スェリサァリ王国ものがたり

玉野とよ

第1話 こびとの長い一日

 夜空に浮かぶ月は日ごとに形を変え、今日は完全に姿を隠しています。

 しかし、生まれたばかりで形ない月であっても、息吹はあるのです。

 音の響きかた、水を揺らす波紋によって、かの者たちは月がどの位置にあるか、容易に見つけ出すことでしょう。


 ここはスェリサァリ王国。


 人間の言葉では別の国名が割り当てられているようですが、ここでは割愛しましょう。忘れられた小さな島国です。


 忘れられるとはわりあい都合の良いことです。

 かつては侵略者が国を征服しにきたこともありますが、辿りつくのに相当な労力がかかるわりに、実りの少ない土地だったので、侵略者はがっかりして帰っていくのです。


 いま国を侵そうとするものたちは、湿地帯から年々広がっているコケくらいのもので、大抵の生き物たちにはうれしい侵略です。


 王国は、人よりも家畜が多く、そして、家畜よりも多い生き物がいました。


 ふだんは真っ暗闇の中で生きるかれらですが、今日は特別なルーペを使って、ほんのひと時、かれらの生活をのぞいてみることにいたしましょう…




 王国の中心には荒れ地がありました。

 気の遠くなるほど昔に噴火があり、つい300年前頃からやっとシラカバのたぐいが生え始めた、やせた土地です。


 火口はとても大きく、未だにところどころ煙をあげています。灰色のその岩かべに、ちろり、ちろりと赤く光るものが登ってきました。


 火トカゲです。


 虹色の炎のようにきらめきながら、星のようなスピードで火口を這い、あっという間に荒れ地におり立ちました。

 そして、木の下めがけて進みます。荒れ地にぽつんと生えた、シラカバの木のもとへ。


 シラカバには「シラカバ亭」と書かれた看板がかかっており、木の下には、こびとがいました。


 こびとはカウンター越しに火トカゲの姿をみとめると、幹に備え付けたレバーを引き、木のジョッキに樹液を注ぎ込みます。


「よう。ハリエニシダの。今日はもうあがりかい?鍛冶こびとのお客1号だな」


 シラカバ亭の主人がトカゲの前にジョッキを置くと、トカゲは割れた舌で樹液をなめました。

 すると、トカゲはみるみるうちにこびとの姿になります。おひげをはやした、おじいさん姿のこびとです。


「しかしだんなは実にいいとこにきた。何てったってもうじき雨だからね。ほんの、月が1度も傾かないうちさ。さあ、飲んだ飲んだ!」


 シラカバ亭の主人は威勢よく月桂樹の葉とリンゴの切ったのをカウンターに並べました。しかし、おじいさんこびとは首を振ります。


「あいにくだが、今日はもう引き上げるよ。用事があるんだ」


「なんだって。六月の雨にも勝るものなんかあるのかい?おれのおやじは、雨に打たれて往生したもんさ!月桂樹をかみながらね」

「そりゃ、なかなかなえらいおやじさんだね」


 おじいさんは笑いながらポケットの中身を取り出します。

 出てきたのは、金の飾り櫛でした。

 植物の蔦が精巧に彫りこまれ、中央には鳥が描かれています。輝く蒼玉をくわえた鳥は、今にも飛び立ちそうです。生き生きとして、細やかな一品です。

 シラカバ亭の主人も、思わず「ほう」と感嘆の声をあげます。


「ちょっとばかし、いいだろう。これを早く渡したくってね」

「ちょっとなもんか…ずいぶんいい出来じゃないか。王様への献上品かい?」


おじいさんは首を振ります。そして、ため息をつくように言いました。


「奥さんにだよ。最近、よくねむるんだ。こないだなんて、二日間ねむりっぱなしだ。…そうなると、考えるんだよ。言葉をかわせるうちに、何か形になるものを贈っておきたいって」


 おじいさんは自分の手をじっと見ます。これまで、たくさんのものを作ってきた、ごつごつの手です。

 おじいさんは鍛冶こびとでした。地下の鍛冶場で、王様への献上品をつくることがかれら鍛冶こびとの役目です。しかし、彼はいま、別の目標にめざめたのでした。


「贈り物なんざ結婚前にやったきり…そうだな、記憶が正しけりゃ、200年ぶりくらいだがね…」

 主人はおつまみを引っ込めて頷きました。

「そりゃあ十分な用事だな。スェリサァリ王への献上品を出すこたあ、鍛冶こびとの生きがいだが、毎日楽しく過ごしたけりゃ、奥さんへ献上品。こりゃ六月の雨にも勝るきまりさ!」


 おじいさんは主人と樹液を乾杯して飲み干すと、荒地をあとにしました。




 こびとの身長は人間の親指の先から根元くらいです。おちびさんですが、野ウサギよりも高く跳び、早く駆けることができます。


 荒地をすぎ、沢に埋もれた石をぴょんぴょんはね超え、緑深い湿地帯まできたら、ハリエニシダの群生地が見えてきます。かわいらしい黄金の花は、夜闇にも鮮やかに咲き乱れ、やさしくおじいさんを迎え入れてくれます。


 ハリエニシダがまき散らした種子を払いよけると、目印のコインが見つかります。これは人間の祭りで手に入れた貢ぎ物で、不思議なことに真ん中が開いています。「ラッキーコインだ」なんてえらくおばあさんが気に入ったので、加工して家の扉にしたのです。

階段を降り、しばらく歩くと、真っ赤な玄関ドアが現れます。


「帰ったよ。ばばさま」


 おじいさんは靴を脱いで玄関に上がります。こびとはとても手先が器用なので、家のつくりも文化も、人間のものとそう変わりません。


 飾り窓越しに食卓をのぞきます。だれもいませんでした。


「ばば、ばばさまよ」


 こびと用の引き出しベッドをひっぱっても、もぬけのから。


「今帰ったよう」


 おじいさんは声を張り上げました。


 そして、広間をのぞきます。

 …いました。


 おばあさんはどうしてそうなったのか、敷き物の上にうつぶせにねむっていたのです。


 ベットから起き上がったものの、どうにもねむくて、ついにここで力尽きてしまったのだろう、というのがおじいさんの見立てです。おばあさんは、ひどいねむたがりなのです。


「ほら、いい夜だよ。もう起きなさい」


 おじいさんはほっとして、おばあさんのほっぺたをトントンします。

 おばあさんはゆっくり目を開けました。そして、おじいさんの姿をみると、まるで赤ちゃんみたいに笑いました。


「あら、あら、うれしい。じじさまが帰ってきた」


 おじいさんにも赤ちゃん笑いがうつります。

「何言ってるんだい。いつも帰っているのに」

「大変。それじゃあいつもうれしいわ」


 二人はお鼻をくっつけあうこびとあいさつをしたのち、食事の支度を整えました。

 ナナカマドの実のサラダに、どんぐりパン。デザートははちみつ漬けのリンゴです。


「やあ、おいしそうだね、ばばさま」

「おいしいんですよ、じじさま」


 二人は少し広いテーブルに座り、ご飯を食べます。


 二人がうんと若いころは、この家に子どもがいた時期もありました。かれらはみんな大人になり、家を出て行ったので、いまでは二人きりの生活です。


 ちなみに二人にはちゃんと名前がありました。

 おじいさんは「永遠なる樹のしずく」、おばあさんは「水に磨かれる静かな青」。すてきな名前ですが、いまでは誰かに自己紹介する機会もめっきり減って、「じじさま」「ばばさま」呼びがすっかりおなじみです。


「今日はいいものが出来たから、早く帰ってきたんだよ」

「王様への献上品ができたの?」

「いや、そうじゃなくて…あのね、ええと…」


 困りました。おじいさんは贈り物を渡したいのに、もうずいぶんそんなことしていないので、贈り物のお作法がわかりません。つまり、切り出し方がわからないのです。


 言葉を探して部屋のあちこちを見回して(そんなところに言葉はないのですが…)おばあさんの医療かばんが立てかけてあるのに気づきました。

彼の目線を見て、おばあさんが「ああ」と説明を始めます。


「今日は診察に行こうと思うのよ。さっきね、夢告げがあったの」

「夢告げか。ひさしぶりだね。どんなだったんだい」

「トネリコの女神さまがやってきて、やなぎ湖のほうをさしたんですよ。目をこらすと、ヘビが自分の尾をかんで回っているのよ」


 ヘビだって!おじいさんは驚いて声を荒げました。夢告げは、ヘビを助けるように指示しているのです。


 こびととヘビは敵同士ではありません。

 が、こびとにしてみれば困った相手です。ヘビ達はネズミと間違えてうっかりこびとを噛んでしまったりするのですから。

 どちらかといえば、ヘビはけがの加害者になりがちな生き物なのです。


「お休みするべきだよ。ばばさまは最近すこし弱り気味じゃないか。体と気力がそろってはじめて、仕事はいいものになるんじゃないかい」

「でもヘビだって困っているのよ。夢に願うくらい。…わたしは行きますよ」


 こういうときのおばあさんは、やけに澄んだ眼をしています。水底で磨かれるサファイアの瞳が、「意見を曲げませんよ」と穏やかに笑っています。


「がんこばばさまめ」

「まあ。がんこじゃないこびとがいるなら、会ってみたいわ」


 おじいさんは難しい顔をしながらも、承知しました。

 ただし、おじいさんもついていくことにしました。

 心配なのです。あのシラカバ亭の主人も、むかしヘビにかまれて三日三晩寝込んでしまったことがあります。

 もしおばあさんがかまれてしまったら…?考えただけで、ぞっとします。


 二人はご飯をしっかり食べて、出かける支度を整えました。三角帽子にみどりのマント。おやつのうずまきパンも忘れずに。


 外に出ると空気はにわかに湿っていました。


「そうだ、じきに雨になるそうだ」

「まあ。降られたらたいへんね。ちょいと、鳥になって急ぎましょう」


 二人は高くジャンプして、空中で一回転すると、ワタリガラスに変身します。

 そして高く高く飛び、目的地の湖を目指しました。




 辺りは闇に覆われてまっくら。でも、こびとは目も鼻も人間より段違いによいので、全然問題ありません。


 しばらく飛んで、二人は急降下しました。あまいイチゴの香りが、やなぎ湖の目印なのです。


 大きな野イチゴの群生地のそばにはイチゴジュース屋のテントが出ていました。テントの中では、こびとの若いカップルが、肩をよせ合ってくつろいでいます。そばでは虫の楽隊が歌って、たまにジュースを恵んでもらっていました。


 平和なこびとの夜です。そして、そのすみっこに、不幸な生き物はいました。


 ヘビは雨に打たれたロープみたいに、スイセンのそばでぐったりと横になっています。


「たまごが詰まってしまったのね」


 ヘビの胴体はぽっこりと膨らんでいました。大きな卵を丸のみして、それがうまくつぶせないものだから、すっかり弱っていたのです。


 ワタリガラスの姿の二人を見て、ヘビはまだ若いくりくりの目を驚きいっぱいに見開いたのち、力なく呟きました。


「喰えばいいのさ、おれを」


 カラスの二人は顔を見合わせ、あわてて変身を解きました。


「みて、みて。わたしたちはこびとよ。ヘビを食べたりしない」


 ヘビは少しほっとしたようにもみえましたが、すぐにまた、憂いをおびた瞳をするのでした。そして、独り言のように言います。


「あこがれたのさ。卵を丸のみできるヘビってやつにね。え?同じヘビなら試してみたいものじゃないか。それがこのざま。おれはみじめな敗北者さ」


 二人はまた顔を見合わせました。


「妙なやつだな」

 おじいさんが顔をしかめてつぶやきます。


 おばあさんのほうはヘビのうろこをなでながら、根気よく話しかけます。


「そう。がんばったのね。のどでつぶせやしない?」

「できるなら、とっくにやっている。ああ…なんてこった。こんな時になって、やっと自分ののどがあまりに弱いことに気が付くなんて…」


 ヘビは熱っぽく叫んだものだから、むせてしまいました。


「大丈夫よ。喉が強くてもたいして役に立たないもの。さあ、わたしたちにまかせて。きっと卵を割ってみせるわ」

「どうやって」


 そこで、おじいさんが進み出て言いました。

「わしがハンマーをもってるから、たたいてみよう。こう、ばばさまが反対側をおさえておいて…」


「そんな!こわい!」


 ヘビは震える声で叫びました。どうやら、大きなことを言う割には、小心者のようです。


 さて、どうしたものか。


 三人がああでもない、こうでもないと言っていると、いつの間にかあたりのこびとや虫たちも集まってきました。

 

 皆、この難題について語りだします。


「いったん、ばばさまをのみこんだらどう。口の中からトントンしてもらえば…」と若いこびとの娘さん。


「うっかり食べてしまわないだろうか」シデムシのお父さん。


「ハンマーを飲み込んで、激しく暴れまわるのは?」もぐらのお兄さんも参戦です。


 しかし、いろいろ意見は出るものの、まとまりません。

 当事者のヘビはもうすっかりそっぽを向いて、ふて寝してしまいました。


 さて、そうこうしているうちに……

 誰かが叫びました。


「雨だ!」


「長いぞ!みんな気合をいれろ!」


 こびとたちは口々に叫び、月桂樹の葉っぱを噛みます。

 テントに入っていたこびとも慌てて外に出て、ひとしきり騒ぎが収まると、みんな一斉に奇声をあげました。


 アーー、ウァーー、ハアーー!!


 これには、ふて寝していたヘビもびっくりです。

 じじさまとばばさまでさえ、口を大きく広げ、驚きとも恐怖ともつかない甲高い声を発します。


 叫び声がやんだころ、ぽたり、ぽつぽつ…やがて大粒の雨が降ってきました。


 そうなれば、もう大混乱。

 はね上がる水しぶきと一緒に、こびとたちは一斉におどりだしました。

 

 ひたすら早いステップを踏むこびと。

 地べたにはいつくばって芋虫のようにおどるこびと。

 勢いあまって湖に飛び込むこびともいます。

 

 こびとは、雨が好きなのです。ちょっと、好きすぎるのです。


 雨が土にしみこむことが、こびとの心をよろこばせ、地をたたく水のリズムが、こびとの体を止まらなくさせるのです。

 

 おだやかな湖はいまや、歓喜と燃え上がる熱気につつまれていました。 

 

 じじさまとばばさまは大きなおどりの輪に加わっていました。つむじ風のようにくるくる回り、お隣さんとてのひらをタッチ。

 またくるくる回って、お鼻をタッチ。こんな具合のお年寄り向けダンスですが、他の生き物からしたら、目が回る速さです。


「やめてくれ!」


 ヘビは絶叫しました。


「なんだってこんな……

 こんなの…もう…がまんできない!」


 ヘビは起き上がり、歓喜の舞台につっこんできました。そしておもむろに、自分も激しく首をふっておどり始めました。


「おどってしまうじゃないか!うちひしがれていたかったのに!」


「そりゃあいい!」


 じじさまはおどりの輪の中にヘビを招き入れ、いっしょにつむじ風のダンスをおどりました。


 くるくる回ってトン。首を下げたヘビのお口に、じじさまの手のひらがタッチします。


 くるくる回ってトン。今度はばばさま。タッチしたのは、くだんの卵のあたりでした。


 ぱりり!


 派手な音がして、ヘビは尻尾から頭の先までふるえました。

 そしてぶんぶん首をふると、卵の殻を吐き出すではありませんか。


 ヘビは雷に打たれたように天を仰ぐと、あたりを見回し呆然としました。

 やがて自分の身になにが起こったのかさとると、歓喜の雄たけびをあげました。




 雨がやむと、湖はもとの静けさを取り戻しました。

 ジュース屋も、虫の楽隊も、元通り。

 ただし、イチゴジュースのなべに雨が入っていまいちになったのと、そこら中にくたびれて倒れたこびとの山ができたことをのぞいては。


 こびとたちをふまないよう苦労しながら、じじさまはヤナギの木を目指します。


 ヤナギの木はすぐにわかりました。

 この湖の由来になっている、大きな大きな木です。


 じじさまは、木を見上げ、「ふむ」と言うと、おもむろに木登りを始めました。


「あらあ、じじさまったら、約束の場所で木登りするなんて、待ち合わせ相手にいじわるじゃないですか」


 じきに、ヘビの手当を終えたばばさまがやってきました。


「まあまあ、ばばさまも登ってみなさい。おもしろいから」


「木の根も樹上も“ヤナギの木”にはちがいないんだもの。ひっかけだわ」

 ばばさまは不満を言いながらもひょいじょいと上手に木登りします。


「あら?」


 途中で、木の幹がふた手に分かれています。

 どうやら、もとは別々の木だったのが、枝が握手するようにからみあい、そのまま根っこがくっついてしまったようです。


「なかよしね」

「連理木というやつだね」


 じじさまは手を出してばばさまを枝の上に引き上げます。

 そしてそのまま、手をつないだまま、二人は木の上にちょこんと座ります。


「ヘビの患者さん、ヒイラギのお茶を飲んでもうぐっすり。お腹もこわしてなかったし、一安心だわ」

「雨に助けられたなあ」

「そうね。ヘビさんは心も体も弱っていたんだけど、どっちもいちどに解決してしまうんだもの…。雨は偉大ね」


 そのとき、じじさまのおひざに、ことりと何か触れました。そう、贈り物の櫛です。結局ばばさまに渡せなくって、ポケットに入れっぱなしだったのです。


 熱狂を生み出した湖のほとりは、いまは静まり返っていますが、空気はほのかな熱を帯び、あたたかな風になってふたりのほっぺを通り抜けます。


「あの、ばばさま…」


 ばばさまはお腹が空いておやつのうずまきパンを食べていました。

 食べる?と言いたげに首を傾げ、パンを差し出してきます。じじさまはひょいとパンを食べ、問いを続けます。


「あむ……うん、ばばさま」

「なあに」

「ええと…ばばさまの眼は、青いね……とても…ええと、それで…」


 じじさまの次の言葉は出てきませんでした。困りました。例のむくち病です。言葉を形にしようとするのに、浮かびあがっては風が吹いて飛んでしまうのです。

 ばばさまはパンくずをはらって、笑っていいました。


「じじさまの眼は、とてもきれいなコハクの色ね」

「うん、ありがとう…あの……これ」


 じじさまはおそるおそる飾り櫛を取り出します。


 ばばさまはてのひらで櫛を受け取ると「まあ…」とため息をつきました。小さく彫りこまれた鳥の絵柄をそっと指でなぞったり、空にかざして感触をたしかめます。


「なんてすてきな櫛でしょう!これは、王様への贈り物?」

「いいや、王様じゃなくて…どこにでもいるようなばばさまへの贈り物だよ…ちょうど、その蒼玉ににた瞳をした…その、青い…」 

「まあ!わたしへ?」


 ばばさまは喜びをもれ出さないよう口に手を当て、感謝のしるしにお鼻をつき出しました。じじさまもお鼻をつきだし、それに答えます。


「大事にするわ。引き出しに入れて、たまに取り出して、にやにやして、またしまうのよ」


 ばばさまはうきうきしながら言います。子どもみたいなことを言うなあ、とじじさまはちょっと笑ってしまいます。


「とても光栄だけれど、たまには身につけてくれないかい」

「だったら、ふさわしい場所へ出かけなくちゃいけませんね。例えば、そうね。また雨のダンスパーティーにでも。どう?」

「…当分よしておこう。今日どれだけふしぶしが痛くなったか、忘れないうちは」

「同感だわ。もうくたくた」


 どのくらい疲れたかを口に出すと、二人はいっきにねむくなってしまいました。

 そしてちょうどいいことに、木をおりる途中、ウロをみつけました。鳥の羽がおちていましたが、もう旅立ったようで、いまは空き家になっています。一夜の宿にうってつけではありませんか。


 じじさまは木の葉を集めて、ばばさまはみどりのマントをつなぎ合わせて…たちまちふかふかの寝どこができました。



「ばばさま、ねむれそうかい」

 寝どこに入って、じじさまが聞きます。


「ええ。わけないわ。知らなかっただろうけど、わたしはねむることが一番とくいなんですよ」

「そいつは知らなかった。たのもしいね」


 ばばさまがくすくす笑います。声はとろりとして、もうねむそうです。


「わしは落ちつかないなあ。目がさえてきそうだ」


 木は自分なりのリズムを刻みます。葉ずれの音、風でしなる枝の音、かすかに聞こえる樹液のつぶやき…。心地よいものですが、なれないものは、耳につきます。


「そんなら…わたしがお話をしましょうか。ちょうどいいわ。金の櫛のお礼よ」


 ばばさまが体をこちらに向けました。


「何にしますか?沼にすむ大蛇の話、人間のおどり子の話…それとも、話しながらてきとうにお話をつくってみましょうか」


「そりゃあいい。つくり話が聞きたいな」


「じゃあねえ…そうだ」ばばさまは、贈り物の金の櫛を取り出します。

「この櫛のお話をつくりましょう…」


 ばばさまはしばし考え込んだのち、澄んだ声でお話を語り始めました。


 ーあるところ、二つならんだヤナギの木のそばで

  誰かが置いたゆりかごがゆれて

  ゆりかごの中に、誰も見たことのない植物の種がありました…


  そこへ渡り鳥がやってきました。

  海を渡る旅の途中に、羽を休めに降り立って、ちょうどいい。鳥はゆりかごでひとねむり。

  そしてさあ出発するとき、じぶんの羽毛にうもれていた、ちいさな種のことに気がつきます。


  誰もみたことがないような、ピカピカの種。

  鳥は、おもわず種をくわえます…

 

 ばばさまのお話を聴いていると、じじさまはじきにねむくなりました。

 ねむれない時にするといいこと。それは、お話をつくることです。

 じじさまは、金の櫛の創作者です。つまりこのお話を聞いていると、半分、自分も作っているような気になってくるのです。


 ー渡り鳥は、種をくわえたまま、新たな旅に出かけます。

  王国を出て、海を渡り、新しい大陸を目指します…


 目の前で、渡り鳥が飛び立とうとしています。

 いつの間にか、じじさまはお話の世界の住人になっていました。

 鳥がくちばしに加えているのは、ピカピカの、青い種でした。

 青玉に似た…


「あっ」じじさまが声を上げるのと同時に、

鳥はさっと羽ばたいて、きらりと光の影になって、

飛び去ってしまいました。


 これは、だれの物語?

 どこへ続く物語だろうか。


 サファイアが旅立ってしまったら…

 わしはどうしようか。


 残されたのは、ヤナギの連理木だけ。

 そしてその木は、根元はくっついていますが、その先は分かれ、別々の方向に枝を伸ばしているのです。


 じじさまはさみしいようなすがすがしいような、不思議な気持ちを抱えたまま、ひゅるひゅるとねむりの穴に落ちていきました。


「ほんとうにねむってしまう前に、ばばさまの顔をなでたいなあ」

と思いました。ですが、もう夢の世界がじじさまを満たしていて、

ちゃんと手を伸ばせたかどうかさえ、覚えていませんでした。

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