ドラゴン・ハート

中里悠太朗

少年ジョウ(前編)

 我々の地球とは遠く遥かのもう一つの地球、その世界で一番大きな大陸の真ん中には遥か高くそびえている山がある。


 その山は様々な名前で呼ばれていて、その山は名のある山であるから、遠くの国の者でも知っている。なぜなら古今東西の勇者が挑んできた山でもあり、しかし誰一人として頂を望むこと適わぬ未踏の地でもあるからだ。


 そんな頂は遥か宙へと届きそうで、山中には所々で大地から魔力が湧きだして渦巻いている。それが雨風や嵐や暴風雪とまじりあって、挑む者どもや只の獣ですらも引きつけない死を呼び寄せる山と化していた。それは神々の物語から始まり、今なおその威厳を失っていないのは、ただその土地が過酷を通り越した超絶の山麓ばかりではない。




 その山は────ドラゴンが住まう山だからだ。




 伝説は謳う。神秘を満たす山の頂に、七つの竜が空を支配して、虹を奏でて空を青くしていると。


 伝説は語る。遥か古より永遠に生き続け、蓄えた黄金と至宝は見上げるほどにあると。


 伝説は彩る。その山を登りて頂きの朝日を望む者に、永遠と富を約束すると。


 しかしそれらを確かめる術無く、そして登る者は数多に渡るもその頂を望む者は、今はもう誰もいなかった。

 ただ語る物を確かめる事叶わず、ただひたすらに命を散らしていき、そしてついにその山は誰も立ち入る事は、誰もいなくなって随分と久しくなった、その時代から始まる。






 ◇






 世界中の何処でも変わらない、新しい朝、新しい日がやってくる。


 この山で朝を知らせるのは、小気味いいラッパや重圧のある鐘の音色でも、鶏の甲高い鳴き声でもない。清々しき朝に全くもって似合わない轟きが聞こえて、どこかで雪崩が巻き起こった気もするが、それが確かに起床を告げる声音。


 そして往々にして目覚めは悪いのが、竜という生き物だ。

 白い竜の巨体から鈍い音が鳴り続け、ウンザリした顔をこっそりとそちらへ向けるのは、紫色の竜である。どいつもこいつも顔に生気が見当たらない有様だし、声音にも先ほどの吼えた声の様な迫力などない。


 それはそうかもしれない。というのも何しろ、もう何百、いや何千と朝日と夕日と、そして月光と明星を見ていたのだから。

 だから暫くして、各々方はその体を起こしたのだが──その表情、退屈を重ね続け垂れた顔というには少し違う様な、やや目元に影が出来たりしている。それが起きているという事は、つまり途轍もないトラブルとか、この山に天変地異が訪れたか────。


「よっ」


 そんな巨大な影を披露させている、元凶がどうやら現れたようだ。

 山肌から突き出ている氷や岩の影に紛れて、何者かが駆けていく音がする。岩を蹴った聞き心地の良いステップと、翻ったやや長めの後ろ髪。


「ほっ」


 寒さを守るにはやや心もとないマフラーのはためく影に、寒気を感じさせない頬がようやく岩陰から差した光に当てられて、その赤みがかったものを見せる。


「とぉっ!」


 そしてその姿現れて──朝日の中で、踊る様に跳んでいった。前垂れの様に長いもみあげは大きく跳ね、前髪の真ん中の分け目から飛び出している。三日月の様な弧を描く毛も、大きく風で揺れている。

 そんな元気取り柄の少年の影が、不機嫌なドラゴンの体を飛び越して、眼前に飛び込んだ。緑色のうろこに覆われた瞼が、遅々として開くと、黄金の瞳は気だるげな色すら見せている。


「……はぁぁぁ…………」


 呆れた様なため息が聞こえたか否かと言うところで、その寝そべっていた巨体が一際大きく揺れて、直ぐにその身を起き上がらせた。尤も朝から元気な声を張り上げるその子供にとっては、全く問題にしない事であった。


「おはよう! ローム爺ちゃん!」

「……おはよう、ジョウ」


 その幼げな顔を持つ者の名前は、ジョウ。

 ただので、今日で10の誕生日を迎える、ジョウである。






「キー! クー! おはよう!」

「ジョウニイチャンだ!」

「ほら早く背中乗って、おじさん怒るよ!」


 崖からわっと飛び出して背中に乗り移ると、即座に彼らも飛び立っていった。舌回らぬ話し振りはジョウより子供であるけど、その体は彼を乗せるには十分過ぎる。

 それでも慣れ親しんだ名前で呼び合い助け合っている。そう感じ取れる間柄なのは間違いない。


「ようボウズ」

「おはよう!」

「おう寝坊助!」

「朝から元気ね……」

「大事な用事に遅れちまうぞー!」


 顔合う竜達は彼よりも大きいが物怖じしないまま挨拶を交わして、彼の特に世話になっている──早朝にも迷惑をかけた、老いて萎びた龍の元へ向かう。

 足取りは軽く、顔は更に朗らかで。


「早く起きて何してるんじゃ……」

「朝のことはごめん。でも今日は誕生日で、街に連れてってくれるって」

「ああ、そうじゃったな。人の街を見せておかなければな」


 火山の火口のように空いた出入り口から光が差し込む中、彼の目の前には木の皮の様な硬いパンと、やや深い木皿に塩っ気が強いが不思議な風味も強い味のスープが湛えられている。だがなんともなさそうに少年ジョウは、それらを片付けるよう頂いていて。

 それを眺める慈しみを持った視線は、確かにその通りであると見ただけで感じられる。まさか気品も気位も異常に高い種族である彼らが、何も知らない少年とはいえそんな瞳を向けるとは。


「にしても……ジョウ。お前も随分と大きくなったな」

「そりゃあ、お爺ちゃんたちからすれば、あっという間だもん。10年だって」


 ぐっと飲みこんだスープで、固いパンを流し込む。まるで用事を急かすような恰好であるし、実際そのイベントを楽しみにしているから、いつもよりも早く起きてしまったのだと、彼は先程雄弁に語っていた。


「……そうでも、なかろうよ」

「そうなの? ……んまとにかく、とっとと用事は片づけよっ!」


 竜と言う種族は、文化的習慣と身体的影響により、何かをゼロから生み出す事は出来ない。彼等がどうして金銀財宝を収集するのだという意味があるのか、そこから影響されていると言えるわけだ──さながら羨望だ。昨今では化けてまで取引をする事とは。


 その日もそれを済ませて、横から吹き付ける風に煽られながら、横殴りの雨の中にある街を駆け抜けていく、そんな夜も深まっていた頃。助けを求めるような泣き声と、棄てられたとは思えない立派な揺り篭を、その人間に化けた竜は通りすがりに見てしまったのだ。


 同情か哀れみか、それともただ興味だけを持ったか。しかしその小さな命を宿す体を濡れないように抱きしめて、住処の山へと連れて帰って、今までたくさんの苦労を重ねて彼を育てあげたのは確かであった。


「楽しみだな、人の街ってとこ……」


 そして今日、竜に育てられた少年は新たな旅立ちを、そして別れの旅立ちに向けての第一歩を迎える。

 山を離れて、つまり竜の世界から人の世界に帰る為の、前準備の時を迎えたのだ。

 そして彼が約束を果たしに行く日も、また近付いた。ジョウはその楽し気な表情と視線に、僅かに憂いにも似た感情を無意識に混ぜていた。


 ともかく何をするにも朝飯を済ませてから。歯で引きちぎった茶色のパンを流し込むスープも皿には無いため、そのまま頑張って噛んでいるジョウの様子は、どこからどう見ても慌てているようであった。








 ◇








 ここは『クン・ベル』。


 陽の照りつけは春先に関わらず厳しいここは、今日は随分賑やかな彩りを見せていた。


 通りの飾りはガラスで出来ていてとても綺麗。赤土の合間に生まれた街の、山におわす神様に捧げる踊りと豊穣の儀式。まだ陽も高く賑わいは大一番を見せつけている。

 遠くから来た行商人興行師の人々は地元に根付いた者達とまじりあって、この日だけは人々の坩堝となっていたがその時は誰も彼もが楽しみにしていた時であるから、強いて言えば酔った勢いで諍いは起こるものの御名中良さそうである。

 しかしこんな喜ばしい日に付き物なのは、焼けた肌のまだ幼い子供なんかは、母親と逸れてしまってなんて事も。


「うっ……うええっ……」


 その子の父は言っていた、男は簡単に泣いてはいけないと。だがママと呼ぶ声は青空と喧騒の中に掻き消えていくだけで、増すばかりは泣き崩れそうな声。

 しかし幼いと言い切れるくらいには小さな、まだ5歳くらいに見える男児はどうしても心細い。誰も助けに来ることなんてない。声も聴こえず、人波にただその身を任せる他はないのだろうかと──。




「大丈夫っ?」




 優しい声が降り注いでくれば、泣きそうなその瞳をこすって幼い顔が空を見る。太陽を覆い隠すような影は、やや解けて柔らかな髪の毛。勿論その影になっている顔が、泣いている男児の視線に合わせてしゃがんで微笑んでいる、その表情をはっきり映し出しても、男児にとって知らない顔だ。


「……あ……」


 その行為が不安げにさせるかと思うがそうはならなかった。

 そも一人でいる事自体が彼自身を不安と混乱に陥らせていた。だから優しく大丈夫かと話しかけられてもらうだけで、驚いたようにかの顔を涙ぐんだやや赤い顔で見る。


「父ちゃん母ちゃんとはぐれちゃったのか」

「……」

「うーん……よし」


 そんな男児が見る少年は、懐からおもむろに様々なものを取り出してくる。それは様々な色とりどりのボールを、その中には竜たちが与えてくれた──元来は投げて遊ぶものではない物もあったが、それらを一斉にヒョイと空に向って放り投げる。

 よっ、ほっ、という掛け声に合わせてくるくる回りだすボールたち、衆目を集めるほどに綺麗な弧を描く素晴らしいジャグリングを披露してやれば、その少年も夢中になってすっかり泣き止んでしまえば、面倒を見た少年はその頭を撫でてやった。


「僕たち……心細くてしょうがなくても、君の母さんたちはちゃんと探してる。そんな時泣いてちゃマズいんだ」

「そう……なの?」

「そう! それに今日はお祭りだし。ちゃんと楽しまなくっちゃ」


 いい笑顔を見せてから肩を少し叩くと、その子供は袖で涙を拭って少し微笑んだ。しかしそんな時、衆目を集めたのが功を奏したのか、その群衆の中から子供の名前を呼んで現れた女性の姿が。


「ミン、ミン! もうどこ行ってたの、心配かけて……」


 すぐに男児を抱きしめると、怒っている言葉を投げかけながらも、しっかりとその頭を撫でて慰めるような仕草を見せる。その光景を見て、少年はホッと一安心しながらも、少しだけ寂しさを蓄えた瞳を無自覚に浮かばせて。

 その親子をじっと眺めていると、その視線に気が付いた男児の母親が頭を下げる。


「どうもすみません、うちの子が」

「あ、いやぁ! 大丈夫だよ全然……。いやそれにしても……ミン、だっけ? 見つかってよかったじゃないか」

「ほら、ミン。あなたもお礼言いなさい」

「うん! お兄ちゃんありがと!」


 すっかり元気を取り戻した男児は、随分はきはきとお礼を言ったもので。その言葉に少年はやや照れ臭い反応を見せて、どういたしましてと素直に返すことなく手で答えると、遠くで誰かが彼を呼ぶ声を一瞬聞き取って、しまったという表情をあからさまに浮かばせてから、慌てて背中を向けて走り出した。

 しかしその後、彼は一瞬立ち止まるような仕草を見せて、慌てたように言葉を投げかける。


「お祭り日和だから、ほどほどに楽しもっ!」


 そう言い残して群衆を割って駆け抜けた少年──ジョウの後姿、その光景を男児は母の手をしっかりと握りしめながら、人に紛れて見えなくなるまでジッと見つめていたのだった。








 祭りという環境で浮かれているのは解っている老骨の男が、しかしそれを余分に諫める事はしなかった。もしそれが褒められたものでないならば、首根っこを掴んでもジョウを止めただろう。

 しかしあのくらい、寧ろ何もしない方が咎められるだろうから。逸れていったことは小言の様にぼやいたが、その原因についてはそこまで触れる事は無かった。


「して全く。どこへ行くのかと思えば、そんな事」

「でもたった一人、泣いていた! 僕より小さいのに、どうすりゃいいのか知らないや」

「それはそうじゃがな……」

「それは、あんまり目立つのはマズいのはわかったけどさっ」


 トボトボと歩く二人の影はまさに人目を避けるようであった。特に大きな影の、つまり化けている方は不審者と間違えられても仕方がない。

 しかしそうする打の理由があるのは、先に少年も理解した通り。その原因をはっきりと表している街に飾られている色とりどりのシルエットを、ジョウはよそ見を向けて歩いていく。


(神様って言って、そういやお爺ちゃんたちも色々言われてるもんな。凄いや……)


 そう思う少年は、買ってもらった串焼き料理の入った袋を、大事に懐にしまい直す。その包装には豊穣を願って祀られている神様の、つまりドラゴンの意匠が描かれているのを目にしながら。






 ◇






 しかして山では、何者かの影がうごめいていた。


 それも一人や二人だけではない。フードを被った影が何十と、もしかしたら百を超すかもしれないその群体は、山肌にいくつかに分かれてへばりつき、或いは何かから潜むようにしていた。かの者は果たして、何者であろうか。


 それはこの世界中の者すべてに問いただそうとも、全く答えられない存在であること。


 そして二つ灯った眩い光が、まるで目であるようだった。








 ◇








 陽は沈み夜も更けていけば、祭りの賑わいは最高潮に達していく。火を湛えて天に祈る儀式は大一番、彩られる街の大賑わいは語るに値する。

 ところがその街の何処を見渡しても、彼ら老獪と少年は影も形も無かった。


 実は彼等は太陽がとっぷりと暮れるまでに、山に帰らなくてはならなかったからだ。

 それは山の気候が急変する前に、という意味でもあり、何より原始的な生活において陽の明かりこそ絶対なのだ。


「もうちょっといたかったけどなぁ」

「何、またいつかくればよい」


 なんとなしに放たれた言葉ではあったが、ジョウは少しだけ寂しさを覚えて。


「……また、いつかね」


 僅かに悲しそうな顔を浮かべながら、そっと短く返した。すぐ風の中に掻き消えて、返事は届くことは無かった。

 この世界とも、間違いなく暫くは別れてしまうのだなとなると、思わない事は無い。


 そこから繋げて、或いは切り替えるように、自分の将来の事について喋ろうとするジョウ。

 首を何度か降って、背中越しから声を掛ける。


「────それでさ!」

「待て、ジョウ……」

「ん? んん!?」


 ところが突然、低い唸り声を出しながら飛ぶ速度を上げたローム、ジョウは思い切りしがみついてしまった。

 怒られるかもしれないと覚悟したが、そもそも自分に意識が向いていないように思えて、彼も竜と同じく前を向いてみれば────。




 暗闇に、赤い色が灯っていた。




「────爺ちゃん!」

「言われずともぉっ……!?」


 咄嗟に異常を覚った二人は真剣な表情で構えて、ジョウは更にしがみつく腕に力を籠め、ロームは限界まで速度を上げ続ける。


 雲が浮かぶ空の遥か上、やがて空を切り裂く一つの小さな矢となる竜の影。

 あの速度ならあっという間に辿り着く────はずが、突如狼狽えたように突然止まってしまい、突如彼らの目の前に波打つ光線が過ぎっていく。


「うわあちちちっ!」

「何じゃこれは!? 魔法、いやっ!?」


 ジョウの盾になる様に退いた老竜、一方でこの熱は一体なんであるか探ろうとし、瞬時にその光が魔法などではない事を見抜いていた。

 そして────明らかにこちらに向けて放たれた攻撃であろうことも。


「あっ、もう一回来る!」

「ジョウっ、しっかり捕まれい!」


 錐もみ回転で回避する老獪の竜と言われた通りに必死にしがみつく少年。


 各々がすれ違いざまに、暗闇から来る攻撃の手を見切った。

 そしてその攻撃が先ほどよりも激しくなっている事も、そこから間違いなくこちらを何かが狙っている事も。


 一体何者が狙っているか、それすらわからないまま一方的にやられている以上、このまま上空にいるのは非常にマズい。

 オマケに背中にはジョウもしがみついている。


 幸いにも既に人里離れた山の領域である。

 このままジョウを降ろす事にもさしたる問題はない。

 息衝く暇ない攻撃が、思考すら奪いに来る狙撃が、山に向おうとしていた彼らに何度も飛んでこなければの話だが。


「すまんジョウ! まだ耐えてくれいっ!」

「そんなの! わ・か・っ・て・らぁぁぁぁぁぁっ!!」


 最早覚悟を決めるほかはない。少年も股間を引き締めて縮む肝っ玉をこらえて、空中戦へと備え始める。

 しかし彼らはもっぱら回避するだけしかする事がない。攻撃の手がさらに激しくなる一方、先程の緑の光線に加えて青い光弾までこっちに飛んでくる。


「棒が飛んできたぁっ!」


 次いで迫ってくる攻撃は竜にも少年にも見切れるものであったが、その攻撃方法というのにピンときたのが智識と知恵を持つ竜だけであった。


 火を噴いて飛んでくる飛び道具。それは少し東端に位置する大陸の国が、昔戦争に使っていた戦略兵器にひどく似ているものであった。

 そしてそれは今でも研究されている物でもあったからこそ、それにふさわしい言葉をすぐに吐いた。


火箭かせん!」

「何、なんて?!」

「石火矢じゃ! 我々を模した武器!」


 空中機動を見せつけながら火砲を潜り抜けて勇ましく進む竜の、その悪い癖が働き始めようとしている。六本の真っすぐ進んでくるロケットを簡単に回避していたが。

 あっという間に見送る事が出来た余裕が油断を呼び、ますます謎に惑わされ盲目となる。


「しかし何故っ? どこにもここまで真っすぐに飛ぶ代物は出来ておらん筈だから、今は──」

「爺ちゃん、爺ちゃん! 前を見て!」


 だからよそ見して飛んでいると、あっという間に発射源へとたどり着いてしまう。


 そのシルエットは夕暮れではっきりと見えなかったが、輪郭から察するに少年の乗っている竜とさほど変わらない程巨大である事は解る。

 そして竜や鳥の様な翼も無いのに、空を飛んでいるという相手。


 慌てて竜の体は頭を下げてくぐるように避けると、恐らく接触を恐れたシルエットも急速に上昇していった。すれ違いざま、少年はそれを真上に見上げながら呟く。


(目が……光ってる! 一つ二つ……いくつあるんだ!?)

「ぬおっ!」


 急加速して太陽の沈む先へと飛んでいったかと思えば、その飛行物体は急反転して今度は彼らに迫ってくる。しかも太陽を背中にしているので、夕暮れとはいえ光の中に隠れてしまう。


「ま、眩しっ!?」

「何ぃっ!」


 間違いなく、竜相手に無謀な格闘戦を仕掛けようとして来ているのだ、手足も無いように見えるはずの格闘戦、すなわち体当たりを仕掛けてこようとして来ている。


(うわうわうわっ、こっち来た!!)

「マズイ!」


 しかしそれがどれだけ効果的な攻撃だったかを衝突直前に知ることになる。

 背中のジョウが必死にしがみつく中で、凄まじい衝撃を与えてしまえば、果たして人間には数千メートルの高高度降下など、その身一つで耐えられるはずもない────。








 ◇








 山肌に傷痕が刻まれていた。

 痛ましいも。


 その地に飛び交うのは箱型の機械、そして銃を握った機械人形の群れ。

 他の者はどこにもいない、そう、いない。


 見下すことも無く、おおよそ2メートル強もの背丈もある、銀色に照らされている人形の顔面は特徴的。

 目も口も鼻も無い顔に、大きなレンズが真ん中に一つあるのみ。

 緑に光るのレンズの向こう側にせわしくカメラが動いている様子は文字通り一つ目の怪物。


 そして隣に飛ぶ箱には戦闘能力どころか視認するカメラの孔すら見受けられない。

 しかしそこに平然といるという事は、何かの能力を備えているという事だろう、恐らくだが。


 そんなあれらを全く恐ろしいと言えるのは、姿格好だけで判断したのではない。

 炎と魔術を巧みに操る竜の偉大な力が成す術無しという事実があっての事。その力があって尚一体何をしにこの地へ降り立ったのか。


 すべては、未だ謎のままである。









「……よしこっちだよ、ローム爺ちゃん!」

「待つんじゃ、全く!」

「うっ……静かにしないとマズイよ! でも……」


 岩陰を縫って潜む少年と竜、見た通り無事に辿り着いた。


 竜には両拳に打撲跡が付いているが、それは急速接近してきた謎の飛行物体に対し、全力で拳を振るったためである。見事飛行物体は一撃で地面に真っ逆さまの運命を辿っていった。


 さてそんな困難を乗り越えた這う這うの体で、彼らは山を覆う異常なほどに分厚い警戒網を何とか潜り抜けて、ようやく住処の入り口付近へへばりついていた。


「やっぱ姉ちゃんも兄ちゃんも、どっかに行っちゃったんだ! もしかしたら……捕まってるかもしれないのに!」

「……お前の言う事は確かじゃ。だがあのヒトガタ、何をしに来たのかすらわからん」

「そんな事、分かってるけど……お宝だってっ!?」


 突然山を揺るがした衝撃と爆音に言葉をせき止められた少年は、咄嗟に入口に顔を出してよく目を凝らしてみようとするが、一気に吹き上げた煙と熱でやられてのけぞった。

 一瞬で炭にまみれた少年は参ってしまい、口に入った土のような何かをなんとか吐き出しながら文句を言い出す。


「うあっ、魔法──じゃない! 何だよこれ!?」

「……」

「何か匂うし、というか臭い……なんだこれっ? ねえ爺ちゃ……」


 ジョウは魔法でも何でもない爆発現象に、興味を持ちつつ怪訝な顔を浮かばせて振り向いた先にあったのは、あまりにも差し迫った表情の老いた竜の顔。

 その態度に言い淀むどころか言葉を閊えさせ、そしてまさかとも余計な事を考え始めてしまうジョウ。

 そんな彼の肩に触れ真っすぐ見つめ直すと、老竜は即座に言いつけ始めた。




「いいかのジョウ、お前はここで待つんじゃ」




「爺ちゃん……どう────」


 それを聞いたジョウは表情を僅かにこわばらせる、だがそれを気にも留めないように、老竜は言葉を続けていて。

 少年は突如として不安に駆られた。真摯な顔をして、事情も説明しない竜がいるだけで、益々その気が強くなっていく。


「絶対に動いてはならんぞ、特にこいつらがのさばっている間は……そして奴らが去っていくか、或いはもしもがあった時には……ここを少し降りて、左の行き止まりのように見せかけた岩の先にまた洞穴がある。

「いきなり、なに言い出して……!?」

「そこにもう少し大きくなった時、お前に託すつもりだった物を隠しておる」


 しわがれた声が威勢を発するとともに、ついに少年の手が不意に伸びて、肩にある手を力強く握って不安を伝える。

 対して竜の大きな三本指の手は、優しくそして非情を込めた沈黙を返す。


 ジョウは解ってしまった。なぜ突然にして、悪いことなどもしていないはずなのに、自分に向けて厳しい目をするのか。

 不安に感じたジョウは、すぐに泣き出しそうな目で彼に訴え始める。右手を伸ばしていかないでほしいと、言葉にならない思いを伝えようとする。


 老竜も応えて握り返したが、感情のまま握りしめるというよりも、何かを託すようにその手を重ねる。

 続く言葉は、遠回しというにはもっとストレートな表現で、正しく己の運命を悟ったような話をし始めた。


「お前は、ジョウは、儂らの立派な子じゃ。だから、生き延びなければならん」

「そんな、行っちゃうなんて!!」

「儂はとても残酷な事をしている。しかしお前も解っておるはずじゃ、あの敵は……尋常なる者どもではない」

「…………」

「たった一人の息子の、無謀など見ておけん。これは儂が、親としても、竜としても……なさなければならない事なのだ。だからどんなことがあっても、お前だけは生き延びなければならんのじゃぞ……!」


 ジョウはそれだけを聞き入れて、名残惜しく震える右手をゆっくりと離した。そしてただ行かせるしかないのかと、腑に落ちる事も無く。


「だぁっ!」

「あっ……」


 結局少年が何かを言い出す前のあっという間に、渦中に飛び込んでいく竜の雄姿。思わずジョウは手を伸ばして────。


「爺、ちゃん……」


 だが疾く消えてしまった影に届く筈も無く、惜しむように拳を作って暗闇を眺めて、泣き出しそうな顔を作るしかなかった。

 戦いに行く古強者の背中を、眺めるしかなかった。


 勿論ジョウは咄嗟にその暗闇の中に飛び降りようとした。

 彼自身何度も行き来している洞穴の入り口、高さは相当あると言えど岩を伝って何度も行き来した出入り口に、足を掛ける事は簡単な話のはずだった。


「う……」


 だが彼の身体も脚も、すっかり竦んで動かなくなってしまった。

 表情はこわばってしまっているし、何よりその孔すら恐ろしいものと感じてしまっている。彼はこんなことになって更に動揺が強くなり、段々と震えも強くなる自分の腕を交互に見た。


「なんで……」


 そう呟いてただただ穴倉を眺める眉尻を下げた表情に、突如激突する戦いの余波で生まれた熱風。

 もんどりうってこけた少年は、斜面に沿って何度か転がった後に、岩にぶつかって尻餅をついてしまう。


「うわぁっ!」


 彼は周囲の状況も忘れて叫んでしまった後に、痛みに悶えるもようやく状況を思い出したジョウはすっかり塞いでしまい。

 仕方のないことではあるが、頭に過る数々のストレスで、視界はぐらつき気が動転してしまっていた。


 そして走馬灯のように過る様々な出来事、それから起因する心を脆くする感情。


 この山に突如現れた敵の事。

 ロームが突如必死になった事。

 突如一人になってしまった事。

 全てが突然流転する、急転直下の様相を見せる。


 10になったばかりの少年にとって、これから何をするべきかという未知への恐怖。

 そして一体自分に何ができるのだろうという不安。

 最後に何もできないまま、ここを離れなければならないという悔恨。

 特に最後の想いが、何故か彼にとって途轍もなく重く感じられて。


 助けてくれと叫びたくなって。

 教えてくれと頼みたくなって。

 ジョウは────泣き出してしまった。


 静かにだがその涙を止める素振りすらなく、置いて行かないでと感情を発露した言葉を並べて、とうとうその場でうずくまって心を塞いでしまう。

 そんな彼に気にかける事も無く黒煙は黙々と上がり続けていて、また火山の噴火のように火の粉と一緒に一段と大きな爆発が起きれば。


 その時ジョウの頬をヒラヒラと掠めて飛んでいく、火の粉というには大きく煤けた薄っぺらい何か。彼の足元に落ちてきたのを、また熱風に飛ばされる前にそっと右手で拾い上げる。


「あ…………」


 鼻水を未だに啜る鼻を抑えて、何とか泣き止んだ腫れぼったい眼で、辛うじて焦げていない所を見つめてやれば。

 ジョウにとっては見慣れた模様だったから、それが元々何なのかを知る──或いは、知ってしまう。


「これ……!?」


 その風にあおられて飛んできた燃えさしの正体とは、竜の焦げた鱗の一部である。予想するまでも無く、酷い目に遭った竜の辛うじて残った一部分。

 一体何をされたのかは、自分も似たような目に遭ったジョウからしてみれば、想像するに容易くて。


(……こんな、何でそんなに、酷い事が出来るんだ)


 さらに嫌な予感ばかりと、乗じて哀しみを抱きしめて。そしてだんだんと湧き上がってくる怒りに自らを流されそうになれば。

 ふと彼は何を思うか、泣くわけでもなく瞳を静かに閉じていく。


(ムーラおばさん、姉ちゃん兄ちゃん、キーにクーも……皆、ごめん……)


 ふと両手を握りしめて祈りだす。それはせめて彼らの痛みがほんの少しでも和らぐように、彼等に安らぎがある様に願う祈りをジョウは捧げていた。

 そう言った所作を誰からも習っていないはずの、その恰好を続けていれば──ジョウの心の中にある、黒靄に似た感情がだんだんと燃え盛る。


 怒りに溢れる心、哀しみを抱く心。それらが全て変わって行く。

 ────決意。

 ここから逃げる事を否定して、では自分がこれから何をするべきかではなく、一体何がしたいのか。


 その時にはもう彼は立ち上がって、火山の噴火のように立ち上る洞穴の入口へと歩いていた。己の心に従って、ゆっくりとそして大股に歩いて行った。


 やがて縁に足をかけて、洞穴に通ずる魔法の入り口を覗く。

 熱と火の粉で彩られた戦いの余波が顔に当たり、髪や眉毛が焦げていく感覚。戦いの音は全く聞きとる事は出来ないが、ジョウの顔にも映える赤い色が消えないうちは、まだ間に合うはずだろう。


「ゴメン、爺ちゃん」


 やがてさらに大きく踏み出したジョウは、黒と赤に輝く瞳を、決意に燃えた瞳を閉じる事も無く。




 ────その身を暗闇の、闘いの渦中に投げ出した!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る