第97話 1605年


時は流れ1605年 1月16日


津久見の姿が大坂城の執務室にあった。


4年前に出した政治方針は幾度かの失敗を経験しつつも、軌道に乗りつつあった。


津久見の机には一枚の紙が置かれている。


『中長期西日本国成長計画』


と、そこには書かれていた。


諸国での国内のいざこざ、刃傷沙汰は少なからずあった。


商業での地域格差も生じていた。


問題は尚山積みの状態ではあるが、1603年に起きた中国地方の大飢饉においては、西国諸国からの米の無償提供で餓死者は一人も出なかった事は、津久見にとってとても成果のあるものとなった。


商業格差を埋める為に有馬晴信らを西洋諸国に留学させ、西洋の文化の取り入れでこの問題に立ち向かおうと、壮大な計画も立てていた。


だが、今年に入り、津久見は常に頭のどこかに何とも言えない悩みが離れなかった。


「1605年…。」


机に置かれた紙を見ながらもどこか上の空で一人呟いていた。


「1605年…。1605年…。」


津久見は繰り返す。


「何かあったはずだ…。」


日本史の教師である津久見。頭の中で史実の年表をめくり続けた。


思い出せずに正月から今日に至っていた。


明後日からは13歳になった秀頼の諸国巡礼が始まる。


身長も伸び、津久見に追いつかんとしている。


その知性は郡、幸村強いては大谷吉継の薫陶により豊家の希望そのものとなっていた。


『豊家の偉丈夫』と、呼ばれるほど、民の中に入り、愛された。


その秀頼が1月18日より朝廷への拝謁に始まり、京、近江、岐阜、清州、志摩、紀伊等、諸国巡礼が行われる予定であった。


護衛の兵はおよそ3000。信長の馬揃えを彷彿させるような行軍になるとされていた。


そこには石田重成、大谷吉治らが、従軍の代表として抜擢されていた。


というのも、2月1日には年に一度の天竜川会議がある為、津久見は後から同行する運びとなっていた。


その天竜川会議も今年で5回目。


形式も徐々に変わり、津久見と島森が二人きりで肩を抱き合う事はもうできなかった。


東国から西国への行き来は東国の一方的な決め事でできなかった。天竜川には大きな橋がかけられたが、それは人の往来の為ではなく、橋の中央に置かれた小さな小屋の為のものであった。そこでいつも会見が行われる。


天竜川にかかる橋は悉く東国に破壊され、両国右岸・左岸には忍びが見張が行われ、両国の情報は一切遮断されてしまっていた。


この提案は正信のものではなく誰のものかは定かではない。


(愚策か、それとも得策か…)


津久見には分からなかった。未だに日本を二つに分かつ判断をした己を責めるときもあった。


だが、東国も一応の安定を見せて来たという報告だけは去年の会議で聞いていた。


やっともう少しで友と会えるというのに津久見は未だに


「1605年…。」


と、まだ呟いていた。



1605年に何が起こったのかを未だ思い出せずに、天竜川会談の日を迎えてた。


従軍は左近のみ。


天竜川にかかる大きな橋の上に建てられた小屋で会議が始まる。


津久見と島森は、家康と三成という立場をしっかりとわきまえながらも、目では


(元気か?)


(おう。そっちはどや?)


と言葉にできない会話を、目を細めて心を交わしていた。


この頃より、家康の従者は大久保長安という人物になっていた。


算段に優れ、現在知られる里程標、1里=36町、1町=60間、1間=6尺という間尺を整えたのも長安である


この天竜川会談もどこか算段を中心に執り行われていく。


今回の議題は、東国における自然災害発生時の救援物資の調達の件であった。


「…。」


津久見はその議題が上がると何か今まで考えていた今年の出来事に僅かなヒントを得たような気がした。


「災害発生時、東国のみでそれを対処できない場合は、両岸に待機している忍びを持って報告し、救援物資を送る手筈の事…。」


「…。」


津久見は目を閉じ顔を上へと仰ぐ。


「1605年…。」


「???」


「災害…。」


「治部殿?」


ブツブツ言う津久見に長安が言う。


「…。」


津久見は未だに目を閉じ上を向いている。


(津久見?どうしたんや?)


島森も心配そうに目をやる。


その時だった。


「は!!!!!!!」


津久見は目を開き叫ぶ。


一同驚き、津久見を見る。


「今日は2月1日…。」


とボソッと言う。


「殿!?」


と左近が心配して聞く。


「まずい!!!!!」


津久見は更に大きな声で叫ぶ。そして立ち上がった。


「申し訳ござらん!!!急用を思い出したので、今回はこれにて!左近ちゃん行くよ!」


と、出口に向かって言ってしまった。


「ああ、じ、治部殿。」


長安が狼狽しながら言う。


「災害の件分かりました!記録に残しておいてください!御免!」


振り向きもせずに津久見は言うと、部屋を出て行ってしまった。


左近は分が悪そうに残された二人に小さく礼をすると、足早に津久見を追いかけた。


もう津久見は橋を渡り終え、用意された馬に跨っていた。


シップの子供であった。津久見は『コシップ』と名付けていた。


「左近ちゃん!!!秀頼様は今どこらへんだろう!!??」


もうコシップに鞭を入れながら問う。


左近は必死に津久見に追いつき答える。


「今日は恐らく紀伊・浅野領。和歌山城へ入城かと。」


「まずい!!!!」


「殿どうされたのですか?」


「左近ちゃん!!!和歌山城まで突っ走るよ!!!!」


と言うと更に鞭を入れる。


「え??今から??」


と必死に津久見を追いかける。


途中、岡崎城で馬を変えると、茶を飲むとすぐに西に向かった。


左近はせんに命じて紀伊の道の安全の確保と街道に馬を各所に用意するように伝えた。


夜通し駆けて志摩へ到着。ここからは険しい伊賀越えであった。


未だに山賊の報告がされている安全の確保がされていないルートだった。


だが、せんの報告により駆け付けた忍びが要所を抑える。


特に紀伊に向かっていると聞いた幸村が派遣した、真田家の家臣の働きは

素晴らしかった。十人の勇士は夜道でも昼間の様に明るく道を照らし、山賊を打ち払った。


そして2月3日早朝和歌山城へ入城。


待ち構えていた嫡男重成に


「何が起こったのですか?」


と聞かれても津久見は


「秀頼様は?」


とだけ聞く。


「え、今城の天守閣に…。」


と聞くと津久見は城内を物凄い速さで進んでいく。


やっとの思いで天守閣に着くと、そこには秀頼と幸村の姿があった。


「治部殿!!!いかがなされましたか!!」


と、幸村が聞く。


「秀頼様!!!早く城から…。」


と、言った瞬間であった。


激しい揺れが和歌山城を襲う。


立っていられない程の揺れだ。


「秀頼様!!」


と、津久見は秀頼に覆いかぶさる。


「治部殿!!」


それを見て幸村が言う。


「信繫さん!!!まずは身の安全の確保を、揺れが収まり次第、城の外への道を確保してください。」


尚も大きな揺れが襲う。


慶長地震であった。


揺れが収まり、城外へ出ると、その被害の大きさが目に映った。


城壁は剥がれ、城の中は所々崩れていた。


城下町の屋敷や家は揺れに耐えきれず倒壊している。


「…。」


皆絶句している。


重成と吉治は行軍に率いて来た兵を、被災者救援として即座に派遣した。


秀頼は凍える寒さの中、城内の庭園に用意された椅子に座っていた。


暖を取るために焚火を焚き寒さをしのいだ。


秀頼はその火を見つめながら言った。


「治部、幸村。」


「はっ。」


「外では家が倒壊した民もおろう、城門を開いて、ここに避難させよ。」


と、命じた。


「は!!!!」


秀頼の命はすぐに城下町の民に伝えられた。


津久見は城門で待機していると数十人の民が手を赤くしてやって来た。


「どうぞ、こちらへ。」


と、津久見は次々と庭園に案内する。


町民たちは庭園に通されると、焚火に向かって歩いて行く。


「皆の者こっちじゃ!!!」


秀頼が言う。


町民は遠目で見て誰だか分からないが、焚火に急ぐ。


「ささ。寒かろう。暖を取りたまえ。」


と、秀頼が言う。


(この青年は誰なんだろう?)


と、町民は思いながら焚火に手をかざし、秀頼を見る。


そして、秀頼の羽織る着物の家紋を見て。


「!!!!!!!」


と、地面に手を付け頭を下げた。


「ひ、ひ、秀頼様!!!!」


数十人の町民は驚き、皆ひれ伏した。


が、


「よい!!!皆立って暖を取るのじゃ!!!」


と、秀頼は叫ぶ。


町民は驚きと感動で涙を流し、身を寄せ合い暖を取った。


「吉治!!重成!!もっと火を足せ!もっと困っている町民を集めよ!」


「はっ。」


「治部!紀伊だけの被害では無いだろう、各地に被害の状況の把握と、何を欲しているかをすぐに早馬を走らせぃ。」


「は!!!」


津久見はひれ伏し、立ち上がりすぐさま左近の元へ走り出そうとした。


その時であった。


津久見の膝は力なく崩れて行った。


「治部!!!???」


「殿!!????」


秀頼と左近がすぐさま駆け付ける。


「殿!!!!」


左近が津久見の体を抱きかかえる。


津久見は目を閉じている。


サッと左近は津久見の頸動脈の脈を計る。


(生きていらっしゃる。だが、脈が弱い…。白目も剝いていない…。)


「信繫殿!!!」


左近が叫ぶと幸村が駆け付けた。


左近に抱えられる津久見を見て幸村は


「治部殿!!!!」


と、叫び近づいた。


「脈は弱いですが、生きておられます。」


「左様か!!」


「私はこれから殿をどこか床に連れて参り、町医者を探しまする故、秀頼様をどうか。」


と、左近が言う。


「あい分かった!!!」


「御免!」


と言うと、左近は津久見を両手に抱え、町の方へ走って行った。


(殿…。)


いつも冷静な左近が少し動揺している。


和歌山城下の倒壊していない、屋敷を借り、床に寝かせ、医者を呼ぶ。


そこへ嫡男重成が話を聞きつけ屋敷に入って来た。


「左近殿!!父上は!!!」


と、もう既に目に涙を浮かべて叫ぶように聞いて来た。


「落ち着きなされ!!!」


左近が言う。


「脈はございまする。しかし脈と呼吸が弱まってござる。」


「え!!!では父は!!!」


もう重成は大粒の涙を流し言う。


「重成殿。」


「はい。」


「貴殿は秀頼様より、任を受けている最中ではござらんか?」


「え?いや、でも。」


「豊家の為、今は一人でも多くの命を救うのが貴殿の役目、ここで泣いておられる場合ではござらん!!!」


左近が強く言う。


「でも…左近殿。」


「…。」


「左近殿も泣かれているではございませんか。」


と、重成は左近の頬を伝う涙を見ながら言う。


左近はその涙を拭うことなく、目を赤くしながら重成をジッと見つめて


「殿は私が命に代えても守りまする!!!!故に、貴殿は秀頼様の為に、民の為に、三成様の為に動きなされ!!」


「…。」


重成は両肩を強く揺さぶられる衝撃を受け、涙を拭い、大きく頷くと


「父を頼みます。」


と、言って外に出て行った。


左近は振り返り、津久見の元へ寄る。


(殿…。)


左近の頬を伝う涙が、津久見の手に落ちた。


第97話 完


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