143.(幕間)頼られるのが嬉しかった

 その日は偶然、何の予定もなかった。姉エレオノールは勉強があり、暇だから庭に出た。ただそれだけ。だが、それこそが予言の顕現に立ち会うきっかけとなった。


 庭に作られた噴水で、ばしゃんと派手な水音がした。鳥か獣でも飛び込んだか。そう考えて振り返った先、一人の少女が浅い池に落ちていた。どこから来たか、まったく予測が付かない。


 この庭に僕が来てから、他人の気配はなかった。狼獣人である僕の鼻に匂いを届けないとしたら、風下に立つしかないが……噴水の方角は風上だ。いたなら、すぐに気づけたはず。実際、今は匂いを感じているのだから。


 何より捕食者である狼は、気配に敏感だ。獲物を見つける能力は優れていた。なのに、突然現れた少女に釘付けになる。濡れた彼女は眉を寄せ、手を伸ばした。何か話しているが、言葉が通じない。聞いたことがない言語だった。


「何を言ってるんだろう。大丈夫ですか?」


 首を傾げて手を触れる。途端に少女は意味のある言葉を話し始めた。


「うわっ、言葉が分かる! すごぉい。え、その耳本物? 尻尾もあるじゃん。なんで?」


 一気に捲し立てる彼女の様子に、礼儀知らずと怒るより興味を持った。ミモザは獣人ばかり住む国で、人族は滅多に見かけない。それも僕に気づかれず、突然現れるなんて。


「どうやってこの庭へ?」


「ああ、落ちたのよ。意味わかんないでしょ? でもね、いきなりここにいたの」


「空から落ちた? では、あなたは予言の巫女ですね」


 初代の巫女が残した予言は、新たな巫女の出現だった。空から落ちてくる巫女は、黒髪黒瞳と伝えられる。初代巫女もそうだった。ならば同じ世界、同じ国から落ちてくるはず。この世界で黒髪は見つけられるが、黒瞳も揃っている民族はいない。


 少し考える仕草をした後、彼女はにっこり笑った。僕の手を握り、下から覗き込む。勝手に王族に触れることは、不敬罪の対象になる。この国なら当たり前のルールを、彼女は知らなかった。違う世界から来た巫女なら当然だ。


「そうよ」


「お名前を伺っても?」


 出来るだけ紳士的に対応する。僕を王族だからと特別視せず、普通に接してくれる少女が眩しかった。家族とは違う。黒髪と黒瞳は神秘的で、触れてみたい欲が生まれた。


「キョウコよ」


 聞いたことがない響きだ。


「あなたは?」


「キョウコ、素敵な名前ですね。僕はジェラルドです」


 肩書きをつけずに名乗った。予言の巫女であるキョウコは、僕のことを気に入ってくれたらしい。何かにつけて僕を頼るようになった。今までなら「自分のことも出来ない奴」とレッテルを貼って距離を置いただろう。しかし、相手がキョウコだというだけで、可愛らしいと感じた。


 僕を頼ってくれるのが嬉しい。他の誰かを頼らないよう、一緒にいる時間を増やした。彼女に嫌われないよう、嫌がる礼儀作法の教師を遠ざける。近くにいて僕の存在をアピールした。


 彼女は僕の耳や尻尾に触れる。その行為が、婚約者や家族にしか許されないと知らず。いや、教えても僕の尻尾に触れた。それは求愛と同じ。


 予言の巫女である以上、彼女は国の宝だ。姉エレオノールが何を言っても、聞く耳を持たなかった。僕は初めての恋に浮かれていたのだ。そう気づいたのは、シュトルンツからの貴賓へキョウコが無礼を働いた後だった。

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