31.さっさと逃げてしまいましょう
なんとかリュシアンを引き留めようとするハイエルフ達も、この大陸最大の勢力であるシュトルンツ国の王太女から奪うことは出来ない。ましてや彼自身が、この国を見限っていた。
アルストロメリア聖国、古い歴史を誇るこの国の崩壊はここから始まる。「聖杯物語」でも、さらりと一行で国の滅亡が記されていた。精霊を留める聖杯が魔王の手に渡ったことで滅びる展開は、本物の聖杯は残るが精霊達が愛想を尽かすことで締め括られるのよ。
精霊達は、ふわふわとリュシアンの周りを漂っている。馬車は動いているのに、数は増え続けた。
この国が消えるまで数十年、その頃にはエルフ達の意識も変わっているだろう。人族に混ざり生きていく覚悟が出来る。その頃にまた会いましょう。
テオドールが纏めた荷物を積んだ馬車に乗り、私達はシュトルンツ国へ向けて走っていた。同じ馬車に乗ったのは、リュシアンとエルフリーデ。どこか楽しそうなテオドールだった。
「助けていただき、ありがとうございました」
「いいえ。テオドール、血糊が多かったんじゃない?」
濡らしたタオルを渡した彼に、ちくりと嫌味を向ける。テオドールが邪魔したせいで、魔王を逃してしまった。確かに血糊は予定外で驚いたし、効果抜群だったけど。溜め込んだ不満をぶつける。すると彼は種明かしを始めた。
「渡した偽の聖杯は、特殊な金属を混ぜています。後で追跡が可能ですよ。それに私に任せたのはお嬢様ではありませんか」
「偽聖杯作りは任せたけど、魔王を逃すなんて作戦と違うじゃない!!」
口論が始まった私達をよそに、エルフリーデは寛いでいる。何を言い合ったって、最後は正しく収まると知ってるからね。この短期間で培った信頼と思えば、なんだか擽ったい気がするわ。
「あの……聖杯の偽物はどうして」
演出用にテオドールが用意した血糊を拭ったリュシアンの手は、無傷だった。痛くないのに、拘束を解いたら血塗れなんて驚いたでしょうね。私もびっくりしたわ。ふふっと笑い、リュシアンに説明した。
「リュシアン、あなたが聖杯を魔王に渡すことを私は知っていた。だから偽物を用意させたのよ。全部で3つあるの」
先ほど回収したひとつは荷物に入れた。もうひとつは、魔王の手元に。そして最後のひとつは出番を待っている。
「あなたが国外追放されることも予測できたから、私の国に誘ったのよ。シュトルンツ国で恩返しして欲しいわ」
アルストロメリア聖国に3日間滞在したのは、本物を盗み出して偽物と交換するため。デザインを事前に知っていたら、簡単に作れるのよ。ただ私に絵心がないせいで、何度も作り直しさせちゃったけど。
本物は秘匿されて場所が分からない。それを探り出すのは、テオドールの役割だった。エルフリーデは別の役割がある。周囲のエルフ達に不和の種を蒔き芽吹かせること。ハイエルフ同士の諍いに「ああやっぱり」と予定調和を仕掛けるのが重要なの。
特殊な地位に就くハイエルフ達を恨めしく思うエルフは多い。そんな彼らは、リュシアンに濡れ衣を掛けたハイエルフを認めない。ましてや今後、精霊の助けを借りられないハイエルフは、その地位を追われるはず。
足止めされても面倒だから、事前に手を打った。リュシアンが外へ出ることを許容する風潮を作り上げるのが、エルフリーデの一番の仕事よ。それらの仕掛けは無事に動き、最良の結果を私にもたらした。
ただし、テオドールの魔王を逃した行為は別ね。後で追及してやるんだから!
「お嬢様、今夜は馬車の中でお過ごしください」
「仕方ないわね。さっさと逃げてしまいましょう」
アルストロメリア聖国を抜けるまで、馬車を止めずに走り抜ける。国境に着くのは夜更けだけど、砦には連絡のフクロウを飛ばした。到着したら明日はお昼過ぎまで寝るんだから。そう呟いて、あと数時間揺られる覚悟を決めた。
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