113.心地よい香りに満たされて
夜会当日、お昼までに書類をすべて処理した私は、ほっと一息ついた。ぎりぎり間に合ったわ。お昼を食べたら、侍女達による怒涛の肌磨きと飾りつけが待っている。
「いつも思うのだけど、お手入れはしているのだから……無理に磨かなくてもいいんじゃないかしら」
シュトルンツでは、サウナに似た施設がある。そこで汗をかきながら、肌を丁寧に磨かれるのだ。香油を塗り込み、整えた肌は透き通るようと評判だった。効果は理解できるし、王侯貴族の嗜みなのも承知よ。ただ、今は無理なの。
肌磨きはマッサージがあるから、絶対に寝るわ。起きられる自信がなかった。早朝から書類と睨めっこした肩は凝ってるし、腰も痛い。ついでに目元もくすんでるでしょうね。それを優しく解されたら、即寝落ち確定だった。
「私どもを路頭に迷わせるおつもりですか」
「お願いいたします。磨かせてください」
侍女にしたら、職場放棄に等しいから必死ね。彼女らを困らせる気はないの。大人しく侍女の後ろを歩き始めた。この時点ですでに眠いのよ。欠伸を噛み殺した私は、空腹に気付く余裕もなかった。三大欲求と言うけれど、睡魔が一番強力ね。
「お嬢様、お食事が先です」
テオドールが慌てて引き留め、サンドウィッチに似た軽食を手渡した。あれよ、ほら。平べったいクレープに似たパンに具を挟むやつ。前世で見たんだけど、食べたのはこの世界に来てからだった。ピタだっけ? この世界ではパティと呼ばれる。
テオドールの国では、一般的に食べられていた。ハレムがあるくらいだから、毎日フルコースを想像したのよ。でも手軽な軽食が驚くべき発展を遂げていたらしく、忙しい商人が便利さに惹かれて各国へ持ち帰った。我が国にも根づいた文化で、貴族の中には、執務中に夜食で食べる人もいるとか。
シュトルンツは様々な国を飲み込んだ多民族国家で、新しい文化に抵抗がない。それどころかすぐに飛びつくわ。新しい文化として根付いたパティを受け取り、そのまま侍女達に押されて移動となった。歩きながら食べるのは行儀が悪すぎるので、マッサージ前に座っていただく。
当然のように後ろを付いてきて、お茶の支度を始めたテオドールだけど、食べ終わると追い出された。まあ、それが普通よね。それでも食事中は一緒にいられる辺り、いつの間にか浸食されてる気がした。彼って、侍女や出入りの商人に馴染むのが早いの。
外交官になったら、きっと敏腕だったんじゃないかしら。人の顔や名前もすぐ覚えるし、情報収集が得意で、顔や話術で人タラシ。あら、意外に使いでがありそうな人材だったわ。
寝転がってマッサージを受ける。ここ2日間の書類処理で凝った体は解れ、ラベンダーの香りが広がった。ベッドの匂い袋に使っている香りだから、自然と目蓋が落ちていく。条件反射に近い。深呼吸すると馴染んだ香りが胸に満ちて、さらに気持ちも解れた。
「王太女殿下、終わりましたらお声がけしますわ」
寝ても起こすから平気って意味ね。素直に受け取り、深呼吸して全身の力を抜いた。大変な書類処理は義務だけど、こういう特権もあるから王族って素敵。前世が庶民だったから、余計にそう思うわ。ふわふわした気持ちで、とりとめのない考えを続ける意識を手放した。
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