じ込められた期間は長く、年数は覚えていない。だがその間、不思議なことに性欲は感じなかった。食事の匂いを嗅げば、食欲が。腹が満ちれば、睡眠欲が。それぞれに刺激されるだけ。
「ありがとうございます! ブリュンヒルト様」
僕の首輪に繋がるリードを掴むのは、姉エレオノールなのか? 匂いが違う。でも声は同じだった。首を傾げた僕の頭を撫でる指は、姉のような気がする。
「やっと手に入ったわ」
ふふっと笑う姉の声に、僕は素直に笑った。ああ、これで安心だ。飼い犬でいい、僕はもう痛みや苦しさを感じなくて済む。撫でる姉の表情は見えないけれど、その懐かしい手に頬を寄せた。幼い頃から僕を守った姉は、知らないハーブの匂いをさせて僕を抱き締める。
「姉上」
「ジェラルド、いい子にするのよ」
言い聞かせる声に、鼻を鳴らして僕は全身の力を抜いた。
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